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BARBAROI -鬼方の戦士は八徳を嗤う-  作者: ペンギンの下僕
chapter4“chase the hidden justice”
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傾国の女もまた傀儡に過ぎず

 楚の荘王(そうおう)と、いきなり“鬼名”を呼ばれて蒼天は身構え、女を睨んだ。


「……なんじゃおぬし? この屋敷の人間、という感じはあまりせぬの」

「まあそうだね。僕は言わば座敷わらしみたいなものとでも思ってくれ。気がつけばそこにいる、ミステリアス系のお姉さんさ!!」


 その物言いに蒼天はいっそう警戒心が増す。

 いつでも戦闘に入れるよう宝珠に手を伸ばしつつ、


「ふむ、座敷わらしどの、のう――」


 というと、その女は少し顔をしかめた。


「いや、その呼ばれ方は趣きがないな。しかしさて――何と名乗ったものかね? 古臭くてカビの生えていそうな名前なんてごめんだし、そうかと言って今この場で適当にでっち上げるのも不誠実というものだ」

「何をそんな、名前一つで迷う必要があるというのじゃ?」


 蒼天は訝しげな目をした。しかし女は、わざとらしく肩をすくめて困ったような顔をする。


「何せこう見えて長生きなものでね。名前なんていくつもあるし、そのどれもが僕を表す真実とは言い難いのさ」

「長生き、のう……。それは何度も転生をしておる、ということか?」

「いいや、文字通りの意味(・・・・・・・)だとも(・・・)。しかしこんなことばかりも言っていられない。さてどうしたものか?」


 人差し指をあごに当てて考えているという仕草をする。それが本当に悩んでいるのか、それともすべてわざとなのか、蒼天には判別がつかなかった。

 しかし目の前のこの奇妙な女に、蒼天は既視感がある。


「……昔、おぬしに似た奴を見たことがある。まあそいつは男だったんじゃが、誠実なようでいて底が見えず、ある時を境に魔性に取り憑かれて――理詰めで狂っていきおった。間違いなく味方のはずなのに、敵よりも恐ろしく、それでいて余には最後までその狂気の一端さえ表に現さなかった」


 その相手のことを思い出しながら蒼天は眉間にしわをよせた。その人物は荘王の臣下であり、功績があり有能であったことに違いはないのだが、しかし前世の蒼天が見た中で最も得体の知れない男だったと思うのだ。


「おや、申公(しんこう)巫臣(ふしん)になぞらえてもらえるとは光栄だね。ならばせっかくだし、今は申公と名乗っておくことにしよう」


 女――自称申公は嬉しそうに笑う。その笑顔は傾国の美女のようにあらゆる男を誑かしてしまう艶かしさでありながら、しかし無邪気な幼女のような毒気のないあどけなさをも含んでいた。


「まあ、もう呼び方はそれでよいとしよう。それはそれとして……よく、あんな言い方だけで分かったものじゃの?」

「それは分かるとも。ちなみに少し脱線していいなら、私は巫臣の解釈だと中島敦の『妖氛録(ようきろく)』が好きでね。策略を用い東奔西走し、一族さえ投げ売って美女を手にしたというのに、残ったのは夢から醒めた感覚と呪いの残滓だったというのは実に――皮肉が効いていて生々しくて、僕好みだ」


 流暢に語るその笑みは、変わらず艶かしいのだが、しかし同時にとても酷薄だ。小説の話をしているはずなのに、その中に実際の人間の愚かさを見てそれを嘲嗤(あざわら)っているようだった。


「確かに、そうかもしれぬの。しかし、余は見てはおらぬが、今のおぬしはちょうど――美女を手にせんと奔走している最中の巫臣のように見えるぞ?」

「ふふ、まあそうかもしれないね。しかし僕の求めているものは夏姫(かき)よりもずっと手に入れがたいものでね。そして、何かを強く求めて、手に入れるために全霊を尽くしている時間こそ、人生が最も充足している瞬間なのさ」

「手にしておらぬのに満たされていて、掴んでいれば虚しいとは――なんとも矛盾しておるの」


 蒼天は憐れみをこめて言った。そしてさらに言葉を鋭くする。


「しかもおぬしはそれを分かっていながら突き進んでおるのであろう? それは空虚を掴むために尽力しておると自覚しておきながら止められぬとは、難儀じゃのう」

「まあね。だけど僕は物わかりが悪く、しかも天邪鬼なんだよ。まして、自分の理知が出した答えなんかには抗ってみたくなるのが人の(さが)だろう?」


 よくわからぬ、と蒼天は匙を投げた。

 目の前のこの、申公と名乗る女は自分のことを人だと言うが、蒼天には、人は人でも人妖か、それでないなら鬼神の類にしか見えない。

 そんなものの底を迂闊に覗き込もうとすると、自分もその奥へ引きずり込まれてしまう。そう分かっているので、理解しようということを止めることにしたのだ。


「それでおぬしは、どうして余の前に現れた? 余のことを道具か駒にでもしようという腹か?」

「いやいやまさか。そんな大それたことは考えちゃいないさ。どうせ僕も君も――みんな等しく(・・・・・・)誰かの手駒に(・・・・・・)過ぎないんだからね(・・・・・・・・・)


 申公は意味ありげに――底冷えするような冷たい目をして言った。


「……そういう顔のほうが似合っておるぞ、おぬし」


 嫌味ではなく本心で蒼天は言う。


「おや、これはいけない。今のは僕のあまりよくない顔だ。どうか忘れてくれ」

「まあ別に構わぬが、余の質問には答えよ。何の思惑あって余の前に現れた?」


 戦場にあって敵陣を観察するような、殺気と理性の入り交ざった眼差しで申公を見る。申公はもう、先ほどの顔はどこかにやってにこりと笑った。


「今風に言うなら推し活というやつさ」

「……推し活?」


 その言葉に蒼天は一気に毒気を抜かれそうになった。


「春秋五覇の一人にして五覇で最も強き王。楚国歴代で随一の名君――荘王の大ファンなのさ、僕は」

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