諡之曰霊、不瞑
蒼天、悌誉、忠江の三人は詩季に案内されて広めの客間に通された。そこには大きなテーブルがあり、ボードゲームを広げるのには充分すぎるスペースがある。
詩季はさらに少し待っててと言ってどこかに消えると、両手に2リットルのペットボトルのジュースとお菓子を持ってきた。
そして客間にある戸棚を明けて紙コップと皿を取り出すと全員の前に紙コップを置き、皿の上にカントリーマアムやら源氏パイのファミリーパックを開いてだばだばとあける。
その手早さに三人は圧倒され、そしてとても申し訳なくなってきた。
「……あの、しーちゃん? 別に、ここまでしてもらわなくてもいいんだぞ?」
悌誉が恐る恐る言う。
自分たちはそもそもが不意の訪問者であり、ボードゲームをする場所を提供してもらえるだけでもありがたいのに、ここまで歓待されてはかえって恐縮してしまうからだ。
しかし詩季は大したことではないという顔をして、
「お客さんはもてなすものですから」
と言った。そう言われると蒼天と忠江は感謝してそれを受け入れた。
「まあ、しーちゃんがそう言うならいいんじゃないっすか? というかこないだ行った時の悌誉さんもそんな感じでしたよね?」
忠江にそう言われて悌誉は、そういえばそうかと思う。ならばと悌誉も詩季に感謝の言葉を告げて、ボードゲーム『春秋演義』を広げだす。必要なものを取り出して並べ、詩季にルールの説明を始めた。
ある程度話を聞くと、だいたい分かったと頷いた。
「後は習うより慣れろ、ね。とりあえず一回やってみましょう?」
「さてはしーちゃん、家電とかの説明書読まないタイプと見た」
忠江は詩季のことをそう分析しながらも準備を始め、そして四人での勝負が始まった。
「とりあえず、悌誉姉は強いからまずは三人で組んで悌誉姉を倒すところから始めたほうがよいの」
蒼天は隠すことなく詩季と忠江に言う。
悌誉はそう言われて、不適に笑った。
「いいさ。やってみろよ蒼天」
「貴女、見た目に反してノリがいいのね?」
詩季に冷静に言われてから、悌誉は少し照れくさそうな顔をした。そんな反応をするくらいなら何故言ったのだろうかと詩季は思う。
しかし実際、三人で手を組んで有力なプレイヤーを囲むのは戦略として有効だ。しかし最終的な勝者は一人となると、悌誉を倒した途端にそれまで手を組んでいた相手が敵になるのだ。
そのことを一番分かっているのは蒼天であり、忠江と詩季はその危機感が薄い。そして蒼天は悌誉を追い詰めながらも抜け目なく物資や兵力、そして悌誉の領地内の有益な場所を抑えていた。
悌誉はそのことを確認しながらも善戦していたが、流石に三人ががりで攻められると分が悪い。
その時に悌誉は詩季と忠江に言った。
「このままだと私はじきにに倒されるが、その後には二人はすぐに蒼天に負けるよ」
そう言われて初めて二人は蒼天の脅威に気づく。今まで味方だと思っていた相手が一気に強大な敵として映った。
「待て、動じるでない二人とも。そういうことは、悌誉姉の陣営を確実に沈めてから考えることであろう。ここで口車に乗って仲間割れを始めれば悌誉姉が勢力を盛り返す。ここまで追い詰めてきた戦果が無駄になるのじゃ!!」
蒼天も必死になって二人に語りかける。
その様子を見た詩季は、
「……え、これってこういうゲームなの?」
と不思議そうな声で言った。
「なんか人間関係壊れそうなやりとりよね? こういうプレイングで本当にあってるのかしら?」
そして堪らず大声を出す。
しかし悌誉は真面目な顔をして、あってるよと言いながら説明書の一番最後の部分を見せた。
そこには『このゲームでは同盟、裏切り、対立煽りなどの戦略を必要に迫られて行うこともあるでしょう。しかしゲーム内で起きたことを現実の人間関係に持ち込んではいけません』と書かれていた。
「……嫌な注意書きね」
「でもヨッチと悌誉さんは生き生きとしてんだよねー」
詩季と忠江はそう言いながら、二人でこそこそと相談を始めた。
二人ともボードゲームそのものは好きで、こういう趣旨のゲームと分かったならそのように考えてプレイングをすること自体に問題はない。
その上で、これからどうするかという相談である。
詩季と忠江で組んで二人と敵対するというのは無しだ。そうなると蒼天と悌誉が手を組んでしまう。
二人は悩んだ末に、悌誉と一時休戦して先に蒼天を倒そうと決めた。蒼天は絶望しきった顔をしている。
「な、何故じゃー!?」
「えー、だってヨッチは……こういうゲームだとなんかこう、性格悪そうだし」
直裁に言われて蒼天は凹む。そして、あっという間に蒼天は負けてしまった。
「……むう。すまぬがシキよ。お手洗いを借りるぞ」
「どーぞ」
蒼天は不貞腐れながらとぼとぼと部屋を出て行った。しかし消沈しながら歩いたせいで、部屋を出て暫くして、場所を聞き忘れたことに気づいた。
詩季もまたゲームに熱中していたせいで教えていないということに気づいていない。かといって今さら聞きに戻るのも馬鹿らしくなって、適当に歩き回って探すことにした。
そしてようやく見つけた時には、蒼天は屋敷の中を五分は歩いた後だった。加えて、用を足したはいいが考えなしに歩いていたせいで客間の場所が分からなくなってしまったのである。
仕方ないと諦めて、また適当に歩き回ることにした。
その時である。
どこかの部屋から歌声が聞こえた。人がいるならば客間の場所を教えてもらおうと思い近づくと、その歌がよりはっきりと聞こえるようになり蒼天は眉をひそめる。
それは民謡のようであった。
「王に弐子あり嫡子に惑う
早々決めるは乱の元
定めず死ぬも乱の元
一度定めてまた改める
これ正に破滅の端」
その歌詞に嫌な物を感じた。まるで、自分の祖父のことを歌っているようだと思ったからである。
蒼天はその歌声のもとへ走っていった。
障子の開け放たれたその和室では、黒いブレザーに黒のニーソックスを着た長髪の女性が、窓縁に腰掛けていた。
「王は容易く寵に揺れる
女は怒りで国事を零す
太子に臣あり胆勇ありて
矛弓を挙げて王を囲む」
その声は若く美しいが、しかし人生経験を経た大人にしか出せないような深みがある。
その容姿は高校生のようだが、しかし纏う雰囲気はとても整然としていて壮年の風格を備えていた。
「哀れなるかな荊蛮の王
千里の王土を持ちながら
熊の掌すら食べられやしない
終に空しく首を括る
そのくせ諡号を選り好み」
そして何より――美人である。
そのことがいっそう、この女性の深淵さを際立たせていた。
「“成”の一字を贈ってやるから
早く瞼も黄泉へ行け」
と、歌はそこで終わりのようである。
口を止めると彼女は蒼天のほうを見てにこりと笑う。
「やあ、始めまして。拝謁出来て光栄だよ、楚の荘王」
そして、事も無げに蒼天の“鬼名”を呼んだ。
我ら須らく見えざる者の虜囚
心という名の枷を嵌められ
運命という名の傀儡糸に踊らされる道化
自らの人生が誰かのための喜劇だなどと
知らぬほうが幸せである
知ってしまえば 抗う他に道はなくなってしまうのだから
嗚呼しかし 抜け出そうと足掻き続ける
その想いさえも
誰かのための喜劇に過ぎない