学而時習之、不亦説乎
探し人がいて図書室を訪ねて来たのだろうと早紀は、確信を持った目で信姫に聞いた。
そして信姫は静かに頷く。
「千里山さんはなんでそんな風に断言出来るんだい?」
仁吉は不思議そうに聞いた。しかし早紀は、
「まあ長い付き合いだからね。それで信姫――図書室に用があるのか、私に用があるのか、どっちなんだい?」
早紀は真面目な顔をして、含みを込めて信姫に言う。
「両方、ですかね? 図書室に手がかりがあると思っていますが、手を貸していただけると有難いです」
信姫は神妙な顔をして早紀に頼む。
早紀は軽く肩をすくめた。そして、
「まあいいよ。他ならぬ君の頼みだ」
と、億劫な顔をしながら腰を上げた。
「というわけでミナカタくん、少しカウンターを任せたよ」
そしてそう言うなり、カウンターの奥にある図書準備室のほうに消えていった。
何が何だか分からない仁吉はしばらくの間、目を丸くしていた。
そして困り顔を信姫に向ける。
「少しの間、貸し出し業務を任せた、ということだと思いますよ」
「なんでそうなるんだい?」
と言いつつも、この場に早紀の他に図書委員会の人間はいない。仁吉は諦めたように貸し出しカウンターに座った。
とはいえ今は図書室に生徒はほとんどいない。
そして信姫は、辞典コーナーのほうに言って辞書をひたすらにパラパラとめくっている。
仁吉はと言うと、任されたはいいが誰も来ず、完全に暇を持て余していた。
そこで思い出したようにスクールバッグから、前に早紀に貰った『孫子』を取り出して読み進めていると、
「ほう、いい趣味だな」
と声を掛けられた。
相手は生徒ではなく、現国と古典の教師である芦屋川高明である。
「高明先生、どうも。何か借りていかれますか?」
「いいや、興味本位だ。業務の邪魔になるかね?」
「……別に、誰か来た時にのいてもらえればそれで構いませんが」
何のようだろうと仁吉は訝しむ。
高明はいきなり、
「漢文は好きかね?」
と聞いてきた。別にそこまでですね、と返すと高明はそうか、と短く言った。
「……あの、何なんですか?」
「いや、中国史に興味があるなら歴史研究会に勧誘を、と思ったのだが」
「ああ、そういえば先生が顧問でしたね? 人、いないんですか? というか、具体的にどういうことしてるんですか?」
紀恭が所属しているということは仁吉も知っているが他の部員や活動内容についてはまるで知らない。
「部員はあまり多くはないよ。活動……と言っても、興味のあることについて調べて発表したり講義をしたりするくらいだ」
「講義って、でも先生って古典教師ですよね? というかなんで服部先生や売布先生が顧問じゃないんですか?」
仁吉が挙げた二人――正確には服部天神と売布神社なのだが長いので生徒からは略称で呼ばれている――は、それぞれ世界史と日本史の教師である。
「その二人に講義を頼むこともあるな。しかし講義をやるとなると、別に誰でもいいんだ。部員が講師役をやることもある」
「そうなんですか?」
「ああ。高校の学問は広く浅くだからな。例えば中国の紀元前には春秋という時代があり……などと言うことを仔細に覚えたとしても受験などには役に立たないだろう? しかしテストでいい点数を取るためだけの勉強など学問をする意義から脱している」
「……現役の教師がそういうこと言っていいんですか?」
仁吉は顔を険しくした。しかし高明は平然と、構わないとも、と言う。
「学校の勉強というのは、もちろん知識そのものにも意義はあるが、それと同じくらい、勉強をする習慣をつけることと何かを覚えて実践する能力を身につけるための訓練だというのが個人的な意見でね。それともう一つ、自分が何を得意で何が苦手か、そして何に興味があるかを知ることだ。色んな科目を幅広くやるのはそのためだと思っているよ」
「なるほど。まあそれは、そうかもしれませんね」
「私がさっき言ったのは、そういうことを意識せずに点数や成績ばかりを気にするのはよくないということさ。とはいえ、実際には採点をして成績をつけなければならない身としてはこんなことばかりも言っていられないのが辛いところだがね」
と話したところで一息いれると、高明はまた口を開いた。
「だからまあ、そういう成績には関わらないが個人的に興味のある知識などを披露する場が欲しいと思って、学生の時に作ったのが歴史研究会なんだよ」
「え、そうなんですか?」
「ああ。だから教師になって坂弓高校に配属されて、まだ残っていると知った時は嬉しかったし、先代の顧問がちょうど定年退職された折だったから顧問を引き受けたわけだよ。しかし、もう少し人が増えて欲しいと思ってね」
なるほどと仁吉は頷く。
実際、話を聞いていて面白そうだとは思った。
「まあ君も色々と忙しいだろうが、興味があれば一考してくれ。別に、たまに顔を出して講義を聞くくらいでも構わないさ」
「分かりました」
とその時、図書準備室の扉が開く。中から出てきた早紀は疲れ切った顔をしていた。
「……すまない、ミナカタくん。信姫のやつを呼んできてくれ」
と頼まれたので仁吉は信姫のほうへ向かった。