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BARBAROI -鬼方の戦士は八徳を嗤う-  作者: ペンギンの下僕
chapter3“*oon *as**e *a*ling”
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don't cry my dear_2

 羿の神話には、射日と怪物退治、嫦娥の裏切りの他にもう一つある。

 嫦娥に裏切られ、もはや仙界に戻ることの叶わなくなった羿は、いつしかその生を受け入れだした。悟りでもあり諦観でもある。

 羿は自らの生に訪れる波乱に疲れていた。

 しかしもう、これ以上は何も起こらないだろうと思うとそれでよいかと思えてきたのである。

 狩りなどをして日々を過ごしていたのだが、ふと思い立って蓬蒙(ほうもう)という家人に弓術を教え始めた。


(俺が死んでも、俺の弓の技は残る。英雄が生み出したという箔付きだ)


 羿は一人、皮肉っぽく笑った。

 永遠の生を、無限の研鑽で満たすことはもはや叶わない。それでも傾けた情熱だけでも世に残るのであればいいかもしれない。

 蓬蒙は良き弟子で、数年のうちに羿の弓術を完全に修得した。それは羿の心を明るくした。

 しかし羿は、やはり人ではなかった。神籍を剥奪されたというだけの者であり、人を知らなかった。もし羿が英雄という称賛を忌み、守った民を疎んじていたままの心根で生涯を終えられていれば、その生は昏くとも絶望と憎悪を抱えて死ぬことはなかっただろう。

 蓬蒙には邪心があり、羿はそれを見抜けなかった。

 蓬蒙は、せっかく弓の達人になったのだから、どうせならば天下一の弓の名人となりたいと思った。しかも研鑽と錬磨によってなろうというのでなく、そのために邪魔な者を殺すことでなるほうが手っ取り早いと考えたのである。

 邪魔者とは、もちろん羿である。

 射殺そうとしたが、弓の腕では敵わない。そこで、桃の木で羿を撲殺した。

 異界化した月宮殿から放り出された羿は、ぼろぼろの体を引きずって歩いている最中、その時のことを思い出していた。

 自分は何を間違えたのだろうか。

 そんなことを考える度に羿は、初めから何もかもが間違っていた、としか思えない。


(俺の一生など、所詮はそんなものか。神として生まれながら、しかし天のコマの一つにしか過ぎなかったというわけだ)


 歩くことに疲れ、木を背にして座り込んで目を瞑る。


『そんなことないよ、きっと』


 声がした。

 閉じたはずの瞳は、その眼前に一人の少女の姿を映している。

 逆瀬川忠江。

 羿のかつての妻の、今世の姿だ。


『何のようだ娘? 恨み言でも言いに来たか?』

『ううん。そういうのじゃないよ。だってアンタさ、なんか辛気くさい顔してるから、慰めにきてあげたの。ま、私がそんなこと出来る立場じゃなさそうなのも分かっちゃいるんだけどさー』


 そう言いながら忠江の調子は軽い。少し顔に申し訳なさこそあるが、羿に対して遠慮していなかった。


『私じゃないけど私のことだから……って、なんか変な日本語だなこれ。まーいっか。とにかく、なんとなく分かるんだよね。ジョウガさんは、別にあなたのこと嫌いになったわけじゃないんだよ』

『一人で逃げておいてか?』

『まーそりゃそうなんだけどさ。人間、追いつめられたりツラみが限界超えたら間違ったこともしちゃうわけよ。もちろん、裏切られた側はたまったもんじゃないのもわかんだけどね』


 忠江は頭に手を当ててため息をつく。

 今の忠江は、羿に意識を封じこめられている間に、過去の羿と嫦娥の記憶を垣間見ていた。なので羿の事情については知っているのだ。


『なんだ、そんな言い訳じみたことを口にして、許してくれとでも言いたいのか?』

『んにゃ別に。裏切ったのは私だけど、今の私はなーんも謝るようなことしてないし』


 忠江は開き直ってあっけらかんとした。

 しかし羿には、それもそうかと言えるだけの度量はない。むしろ腹立たしさが増してきた。


『じゃあなんだ!?』

『だから言ったじゃんね、慰めに来たってさ』

『は?』


 羿が忠江をキッと睨む。神話の怪物にさえ恐れを見せない戦士の眼差しを、しかし忠江は特に気にしていない。


『そーいう顔してるとハッピーじゃないんだよ。追いつめられてたら間違うこともあるって言ったけどさ。それって私(・・・・)だけじゃなかった(・・・・・・・・)でしょ(・・・)、ってことよ』

『俺が、何か間違えたと言いたいのか?』

『うん。だってあなた、ずっとそんな顔してたんでしょ? 鏡見てみ、ひどいよ。全然ハッピーじゃないの。ムスッとしててイライラしてて、そんなのと一緒にいたら誰だってやんなるよ。逃げたくだってなるに決まってんじゃんね』


 そう言われて羿は過去の己を顧みる。

 確かに羿は、忠江の言う通りいつも仏頂面をしていた。天への恨みと人間への忌避感ばかりが心を占めていて、それ以外のことなど考えていなかったし、なので当然、心安らかな時などなかった。

 それが嫦娥を追い詰めているなど、思いもしなかったのである。


『ま、それももう終わった話だかんね。今さらどうにもなんないし、何かが変わるわけじゃないよ』

『……ああ。しかし、ならばお前はなぜ、慰めるなどと言いに来た? 結局は、俺の過ちをなじりに来たのだろう?』

『全然違うよ。だってさ……あんた、もうすぐ消えちゃいそうじゃん? 私じゃそれをどうにかは出来ないっぽいから……だから、言いたいことは言うけど、最後には笑ってて欲しいんだよ。ジョウガさんとの楽しかった時間を思い出しながらね』


 その言葉を最後に、忠江の姿はもう見えなくなった。

 最後に笑ってほしいと告げた忠江の顔は、輪郭も顔立ちも何もかも違うのに、その笑顔は羿に、かつての嫦娥の姿を想起させた。

 そして羿が目を開くと。

 その横には、御影(みかげ)信姫(しき)が立っていた。


「随分と――手酷くやられたものですね」

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