white moon rising
一人残った仁吉は九頭の怪物――九嬰の吐く炎や水を走り回って逃げながら敵を観察している。
九頭の蛇というが、よく見るとその体は動物のように四つ足がある。そして頭に三つ、両肩に二つずつ、尻尾に二つ、蛇の上半分をくっつけたように蛇の頭と胴が生えているのだ。
(くそ、しっかり観察すると気持ち悪いな)
そんな感想を抱きつつ、仁吉は逃げ回る。
炎も水も避けれない速さではない。しかしあちらこちらの頭から入れ替わり立ち替わり、炎か水を吐き出し続けているのでなかなか近寄れないのだ。
そもそもこの異界に囚われた五人の中で異能の戦いに最も不慣れなのは仁吉なのである。加えて仁吉には、泰伯にとっての犾治郎のような師もいない。
しかしそれでも、九嬰の攻撃から逃げている間に気づいたことはある。
それは、九嬰は一度に二頭ずつ、それも炎と水を一つずつしか吐いてこないということだ。何度も見たのでそこには確証を持てる。
問題はその弱点をどう狙うかだ。
一度に二頭と言っても、吐いている途中に口を閉じればすぐに別の頭から吐き出すことは可能である。他に目を向けさせて攻撃させても、気づかれてしまえば他の頭に狙われてしまう。
多頭の厄介さは他にもある。目が多く死角がないというのもあるが、生物としての分かりやすい弱点――脳が多いということである。
仁吉の戦闘能力でこの体格差を覆して九嬰の心臓を狙うことは不可能に近い。ならば頭を潰すというのが常道となるのだが、絶え間ない炎と水を躱しながら走って跳んで首を刎ねるという行為を九回も行う必要がある。
(まあ……オウキマルの斬撃を掻い潜るよりはマシか)
それは本音であるが、もう少しだけ考えることにした。
(くそ、こんなことなら少しはこういうの……怪異だったか? そういうのとの戦い方についてとか蔵碓に聞いておけばよかったな!!)
などと今になって考えても後悔先に立たずである。
(しかし蛇、蛇か……。そういえば何かあったぞ、ナントカの蛇って話が……)
少し考えて仁吉は思い出す。それは早紀に貰った『孫子』で読んだのだと。
頭を狙えば尾に払われ、尾を狙えば頭に噛みつかれ、その間を攻めれば頭と尾から反撃を食らう。連携が取れていて隙のない軍隊の比喩表現である。
その部分の内容について仁吉は、自分でも理由は分からないがはっきりと覚えていたのである。
(まてよ――)
そこで仁吉は気になったことがあり、先ほどまでの記憶を手繰りつつ九嬰を見た。
そして気づいたことがある。
どうも九嬰は、頭同士の連携は取れていないらしい。九頭に九つの意思があり、各々敵を捕捉すると他の頭のことなど考えずに向かってきている。だから直前まで炎を吹いていた頭は、仁吉が移動して他の頭が炎を吐き出しても暫くは口をぱっくりと開けているのだ。
そうと分かればやりようはある。
仁吉は周囲を見回した。九嬰の吐いた水が遠くで小さなため池くらいの大きさの水たまりになっている。そこへ近づくように少しずつ距離を取った。当然、九嬰は追ってくる。九嬰の重みで地面が揺れた。
仁吉は意外にも走りにくさを感じなかった。傀骸装の効果もあって、自分の身体が自分のものでないように軽い。
(これなら、考えてるよりすんなりとやれるかもしれない)
そう考えながら仁吉は水たまりの中に入った。
九嬰の右肩の二頭が、炎と水を吐き出す。仁吉はさらに下がった。炎が水たまりに触れ、熱で一気に蒸発する。周囲に水蒸気が立ち込めた。
その瞬間に仁吉は、体を隠すように水蒸気の中に飛び込むと、直前の記憶を頼りに骨喰を振るい風の刃を飛ばす。
水蒸気が晴れた時、九嬰の右肩の二頭は風の刃によって斬り裂かれて血に落ちていた。
そして仁吉は――九嬰の背の上に立っている。
七つの頭が仁吉を睨む。臆することなく仁吉は言った。
「さあ、この調子で行かせてもらおう」