羿射九日
古代中国――それも、神話として分類されるほどの太古。その頃は、太陽は十個あったとされている。
天帝――即ち大神の十人の息子が太陽であり、鳥に乗って十人が一日ずつ空に昇り地上を照らす役割を果たしていたとされている。
しかしある時、十人の息子たちは役目とはいえど互いに会えないことが淋しくなって、示し合わせて同日に空に昇って遊ぶことにした。
その結果、地上に十の太陽の熱が降り注ぐこととなった。当然、地上は灼熱の地獄と化す。
父たる天帝、そしてその母である羲和という女神が呼びかけても太陽は遊びをやめない。地上の民は苦しんだ。
そこで天帝は民への助けとして一人の神仙を派遣した。
それが羿である。羿は仙界でも無二の弓の名手であった。
羿はまず十の太陽に説得を試みた。しかし効果はない。ならばと、次に矢を番えて空に放った。神仙の放つ矢である。それはいつまでも落ちることなく、空を遊ぶ太陽の鼻先を掠めた。脅して引っ込ませようとしたのである。
最初こそ驚いたが、羿には自分たちに矢を当てるつもりはないと知るとまた太陽たちは遊び出す。相変わらず地上には熱が降り注ぎ続けた。
このままでは地上の木々、作物はすべて枯れ果て、人間は一人残らず死に絶えてしまう。
そこで羿はついに腹を決めた。
十の太陽を、一人だけ残して、残る九人を残らず射落としてしまったのである。
その結果、地上は平穏を取り戻した。しかし天帝の子を射殺してしまったことでその恨みを買い、仙人の地位を追放されてしまった。
羿はそのために地上に留まり、各地を渡り歩きながら人に仇なす怪物を対峙する旅を続けた。
つまり羿とは、中国神話における英雄なのである。
泰伯はその神話を知っていた。
そしてだからこそ、船乗りシンドバッドの言葉が信じられなかったのである。
前に船乗りシンドバッドは不八徳のことを、中華に仇なす胡の魂を持つ者たちだと、確かに泰伯に言った。
しかし泰伯の認識だと羿はむしろ胡の対極で、中華の民衆の守り神のようなものだと思っている。
だからこそ、“鬼名”を持つ不八徳の一人に羿が入ってくるのかが分からなかったのだ。
「そんなおかしな話なのかそれ? というかゲイって何だよ?」
「日本神話でいうところのヤマトタケルみたいなものですよ」
「いや分からないぞそれじゃ」
仁吉の疑問に泰伯はそう返したが、やはり仁吉は分からなかった。
「ならそうですね……。坂上田村麻呂を蝦夷と呼んでるようなものかと」
「あ、の、な!! 誰も彼もが神話だの歴史だのに詳しいと思うなよ。坂上田村麻呂は辛うじて分かるが、エミシって何だよ?」
これなら通じるだろうという会心の例えのつもりだったのだが仁吉はむしろ声を苛立たせる。仁吉とて日本史の授業は人並みにやっているが、それを例えに出されてすんなりと理解出来るというわけではない。
しかし龍煇丸はその例えで納得したようで、なるほどね、と少し仁吉に挑発的な笑みを向けた。
それが癪だったので仁吉は助けを求めるように蒼天に近づき小声で、わかったか聞いた。
「まあ、なんとなくの。というかその羿についても思い出した」
「……分かんないの僕だけかよ」
仁吉はなんだか自分が情けなく思えてきた。そして前に信姫に、普段図書室で何を読んでいるのかと言われたときのことを思い出してしまい、悔しくもなってしまった。
しかしここで出てくる話は基本的に、坂上田村麻呂と蝦夷以外は知らなくて当然というような知識なので仁吉が特に無知というわけではない。
「まあ要するに、悪党に区分するのはおかしいというのがヤスタケどのの言い分じゃの」
蒼天は細かいことを省いて簡潔にそう言った。
「そんなことを言ったって、善悪なんて視点次第だろ? それに、悪党が英雄と呼ばれることもあるだろうし、英雄が悪党に堕ちることだってあると思うけれど?」
仁吉は何の気なしにそう言った。それはとても雑な、分からないなりに話を聞いた上での所感だったのだが、船乗りシンドバッドは、
『その通りだ。なまじ知識がないほうが、帰って物事の本質を突くこともあるものだな』
と仁吉の言葉を肯定した。