moon castle
検非違使の施設の一つに“月宮殿”というものがある。
名前の由来は、中国において月にあると言われる城であり、事実この月宮殿は――空に浮かんでいる。
そして月が昇り、隠れるまでの夜の時間にだけ出入りが出来るようになっている。
平安時代後期、源平合戦の動乱の中で検非違使の魔道具や回収した呪物が大量に流出したという事件があり、鎌倉時代中期頃に当時の陰陽師たちが危険な魔道具などの保管のために作り上げたものだ。
以来、南北朝、応仁の乱、戦国時代、幕末と争乱の時代はあれど月宮殿から物品が流出することはなかった。
形状は野球ドーム一つ分くらいの大きさの円形だが中は異空間となっていて実際の広さは外観よりさらに広い。入るには各地の検非違使の拠点にある転移装置に、その土地の検非違使の長と検非違使全体の長官――別当の許諾を得る必要がある。
外部からの侵入はほぼ不可能であり、過去に、記録に残っているだけでも三度、外から攻められたことがあるがいずれもこれを撃退している。
そして今、五月三日――。
月宮殿の管制室では二人の検非違使の戦士が警備に当たっていた。
「……暇っすね」
髪を茶髪に染めた二十代くらいの男、大伴一馬は管制室にある無数のモニターを眺めながらそうボヤいていた。
月宮殿は成立こそ古いが管制室はとても近代的であり、監視体制は科学技術と異能のハイブリッドである。
そして、警備の仕事内容はというと、モニターを眺めて異変がないかを確認しつつ計器とひたすら向き合うという退屈なものである。一馬は血気盛んな性分のため、定期的に回ってくるこの仕事が大嫌いだった。
「気を引き締めろ大伴、これも仕事だ。いつ何が起きるかわからないんだ。戦いと同じで、少しの気の緩みが致命的になることもある」
二十代後半といった見た目の、メガネに黒スーツという格好の男――足利策也が厳しい声で一馬を確かめる。
策也は一馬の教育係であり、相棒だ。策也は一馬に注意したように、自分でも注意深くモニターを見つめている。
「でも、もう何十年も月宮殿で問題が起きたことなんてないらしいじゃないですか? セキュリティもしっかりしてますし防護結界もたくさんあるんですし、わざわざ人間が常駐する必要あるんですかね?」
「問題が起きていてないのは、日々警備に当たっている者たちの弛まぬ努力の成果だということを忘れるな一馬」
説教じみた策也の言葉に一馬は不貞腐れながら返事をする。一馬は怪異との戦いには積極的で、果敢に挑み恐れというものを知らないが、反面こういったことには向いていない。
「戦いだけが俺たちの仕事じゃない。俺たちの仕事は、この国の平和を守ることだ。この月宮殿に万に一つでも異変があれば大変な事態になる。そのことを胸に刻みながら――」
策也の説教は一度始まると長い。
一馬はため息をつきながら、諦めてそれを聞いていた。しかしその時――。
管制室内に、異変を知らせるサイレンが鳴り響く。
一馬は気分を切り替えて真剣な顔で計器を見た。
「地上より超高速で何かが接近中!! 十秒後に防護結界と接触します!!」
「結界に異常はないか!?」
「問題なし。すべて通常通りに作動してます!!」
月宮殿には百層からなる防護結界が常時張り巡らされている。一つ一つが、陰陽師百人掛かりで練り上げられた強固なもので、それが月宮殿の中心にある魔力回路“月の心臓”から魔力を供給することで発動しているのだ。
その強度たるや、弾道ミサイルの直撃を受けても傷一つ付かないほどであり、それが破壊されたことは過去一度もない。
「よし、なら飛来物の軌道から逆算して地上での発射地点を……」
特定しろ。
策也がそう言いかけた時である。
月宮殿が大きく揺れた。あちらこちらで非常事態を告げるアラートが鳴る。
「さ、策也先輩……。防護結界、百層中の五十層が破壊されました!!」
「なんだと、そんな馬鹿な!?」
策也は一馬の報告が信じられなかった。しかし策也が計器を確認しても、モニターにはやはり同じ結果が表示されている。
「くそ、何が撃ち込まれた? 大砲か、ミサイルか? それとも対結界効果を持つ魔道具か何かか?」
「い、いえ……。撃ち込まれたのは、矢です。それも……一メートルくらいの!!」
策也はまた信じられないという顔をする。
しかし現実に起きていることを否定は出来ない。幸いにもまだ結界は半分残っている。
「急ぎ結界を修復、その間に狙撃地点を割り出し地上の検非違使に報告しつつ二射目に警戒――」
「第二射、来ます!!」
一馬がそう言った瞬間、轟音が響き、再び月宮殿が揺れる。その揺れは先ほどよりも激しかった。
「せ、先輩……。さらに四十九層の防御結界が破壊されました。残り一層です!!」
「――“月の心臓”の全魔力を最後の一層につぎ込め!! 最後の一層は特別性だ!! それを全力稼働させて……」
策也は一馬に命じながら、自分でもその処置を行う。
しかし――その処置が間に合うかどうかは半ば賭けだった。
なにせこの攻撃は恐ろしいほどに一射と次の一射の間隔が短い。いかな術式であろうとも、強力なものであればあるほど、連発、速射が難しいというのが常識である。まして月宮殿の防御結界を破るというのは常識の埒外だ。
「――先輩、あと十秒で三射目が到達します!!」
「いや、間に合った。最後の一層目で防いで――」
その時、また轟音が響き渡る。
それは今までの比ではなかった。
「な、なんだと?」
策也は信じられなかった。
ギリギリではあったが、策也の対策は間に合っていた。何かやり方を間違えたということもない。にも拘わらず、この攻撃は最後の一層をも確実に撃ち抜いてきたのである。
流石に、これはおかしいと策也は感じていた。
何か仕組みがある。しかし、それを暴く時間がなく、既に月宮殿は防護結界を失って丸裸に等しい。
堀を埋められた城のように、もはや守りというものを失っているのだ。
「さ、さらに続いて第四射、もう間もなく到達します!!」
策也はもはや、こうなると一つでも多くの物品を保護して脱出することを考えていた。その時である。月宮殿の中から一筋の光が飛びだしていった。
そしてそれは、まさに無防備を晒している月宮殿にとってトドメの一矢となるはずの矢と激突し、それを防いだ。
『ったく、予定より早めに来てみたら――とんだ災難に巻き込まれちまったもんだ』
そして、どこかやさぐれたような声が聞こえてきた。
凍てつく月の煌きが
私の刃を氷で閉ざす
黒き戍卒に追われても
赤き炎に呑まれても
砕けることのないように