BLACK StorM In THe blank_2
その口から出てきたのは馴染みのある名前だった。どういう因果があるのかはわからないがフェイロンは彼女に用があるらしい。
「ええと、その、御影さん、とやらのことを聞いてどうなさるおつもりで?」
『殺す』
フェイロンは淡々とそう言い放った。
『で、どうなんだ? 知ってるのか?』
「……知りませんよ。お力になれず、申し訳ありません」
『なるほど。――そうかよ』
背後に殺気を感じて、泰伯は振り返ることなく真っすぐ前に走った。
走って走って、フェイロンと十メートルほど距離を取ったところで背後に殺気を感じた。振り返らずに横に跳んで地面に転がり込む。直後、つい今まで立っていたところにフェイロンが右手の鉤爪を振り下ろしていた。
『意外と冷静じゃねえか。怯惰に吞まれると反射的に振り返っちまうところを、俺に背を向けたまま前に走って逃げやがって。だが正解だ。そうじゃなきゃ、今頃お前は致命傷だっただろうよ』
「……知らなくても、何もしないんじゃなかったんですか?」
『ああ。だが、お前のそれは知ってる反応だったぜ。ならこうするだろ』
フェイロンはこともなげに言う。
『で、どうするんだ? 知り合いなら庇おうっつう気持ちは理解できるさ。だから一回だけは許してやる。その上でもう一度訊くぜ。ミカゲシキは、どこにいる?』
「そうか、ならばもう嘘や誤魔化しはやめよう。――貴方に、彼女のことを教えるつもりはない」
はっきりと言い放って、泰伯は木刀を構える。
『正気かお前?』
「いたって正気さ。たとえ両手両足を切り落とされても言いはしないよ」
『人間風情……それもお前のような孺子ごときが大層な口を利くもんじゃねえぞ』
「僕は出来もしないことを口にするのは大嫌いでね。本気さ。疑うなら、試してみるといい。もっとも――」
木刀を握り、真っ直ぐにフェイロンに駆け寄る。
「大人しくやらせるつもりもないけれどね!!」
その手にあるのは、何の変哲もない木刀。
相手は、人智を越えた何か。
無謀としか言えない吶喊だが、泰伯に勝算と呼べるものは――何一つない。
勝つために挑むわけではない。それでも、戦うという意気を持たねばならなかった。そうしないと、未知の存在、圧倒的な恐怖が泰伯の心を呑み込んでしまい、信姫のことを口にしてしまうかもしれないからだ。
(それは、嘘になる)
昼間、泰伯は蔵碓に言った。御影信姫のことを気にかけておくと。信姫の言っていたストーカーがこのフェイロンのことを指していたのか、全くの別案件なのかはわからない。
しかし蔵碓が泰伯にその話をしたのは信頼の証で、気にかけることを任せたのは信姫の身を案じてのことだろう。
たかだか自分が死ぬかもしれないというだけで、それらがすべて台無しになってしまうことが泰伯には何よりも耐えられなかった。
だから最低限、泰伯はこの場で口を噤む必要がある。その結果として永遠に物言えぬことになろうとも。
『いい覇気だ』
眉一つ動かさぬままフェイロンは右手を払う。
それは顔の近くの虫を追い払うくらいの軽さであり、泰伯の体はたったそれだけのことで何十メートルも吹き飛ばされた。
車に乗っているような速さで旧校舎の壁をぶち抜いて外へ行き、さらに森の中を進み、進行方向にあった木に激突することでようやく泰伯の体は止まった。
「が……はっ…………!!」
わずかな時間ではあるが、息が止まっていたように思えた。頭が揺れて肺が押し潰されたような閉塞感に襲われながら、泰伯は木に背を預けて座り込む形となる。
『まだ生きてやがるか。頑丈な孺子だ。だが、もう立ち上がることも出来ないだろう』
「……」
『で、どうだ? 意趣を返す気になったか?』
「……お生憎と、強情は僕の……数少ない取り柄でね…………」
口から血を吐きながらも、泰伯は首を横に振った。命の危機に瀕しているというのに、その顔に悲壮感はなく、笑みすらこぼれている。
『そうかよ。しゃーねーな。んじゃ――手当たり次第にぶっ壊して、しらみ潰しに探すしかねえな』
「……ああ。僕が口を割らなくても、諦めるつもりは、ないんですね」
『ねえよ。だがまあ、んなことはてめぇが気にすることでも、思い詰めることでもねえよ。どーせすぐに死んじまうんだからな』
フェイロンの言う通り、泰伯の傷はもはや生存を望めるようなものではない。今の段階で死んでいないことだけでも奇跡と呼ぶべきものである。
だが泰伯は、フェイロンの言葉を聞いて――立ち上がろうと体を動かし始めた。
「なら……ここで、貴方を、倒さなくては、いけません、ね…………」