“omne ignotum pro magnifico”_2
信姫に竹刀と日本刀の勝負の違いについて聞かれ、泰伯は『打ち込みの速さ』と答えた。そして信姫はその答えに頷く。
「ええ。物にもよりますが、だいたい竹刀の重さは日本刀の半分くらいですからね。つまり軽い分、剣道の勝負というのは高速化されているわけです。そして、これも当然のことなのですが、人間は動いている物を見る時は静止している物を見るよりも視力が落ちるのですよ。ですが私たちは日常的に竹刀の打ち込み稽古をしていますよね?」
「つまり、動体視力が追いつかないところを観の目で補っていると?」
泰伯の言葉に信姫は頷く。
「ええ。反射神経と、経験から来る軌道の予測ですね。少し大げさな表現かもしれませんが、私たちは無意識に少し先の未来を見ながら戦っているわけです」
「それはなんとなく分かるんですけど、それとさっきの……竹刀が伸びたのって関係あるんですか?」
賀路が横から口を挟んだ。
どうにも話のつながりが見えてこないからだ。
「例えば、竹刀を振り上げて大きく一歩踏み出せば、その後に上段の攻撃が来ることは素人でも分かります」
「まあ、そうっすね」
「そして竹刀の長さを見ればどこまで踏み込めば安全かもわかります。そこまで見えているのに、竹刀の届くところまで無遠慮に踏み入るなどということはしませんよね?」
「ああ、はい」
賀路と泰伯は信姫の教え子になったように、一つ一つ丁寧に説明する信姫の言葉を聞いている。
「そこで先ほどの、観の目による予測の話ですよ。私たちの予測は無意識ですから、頭で考えるより先に直感が、あり得ると錯覚すれば警戒してしまうのです。得物の長さ、彼我の距離、人間の運動能力といった常識的な判断材料よりもそちらを優先させてしまう。結果として、届くはずのない攻撃を警戒して動けなくなったり、反射的に身を引いたりという現象が起きるわけです」
信姫は、大したことではないと言わんばかりに説明する。
そして、
「理屈を言えば他愛のない話でしょう? 『未知なるものはすべて壮大に見える』という言葉の通りでしょう? 手品師がマジックの種明かしをしてしまうと、それきり感心も尊敬もされなくなるようなものです」
と、少しいたずらっぽく笑った。
しかし説明を聞かされた二人は顔を見合わせている。
「いやあの、御影先輩。それ、十分に達人技というものでは?」
「言いたいことはわかりますけど、普通そんなの出来ませんって……」
少なくとも泰伯と賀路の認識はそうである。いや実際に、二人はこれまで剣道をやってきてそんなことが出来る相手と会ったことはなかった。
そして、それを事も無げに語る信姫に空恐ろしさを覚えた。
「それはそういうことを意識していないからですよ。人間の脳は理屈で動いていますが、人間は理屈で動いてはいませんからね」
「……ごめんタイハク、意味分かる?」
問いかけられて泰伯は首を横に振る。
「つまり先ほど言った無意識、ということですよ。私たちが何となくとか勘という言葉で処理しているものは、実際には五感が得た情報を脳が処理して行なった結果なのです。しかし脳での処理は得た情報を行動に移すというところで止まっていて、それを理屈としてアウトプットするところまではいけない。これが無意識なのだと私は思っています」
「……なるほど」
そう説明されて泰伯は信姫の言わんとするところを理解した。
つまり信姫が言いたいのは、そう言った、今まで脳が無意識として処理しているあらゆる事柄を言語化出来るようになれということなのだろうと泰伯は理解した。
そして、そこまで話したところで信姫は格技場の壁に掛けられている時計を見た。
「――すいません。そろそろ時間のようですので、私はこれで失礼しますね」
そう言って信姫は竹刀を壁の竹刀掛けに置いた。
泰伯は信姫に深く頭を下げ、格技場から去っていく信姫を見送った。
そして――賀路と二人残されたところで、賀路が口を開く。
「……あのさ、タイハク」
「なんだいガロ?」
賀路が泰伯のことをタイハクと音読みするように、泰伯もまた賀路のことをガロと呼んでいる。
泰伯は未だ釈然としていなさそうな賀路の顔を見つめながら続く言葉を待った。
「ぶっちゃけ、御影先輩のあの話、少しでも参考になったか?」
そう聞かれた泰伯は、
「……まあ、どうにか参考にしてみるよ」
ともすれば『全く参考にならなかった』とも受け取れる言葉で返した。