以水佐攻者強
猪の怪物と対峙しながら悌誉は、今はひたすらに逃げ回るという選択を余儀なくされていた。
先の一撃でダメージは与えたが、敵の動きは鈍るどころか寧ろ激しくなっている。先ほどでさえ、ほんの少しかすった程度で大きく吹き飛ばされたのだか、今の状態で真正面から突撃を受けてしまえば一瞬で挽肉にされてしまうだろう。
さりとて逃げに徹するのにも限界はある。
今の悌誉は術式の力を使って裏山の中をひたすらに逃げ回っているが、猪の怪物もまた悌誉とほとんど付かず離れずの距離で追ってきている。
しかも悌誉は木々などの遮蔽物を躱すという時間のロスがあるが猪の怪物はそれらをひたすら薙ぎ倒し一直線に迫ってきている。速さだけならば悌誉のほうが速いのだが、その距離は段々と縮まっていた。
(どうする、もう一発撃つか? いや、あの狂乱状態ならば詠唱を終えるまでの足止めが出来るかわからないな)
何をするにしてもまず猪の怪物の足を止めたい。
そう考えて悌誉は思考を巡らせる。
そして進路を変更し、ある場所を目指した。それが急な方向転換だったので猪の怪物は足を止める。しかし止まりきれず、大型車が急ブレーキを踏んだような巨大な轍が出来た。どうにか止まりきってまた悌誉を追いかけるが、折角縮まった距離にまた開きが出来た。
その間に悌誉はひた走る。そして目的地に着くと止まり、両手を前に差し出した。
「度、量、数、称、後に勝有り
越流九地を沈むが如く
鎰の銖を潰すが如く
形流此処に決すべし」
悌誉が詠唱を始める。
しかしそれを言い終えるよりも猪の怪物が悌誉に追いつくほうが速い――はずだった。
ひたすらに真っ直ぐ、我武者羅に突き進む猪の怪物は気付かない。
悌誉と猪の怪物の間に池があるということを。
悌誉が目指していたのはひょうたん池である。猪の怪物が沈むほどの水深ではないが、足を止めるだけならば十分だった。
そして猪の怪物がひょうたん池でもがいている間に、悌誉は詠唱を終える。
「孫家攻式――“積水千仞”!!」
悌誉の両手から放たれたのは、水の柱だった。
膨大な質量の水が凝縮され、大地を荒らす龍の如くうねりを上げて猪の怪物へと進んでいく。その狙う先は、先ほどの一撃で割れた顔の断面だった。
いかに外装が硬くとも内側は脆い。そこを突くことで水の柱は猪の怪物の体を内から破った。
決着がついたのを確認すると悌誉は、しかしまだ警戒を解かず、険しい声で言う。
「――出てこい。誰だか知らないが、見ているんだろう?」
その言葉に誘われるように悌誉の背後から一人の人物が現れる。彼は称賛のつもりで拍手をしながら悌誉に声を掛けた。
「さすがは孫子の推薦者やね、南千里先輩」
現れたのは関西弁で喋る男――正雀犾治郎だった。
「――お前か」
そして悌誉は忌々しそうな目で犾治郎を睨んだ。