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BARBAROI -鬼方の戦士は八徳を嗤う-  作者: ペンギンの下僕
chapter3“*oon *as**e *a*ling”
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始如処女、敵人開戸、後如脱兎

 射手の背後に現れた悌誉は今、その大弓を両手に持った鎖の鞭――破荊双策で絡め取っている。そのまま奪い取ろうとしたのだが、しかし射手の腕力も相当なものでそこまではいかなかった。


「……さすが、あの強弓を引くだけのことはある。大した力だよ」


 悌誉は歯を食いしばりながら言う。悌誉は両手の力で引っ張っているのに対して射手は左手一本だけであり、しかしそれでこの綱引きは拮抗している。

 もちろん、弓が壊れる様子もない。

 しかしそんな称賛をよそに射手は訝しげな目で悌誉を見つめた。


『迂回したとすれば速いが、それはいい。俺は確かに、心臓を射抜いたはずだぞ?』

「…………」


 悌誉はその問いには答えず、射手を観察する。

 青い長髪の、弓道着を着た美人。齢は、悌誉の見立てでは二十代前半というくらいの若さだった。少なくとも学生には見えない。


(こいつも御影の関係者か? いや、そんなことは今はどうでもいい……)


 悌誉は、少しでも気を抜けば引き負ける綱引きに必死だった。

 そしてその時、射手もまた悌誉を観察している。

 悌誉の服の胸辺りには血が飛び散っていた。よく目を凝らすと、服の左胸には穴が空いている。

 つまり間違いなく、射手の放った矢は悌誉の左胸に当たったのだ。しかし今、悌誉はこうしてここにいる。


『質問に答えろ、女。お前、何故生きている?』

「……私の鞭は伸縮自在でね。長く伸ばして服の下で体に巻き付けてたのさ。血は、自分の血を抜いて袋に入れて忍ばせておいた。遠目には、胸を貫かれたように見えただろう?」


 少し考えたが、悌誉は素直に仕掛けを打ち明けた。

 手の内は晒さないほうがいいかとも思いはしたが、ここは下手なことをせず、小細工で防いだと相手に思わせておくほうが良いと判断したのだ。

 それは、下手に矢を掴んだなどと誇張して射手に警戒されないようにするためである。今でさえ凄腕のこの射手がこれ以上に真剣になられると手に負えない。


(始めは処女の如く、敵人戸を開くや、後は脱兎の如く――)


 まずは弱々しいフリをして、敵が気を許したところを見計らって攻勢に転ずるべし、という『孫子』の一節を頭に浮かべながら、悌誉はあくまで慎重に射手を観察する。

 悌誉の見たところ射手はどうも、駆け引きや策略というものが不得手に思えた。

 弓の力量が卓越し過ぎているが故に、捕捉した敵を確実に射抜けば良いと思っているのではないかと。しかし、そう考えるには違和感もある。


(強い相手にはまともに当たらない。そんなのは、少し知恵があれば誰でもやることだ。なのに私のあんな小細工にここまであっさり騙されるとなると、こいつは駆け引きが下手というよりもむしろ――)


 そう考えていた時である。

 射手が急に手の力を抜いた。そして弓を捨てたのである。それまで力を込めて引っ張っていた悌誉は思わず体を大きく後ろに反らしてしまった。

 なんとか踏ん張り、その隙に攻撃されないよう射手を警戒する。しかし当の射手は何もする気配はない。


「……何のつもりだ?」


 悌誉は眉をひそめて聞いた。


『今夜、もうここに用はない。弓手として凌駕されたのであれば矜持が疼いたかもしれんが、策略で遅れを取ったところで悔しくはない』


 射手は淡々と言う。その顔は落ち着いていて、負け惜しみのようには聞こえない。


「弓で私を殺せなかった、という事実は残ると思うが?」

『――そうだな。次にお前を射る時には、鋼をも貫ける矢を使うとしよう。そんな機会があるかは知らぬがな』


 そう言うと射手は踵を返す。

 当然、悌誉はその背に目掛けて破荊双策を振るうが、それは地面から迫り上がってくる巨大な何かによって遮られた。


「まて、貴様――逆瀬川忠江という女の子について何か知っているだろう!?」


 悌誉は必死になって叫ぶ。しかし射手は、


『――その娘は、もうこの世にいない』


 と、底冷えするような声で言った。


『じゃあな、女』

「お前だって女だろうが!!」


 堪らず悌誉が言い返す。しかしその言葉を聞いて、射手は舌打ちをした。


『――黙れ』


 悌誉はその時、今まで射手から感じたことのない殺気を向けられた。その感覚は、かつて悌誉を悩ませた悌誉の中の“鬼”の――復讐を語る時の気配に酷似していた。

 思わず足を止めてしまい、その間に射手の姿はもう見えなくなる。

 そして悌誉の目の前には地面から現れたモノ――漆黒の体を持つ巨大な猪のような怪物が立ちはだかっていた。


「蒼天、聞こえるか?」


 悌誉は胸元の通信札を通して蒼天に話しかける。


『おう悌誉姉、首尾はどうじゃ……?』


 蒼天の声は疲弊していた。まだ熱も回復していないのに限界まで能力を行使したのだから当然ではある。


「悪い、逃げられた。だが手がかりはある」

『そ、そうか……。わかった。今夜はそれで良しとしよう』

「それと――」

『なんじゃ?』


 問いかけられて悌誉は目の前の猪の怪物を見上げる。


「これから怪獣退治が始まりそうだ。本調子じゃないなら先に家に帰っていろ」


 冷静にそう告げた。

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