焱月
仁吉の説明に困っていた龍輝丸だが、やや考えてから話し始めた。
「えっとさ、俺は悪の組織に実験されてたって話は前にしたよね?」
「……聞いたよ」
相変わらず龍煇丸はドライである。
「そうなった経緯がさ、うちの親、どうもその組織に殺されて俺だけ拉致られたっぽいんだよ」
「……嫌なことを思い出すような話なら、やめるか?」
龍煇丸にはそのこと自体を気にしている様子はまったくない。しかし仁吉のほうが、軽い気持ちで名前のことを聞いたことに罪悪感を覚えた。
「別にいーよ。親の顔なんて覚えてないし。というか、拉致られる前のことなんかほとんど記憶にないんだよね。自分の本名もあやふやだし」
「……そ、そうなのか?」
「うん。なーんか、ありふれた名字に珍しくもない音の名前だった気がするんだけどさ。あと、たぶん小学生とかだったから名前の漢字が難しかったと思うけど、それくらい」
さらりと、それが小学生の時の話だとわかって仁吉はさらに後ろめたくなる。そんな仁吉の心情を目ざとく察して龍煇丸は、
「同情とかはやめてくれよ。俺はこれで、今は幸せだし毎日楽しく生きてんだからさ」
と、少し険しい顔をして言った。
そう言われると仁吉にも思うところはあるので、すまない、と素直に謝った。
「で、ほとんど覚えてないって言ったけど一つだけ記憶に残ってることがあってね。拉致られる前に、たぶん母親にお守りみたいなのを渡されたんだ。そして言われたの。今日からあなたが焱月の名を継ぎなさい、ってね」
そう言いながら龍煇丸はポケットから、年季がはいったヨレヨレの赤いお守りを取り出す。さらにその中を開くとそこから小さな布を出した。
その布には墨で「焱月龍煇丸」と書かれている。その布自体がかなり年季の入ったものだった。
「何のことかわかんねーし、継ぎなさいって言われてもどうすりゃいいのか見当もつかないんだけどさ。なんかこの名前だけは名乗っておかなきゃいけない気がするんだ」
「……それは、いつか、それが何のことかを知りたいからか?」
「ま、それもあるね。後は単純にカッコいいからかな」
龍煇丸は軽く笑う。それが強がりでないのが見て取れて、心が強いなと仁吉は思った。
「ま、でも知りたいってのも本当だけど正直あんま期待はしてないんだよね。南茨木の家や崇禅寺にも伝わってない名前っぽいからさ」
「……崇禅寺にもか」
蔵碓の実家、崇禅寺は坂弓の中でも古い歴史を持つ寺だ。といっても正式な建立時期は失伝していて確かではなく、奈良時代から平安時代頃となっているのだが、少なくとも室町時代前期からの記録や文書は確実にある。
「うん。あの寺の住職……蔵碓のオッサンのお父さんがここらの検非違使では一番偉いさんでね。だから崇禅寺にも検非違使やら怪異関係の文献はたくさんあるんだけど、誰もわからないってさ」
「……なるほど。というか、蔵碓がそうだと聞いて薄々察しはしていたが、やっぱり崇禅寺って家ぐるみでゴーストバスターか」
仁吉は子供の頃、蔵碓の父親に、怖いものを見たら崇禅寺に来なさい。悪いものは入ってこれないからと言われたことを改めて思い出していた。
(あれ、本当に言葉通りの意味だったんだな)
そう考えると、蔵碓と幼い頃から一緒にいて、今こういう不八徳関係の騒動に巻き込まれている自分の運命の変遷は実に怪奇だと仁吉は思う。
おそらくそれは偶然なのだろうが、しかし何か不思議な巡り合わせを感じずにはいられなかった。
「南茨木の家も古いんだけどさ、こっちにも何も手がかりはなし」
「そういえば、検非違使で保護された君が南茨木家の養子になってるってことはもしかして……」
「ああうん、南茨木家も検非違使の家だよ。兄貴もゴーストバスターやってる」
「……だよな」
非日常を日常としている人間は意外と近くにいるものだと仁吉は思った。
(クラスメイトから始まって、幼なじみに委員会の知り合いまでか。世界って怖いな)
そう考えて仁吉は、一つ龍煇丸に話しておかなければならないことがあったのを思い出した。
「そうだ、君の名前のことなんだけどさ」
「何、まさか先輩何か知ってるの?」
「いや、そうじゃない。けれどこの間、ほら……学校で騒動があった日だよ。その時に、君のそれと似た名前の相手に……遭遇したんだ」
「似た名前?」
「うん。体育の夙川先生の、前世らしくてね。漢字はわからないけれど……ビョウゲツオウキマル、って名乗ってた」
名前を口にするだけでも仁吉にとっては勇気がいる。
声を震わせながら、仁吉はその名を龍煇丸に教えた。
「なるほど、確かに似てるね。何かの手がかりになるかも。ありがとね先輩」
「それはいいんだけど……。頼むから、必要なしにその名前とか、その時のことを聞いたりしないでくれよ」
「なんで?」
「……怖いからだよ。物の例えじゃなく、殺されかけたからね」
そう言いながら仁吉は、凰琦丸との戦いが頭を過って全身を震わせる。それほどまでに深く、凰琦丸との戦いは仁吉の魂に恐怖を植え付けていた。
「あぁ、もしかして先輩。だからあんなにボロボロだったの?」
仁吉は頷く。その目は龍煇丸を、それなのに容赦なく殴りやがってという恨みを込めて睨んでいた。
「そいつとは、万全の状態でやったの?」
「……そうだよ。それもこっちは二人がかりだ」
「いいなあ、片手に満身創痍でもあんだけ強い先輩が、万全で味方もいて、それでもズタボロにされる相手か」
龍煇丸の口元が歪んだ。
その顔はとても楽しそうで、つり上がった口元は鬼が笑ったようである。
「そいつと戦ったら、すっげぇ楽しいんだろうな」
「……実物と対峙して同じこと言えたら尊敬してやるよ。そんな機会、ないだろうけどね」
最も仁吉としては、例え自分がいないところだとしても凰琦丸にもうこの世に現れては欲しくないというのが切なる願いである。




