朱染の花を虎が呑む
仁吉と琉火が演奏を聞いているうちに、いつの間にか正午を回っていた。
流石に二人ともそろそろ空腹に耐えられなくなったので出店を回って昼食を取ろうという話になった。
「南茨木さん、何か食べたいものとかあるかい?」
そう聞かれて琉火はパンフレットを見る。
そして暫くしてから、『青空ラーメンストリート』と書かれているコーナーを指差した。
「こことかどうですか?」
「いいよ。南茨木さん、ラーメン好きなのかい?」
「ラーメン嫌いな人ってあんまりいなくないですか?」
「それもそうだね」
そして二人はその場所――『青空ラーメンストリート』へと向かった。
道中、仁吉と琉火は先ほどの演奏の曲やアーティストの話をしている。
「榛ちゃんたちがやってたのは全部、ナノってアーティストさんの曲ですね。一曲目が“INSIDE MY CORE”、二曲目が“CATASTROPHE”、最後が“MY LIBERATION”です」
「全部カッコいい曲だったよね」
琉火への気遣いやバンドの中に知り合いがいたという理由だけでなく素直な感想として仁吉はそう思った。アルバムを買ってみようかという気にさえなっている。
「でも私が一番好きな曲は今日はやってくれなかったんですよね」
「なんて曲なんだい?」
「“FIGHT SONG”って曲です。私のスマホに入ってるんですけど聴きますか?」
「ちょっと気になるね。折角だから聴かせてもらおうかな」
仁吉がそう言うと琉火はコートからイヤホンを取り出し、スマホに差して仁吉に渡した。その曲はやはり、先ほど聴いた三曲と同じくテンポの速い、格好いい系統の曲だった。
しかしそれと別に、原曲を聴いたことでふと仁吉は気づいたことがある。
「ねえ、もしかしてナノさんってさ、INFERNOって曲とか歌ってたりしないかい?」
「先輩、よくご存知ですね。特撮シリーズの挿入歌ですよ。もしかして特撮好きだったりします?」
「まあね。なんか、劇中で印象的な場面で流れてて、声が似てるなと思って」
「へぇ、先輩って――耳がいいんですね」
それは素直な称賛の言葉のようである。
しかし仁吉にはどうにも、何か含みがあるように感じられた。
「あーあ、しっかし榛ちゃんたちが出るって知ってたら“FIGHT SONG”リクエストしておいたのに」
琉火は少し残念そうにしている。
「あれ、知らなかったのかい?」
「はい。バンドやってるのも初めて知りました」
「そういえば僕もだね。綰さんと桜井くん――ギターとベースの子なんだけど、知り合いなんだけどバンドやってることはおろか、接点があることさえ知らなかったよ」
もっとも仁吉にとってはどちらも、会えば話すし関係はそれなりだが肝胆相照らす仲というほどではない。知らないことがあっても当然ではある。
「特にボーカルの榛ちゃんなんて、普段は大人しい子なんで人前で歌ったりするイメージと全然ないんですよね」
「人間、案外そういうものなのかもね。探せば誰にも意外というか、普段の印象とまったく違う一面みたいなものを持ってるのかもしれないよ」
「じゃあ――先輩にもあるんですか、そういうの?」
立ち止まり、真っ直ぐな言葉で聞かれて仁吉は一瞬、心臓を撃ち抜かれたような気分になった。
琉火は変わらず笑顔を浮かべている。しかしその目は真実を映し出す鏡のように自分の奥底を見透かされているように思えたのだ。
「……そうだね。まあ、あんまりいい人間じゃないよ、僕は」
仁吉は、少なくとも周囲にはそれなりにいい人だとか真面目だと思われている。仁吉自身はそう思っている。
それは事実で、仁吉を指して不真面目だとか不良などと言う人間はまずいない。
しかし周囲のそういう評価は自分に当てはまらないとも仁吉は思っている。
「そう言われると気になりますね。悪い人な先輩っていうのも、少し見てみたくなります」
「……僕はあんまり、自分のそういう部分は出てきて欲しくないんだけどね」
仁吉は険しい顔をした。
そんな仁吉に気を使ったのか、琉火は話題を変えるかのように走り出す。
「ほら先輩、早くラーメン食べに行きましょうよ。私もうお腹ペコペコです」
その走る背を見て仁吉は――。
(……なんだ、そういうことか)
ようやく、朝からの自分の違和感の正体に気づいた。
『青空ラーメンストリート』に着くと、そこはその名の通りにラーメン屋台がびっしりと並んでいた。石畳の広い歩道の左右に醤油、トンコツ、塩、味噌など多様な種類のラーメン屋台から、まぜそばや担々麺、つけ麺の店まである。
仁吉は塩ラーメンを。
琉火は激辛まぜそばを買ってきて近くのテーブルに向かい合って座る。昼時ということもあって一帯は特に込み合っていた。
二人は自分の買ってきたものを無心で食べている。特に琉火は辛さが売りの店の激辛まぜそばの中でも一番辛いものを買ってきたのだが途中で水の一杯も飲むことなくにそれを感触した。
そして食べ終えるとあらかじめ買ってきていたペットボトルの水を口にする。
「ふー、おいしかった。でも、麺類にしたのは失敗だったかもしれませんね。食べるのに夢中になっちゃって全然お話し出来ませんでしたし」
「そうだね。それで、聞きたいんだけどさ」
仁吉も食べ終わったのでドンブリの上に箸を置くと、鋭い目つきで琉火を見た。
「一体、何が目的なんだい――エンゲツリュウキマル?」
そう言われて彼女は――。
「へぇ、よく分かったね」
口元に、それまでの琉火からは及びもつかないような獰猛な笑みを浮かべた。