sindbad the Sailor_2
「正雀君じゃないか。君も今帰りかい?」
「ああ、茨木クンやないか。ボクはてきとうにぷらぷらしてただけやけど、茨木クンは生徒会の用事?」
「まあ、そんなところだよ」
眼鏡を掛けた糸目の青年。人当たりがよい、というよりも、にこにことした笑顔が張り付いているような彼の名は正雀犾治郎。関西弁なのは、親が西の出身なので、ということらしい。
「しかし茨木クンとはクラスが違うなってもーて寂しいわー。烏丸クンらは一緒やのにな」
「僕たち、そんなに親しい間柄じゃないはずでは?」
「そんなすげないこと言わんといてくれん?」
「いやだって実際そうじゃないか。文化祭の時くらいしか話した覚えないけれど?」
「それもそうやね。まあ、ボクあんま社交的なほうちゃうし、関西弁喋るからゆうておもろいこと言えるわけでもないしな」
「僕、そんなことを求めたりしたっけ?」
「茨木クンはないよ。けど、こんな喋り方しとるとよぉ言われんねん。なんかおもろい話してーやー、てな」
「正雀君も大変だね」
関西人は何を話しても面白い。口から生まれてきたような人種である。漠然とそういう印象があることは泰伯にもわかるが、犾治郎はあくまで親が関西人なだけである。そもそも、泰伯は住んだことがないのでわからないが、別に関西人といえど十人が十人とも愉快というわけではないだろうとも思う。
それなのに、方言だけでそういうことを言われ続けるというのは大変だろうと素直に思った。
「ま、もう慣れたよ。でもまあせっかくこうして茨木クンと話せたんやからなんかおもろい話出来たらええねんけど、今思い付くこというたら、船乗りシンドバッドの話くらいしか思い付かんな」
「船乗りシンドバッドって、アラビアンナイトのかい?」
思いがけない単語であった。
「やと思うで」
「それはまた、意外なチョイスだね。ディズニーのほうかい? それとも純粋に原典の話?」
「ちゃうちゃう。たぶん由来はそれやろうけど、鳥に捕まって谷底から脱出したとかいう話しようゆうんやないで。この学校に出るらしいんや。そう呼ばれる何かが」
「不審者では?」
率直に泰伯はそう感じた。
今日日、小学生でも自分のことをそう呼ぶ人物に会えばその手は防犯ブザーへ急降下することだろう。まして高校生を相手にそんなことを言う人間は、性別を問わず犯罪者予備軍だろうし、生徒がそう名乗っているならば遅れてやってきた中二病だ。
「ま、ボクもそう思てんけどな。この話の不思議なとこは、誰もそいつの顔を知らんし――誰も、そう名乗ったゆうんを聞いたことないらしい、ってことや」
「なるほど。自称じゃなくて、誰かがつけた渾名ってわけか。それで、そのシンドバッドとやらは普段何をしてるんだい?」
「さあな。ただ、男女問わず、噂になっとるのは色々聞くで。図書館に出入りしとるとか、ひょうたん池で魚釣っとるとか、夜な夜な学校に現れて悪の組織と戦っとるとかな」
「急にスケールが大きくなったね。まあ、噂なんてそんなものか」
それなりに興味深いな、と感じた。少なくとも泰伯は今まで聞いたことのない噂話である。日輪と孝直はともかく、彷徨は流行りものや噂話が好きな部類だが、その彷徨の口からも聞いたことがないので、もしかすると話題にしている人間はほんの一握りなのかもしれない。
「ああ、あとはそうやな……。確か、旧校舎の管理人の亡霊で、あそこに生徒が迷い込まんように監視しとる、ってのもあったかな」
「……旧校舎ね。あれ、いつまであのままなんだろうね?」
旧校舎とは校庭の端のほうにある二階建ての木造の建物のことである。教室数は各階十ずつとそれなりに広いのだが、老朽化に伴って今の校舎が作られてからは立ち入り禁止となっていた。
そもそも坂弓高校は、古くは江戸時代に坂弓伝舎という宿場であり、ある浪人がそこで寺子屋を始めたのが由来らしい。そのまま明治、大正と残り、戦火で燃えることもなく使われ続け、十年前までは校舎として使われていた。
しかし今の校舎が出来たことで用済みとなったのだが、歴史のつまった建物を取り壊してしまうのはどうかという話になり、補修して郷土史料館にしてはどうか、という話が挙がったまま、予算やその他の許諾の関係で実行されずに今日に至るらしい。
「ただ取り壊すのがもったいない気持ちはわかるけど、目処も立たないまま放置するのは色々な意味で危ないんだよね」
「せやな。毎年、新学期と夏はやれ探索や肝試しやゆうて、立ち入り禁止の柵越えて入っていくアホがおるらしいしの」
「……去年の彷徨が正にそうだったよ」
泰伯はその時のことを思い出して頭を抱えた。
当時、放課後に教室に荷物を残してどこかへ行った彷徨を日輪、孝直と共に探していた泰伯はもしやと思い旧校舎の辺りを探すことにした。ちょうどその時、旧校舎の中から彷徨が出てきて、運悪くその場を風紀委員の顧問に見られてしまったのだ。
「あっはっは、彷徨クンはほんとにそのあたりの期待を裏切らんな。ボクらが思い付く、アホがやりそうなアホなことはだいたいやっとんちゃうか?」
「まあやってるね。しかしあの時は散々だったよ。夙川先生に叱られて、しかも次の日が部活の体験入部だよ。やってもいない悪事のせいで初日から顧問に目をつけられる気分はもう味わいたくないね」
「よりによってあの鬼顧問に捕まったんか。そりゃ災難やったな」
「そのあだ名はやめなよ。素行に問題がなければ普通に優しい先生だからね?」
「まあせやな」
「というかそのシンドバッドって、もしかして風紀委員の隠語だったりしない?」
話しながら、泰伯はふとそう思った。
「まあ、噂の最後だけ聞けばそれっぽいわな」
「今日も風紀委員はあのあたりを警戒してるだろうからね」
新学期早々、頭が下がると泰伯は思う。
同時に、余計な世話とわかりながら、心配になることもあった。
風紀委員は委員会の中で唯一、委員長が二年生なのだ。しかも委員といえば、委員長と副委員長の二人しかいない。
坂弓の委員会における人員は、各クラス毎に数を決めて選出してもらうわけでなく、委員長が副委員長を選出した後、その二人に顧問を含めた三人で相談して一年間の必要人員数、およびその人員の中での男女比を決める。そして委員会として募集をかけるのだ。募集を見て集まった生徒を実際に委員会に加入させるかどうかは委員長と顧問の裁量の範囲内となっている。
そして風紀委員会は、その募集に応募した生徒が一人もいなかったのだ。
「そういや泰伯クン、風紀委員長とは知り合いなんやろ? 陣中見舞いでもしたったらどうや?」
「陣中見舞いって、そんな大げさな」
犾治郎の言葉選びには、時代劇の観すぎだろうかと思いつつ、そのアイデア自体は悪くないと思い、泰伯は旧校舎のほうへ向かうことにした。