feather into the river
蒼天の鬼名解魂によって形成は逆転した。
兵士一人単位の強さならば悌誉の骸骨の兵士のほうが上だが、数で上回り、チャリオットに乗っているという点で蒼天のほうが大きく有利である。
しかしそれはあくまで今のところは、である。
今戦っているのはあくまで悌誉と骸骨の兵士だけで、悌誉の背後に控える炎の巨人は動いていない。
どんな能力を持つのかが未知数であり、仮に特別な能力などがないとしてもただ剣を振るうだけで蒼天の兵士の多くは蟻の群れのように蹴散らされてしまうだろう。
そして――。
「楚王、楚王、楚王ッ!!!! 滅べ、亡べ、途絶えろ!! 呪われし血、蒙昧な王、暴虐の統治者よ!! その王家の片鱗、血の一滴すら残さずに地上から消え去るがいい!!」
蒼天が鬼名を名乗ったことで悌誉の理性が完全に失われた。
今まではまだ悌誉に躊躇いがあった。少なくとも蒼天に対しては、殺したくないという情けがあった。
それは今を生きる南千里悌誉としての意志であり、三国蒼天という少女へ向ける思いである。
だがそれはもうない。
今はただ、伍子胥という復讐鬼の魂が、楚という国とそれに連なる君主に対して怨みをぶつけているだけだ。
『あのさ、今さらだけどこれでよかったのかい?』
「何がじゃ?」
『君の……鬼名カイゴン、だっけ? それを使ったことさ。戦略的に有効というのはわかるよ。だけどヤスヨさんの苦しみに拍車をかけてるようや気がするんだけれど?』
今の悌誉は見ていて痛々しいと泰伯は思う。
「というか何がどうなって何なんスか? ゴシショとかソーオウとかキメイなんとかとか!! 私だけ蚊帳の外で会話すんのやめてもらえないッスかね!!」
そして桧楯は自棄になって怒鳴っていた。
「うむそうじゃのすまぬ。ヤスタケどの、簡潔に説明ヨロ」
『えっと……。ヤスヨさんの前世の仇の祖父が三国さんの前世で坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態、ってところかな?』
「つまり末代まで恨むの逆ってことッスか?」
「まあだいたいそんな感じじゃ。仇討ちやるなら族滅までとか紀元前の価値観なら常識じゃしの!!」
「嫌な常識ッスねぇ……」
桧楯はうんざりとした顔をしている。
一応、今の蒼天と桧楯は多くのチャリオットと兵士に囲まれた中にいるので泰伯よりは余裕があった。
『しかし……。これは、前世に呑まれてるって感じだよね? 聞きたいんだけだ君たちって前世のことをどのくらい覚えているものなんだい?』
「人それぞれじゃの。余はかなり色々と覚えておるほうじゃが、晩年にあったような精神の成熟性はないし、そもそも前世は男じゃが性自認は普通にJKじゃ」
「アクションゲームでキャラのレベルはマックスのまま操作テクだけリセットされたような感じッスか?」
「……すまん、よくわからん」
蒼天は今までゲームというものをほとんどやってこなかったので桧楯の例えは伝わらなかった。
『人それぞれか。なら悌誉さんは――』
「かなりぐちゃぐちゃなんじゃろうな。特に人格については、完全に前世のままというわけではなくむしろ別人じゃ。なのに、伍子胥という男の怒りを強く引き継いでしまったのであろう」
それを切り離すために悌誉が起こしたのが今回の事件だ。しかし悌誉は、結局前世から逃げ切れなかった。
「その上で先ほどのヤスタケどのの問いに答えよう。これでよい」
『その心は?』
「ここが分水嶺じゃ。余らの前にいるあれが、今世の生を伍子胥として生きるか、南千里悌誉として生きるかという、の」
蒼天は厳しい目で悌誉のほうを見つめる。
「輪廻を破壊して悌誉姉を救う、というのはナシなのであろう。ならば余らは戦うことで追い詰めて決断を迫ることは出来ても道を決めさせることは出来ぬ。それは悌誉姉が選ばねばならぬものじゃ」
蒼天は自分の感情というものを極力取り除いて話している。泰伯と桧楯はそれを黙って聞いていた。
「復讐など虚しいだけだとか、殺された者はそんなことは望んでおらぬらはずだとか、そんな陳腐なことを言うつもりはない。余に語る資格がないという話ではなくの。しかし、いかに理不尽を受けようと、復讐という道に進むのであればその者は――怒りのままに突き進んだ果てにあるものを受け入れる覚悟をせねばならんのじゃ」
「怒りの果てにあるもの……ッスか?」
「そうじゃ。破滅と、そして――それは新たな復讐の種を蒔くことになるという覚悟じゃ。不条理に人生を歪められ、それに抗おうとすると大いなる怒りによって他の誰かの人生を歪めてしまう」
復讐は新たな復讐を生む。己の身を滅ぼし、無関係な他人の幸福を奪い去る。だから耐えねばならない。
それは正論だ。そして、それを怒りで塗り潰し踏みつけていく者が復讐者となる。
「じゃが今の悌誉姉にはその覚悟がない。前世の残滓のような感情に流されるままに怒りを振り撒いておる。それを良しとするか。それとも、輪廻の破壊などという手段に逃げずとも歯を食い縛って耐えるかは悌誉姉が選ぶことじゃ」
変わらず泰伯と桧楯は黙って聞いている。しかし桧楯は肩を震わせ、歯を強く噛み締めていることに蒼天は気づかなかった。
「耐えるならばそれでよい。しかしもし悌誉姉が前世の怒りに任せてしまうことがあれば……」
と、蒼天がそこまで言った時だった。
「話が――長いッス!!」
火山の噴火のような叫びをあげて、桧楯が蒼天を楯で思い切りぶん殴った。