尊王攘夷
蒼天の覇者に対する反応に、確かに泰伯は頷けるところはあった。
春秋時代における覇者とは、「尊王攘夷を信条とする者」を指す。春秋時代は周という王朝が諸侯の上に君臨していた時代である。
しかし周は成立から時が経っていて既に諸侯の上に立って支配する実行力を持っていなかった。それどころか支配下にない諸民族に脅かされ、首都を追われたことすらあった。
しかし周配下の諸侯は多くが元を正せば周の王族出身者か、周建国時の功臣の子孫である。故に力はなくともその存在を尊重する気風はあった。
こうした時代の中で力を持ち、周『王』を『尊』び、周に害なす諸民族――『夷』を『攘』う諸侯の盟主を指して覇者と呼ぶ。
そして確かに、その観点からすれば荘王は覇者ではない。むしろ楚という国は、周以外に王号を持つ国のない中で王号を自称し、周を支持する国々に攻められつつもこれを撃退してきた国である。
(確かに五覇はどちらかというと春秋時代の強国の君主、くらいの意味合いが強いけど……。しかし、そうなると彼女はいったい……?)
そこで泰伯にある疑問が生まれた。
(シンドバッドは不八徳のことを夷と言った。そして犾治郎は、それと対になる者のことがハッコウケンとやらだ、みたいな言い方をしていた)
泰伯は尊王攘夷という思想が元は春秋時代のものであると知っていた。だから夷を攘うハッコウケンは覇者かそれに連なる者の力ではないかと考えていた。
しかし蒼天は『鬼名』を名乗った。
(鬼と言うと……ここでならたぶん、鬼方のことだろう)
古く中国では未開の地のことを鬼方と呼んだ。それは未知の人種を鬼と蔑み、彼らが棲む地であるが故の呼称だ。
だとすれば鬼名とは夷としての名を持つ者を指すのだろうと泰伯は考えた。
(けれど、ならば……三国さんは本当にハッコウケンなのか? それとも――)
そこまで考えたところで蒼天の声が泰伯の耳朶を強く叩いた。
『何をやっておるヤスタケどの!! あまりこちらも猶予はないのじゃ!!』
「あ、ああそうだねごめん」
考察はここで止めて、まずはこの戦いを生き残ることを考えよう。そう決めて泰伯は換装を解き再び戦闘用のそれに作り替えた。