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BARBAROI -鬼方の戦士は八徳を嗤う-  作者: ペンギンの下僕
prologue2 “*lac*s*i*h in my soul”
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shadow wind

断ち斬るは 迷い

貫くは 誓い

 静寂の支配する朝の剣道場。

 家の敷地内にあるこの場所で毎朝、形ごとにわけて竹刀の素振りを行うのが彼――坂弓高校に通う彼――茨木泰伯(いばらきやすたけ)の日課の一つとなっている。上下、斜め、正面と各百本ずつ、集中して行うのだ。

 今の季節はまだ春で、朝の五時半なので空気も冷ややかだ。しかし、すでに泰伯は額に汗をかいている。誰に課せられたわけでもなくて自分で決めた本数であり、これをやらなければ落ち着かないのだ。泰伯はもう三年間、冬の寒い日も夏の暑い日も、冷暖房のない道場の中でこの鍛錬を行っている。

 すべてやり終えて時間は午前六時ほどになっている。

 泰伯にとってはこれでようやく準備運動が終わったところなのだ。

 この後に行うこと。正確に言うならば――現れるモノ。それこそが、泰伯の朝の鍛錬の本番なのである。

 タオルで汗をぬぐい、軽く水分を取ると、泰伯は素振り用の竹刀を壁の竹刀掛けに戻した。そしてその上段に掛けてある木刀を手に取り、右手一本で持って構える。木刀を地面に水平にし、体を半身にしながら正面を見据える。

 そうすると、現れるのだ。


「さぁ、今日は、お手柔らかにしてくれよ」


 泰伯の構えた木刀の切っ先。虚空の中から空気が蜃気楼のように歪み、やがて黒い旋風のようなものが吹いて人型を形作る。そうして、影法師が動き出したかのような剣士が顕現するのだ。

 周囲に他の人間がいても、それを見ることは出来ない。これはあくまで泰伯にのみ見える鍛錬相手だ。

 泰伯はこの、自分にだけ見える仮想の剣士を「無斬(むざん)」と呼んでいる。

 泰伯に無斬が見えるようになったのは一年ほど前からだ。しかし、その存在自体は剣の師匠でもある泰伯の父から教えられていたことでもある。


『剣の道を探求すれば、その過程で、己の内より湧き上がる敵と相対することとなる。それが出来ねば、一人前にはなれない。その姿は、あるいは己自身の写し身かもしれんし、己の考えられる上で最も強き者の姿かもしれない。それと対峙し、打ち勝てるようになれ』


 最初に言われたころは、意味が分からなかった。何せ泰伯の父が教えたことと言えばこれだけで、具体的なことは何一つ口にしなかった。

 それでも泰伯なりに試行錯誤しているうちに、ふと見えるようになったのがこの無斬なのである。

 もっとも、わかりやすい切欠や特筆するような何かがあったわけではない。未だに泰伯にとっても、なぜか、いつの間にか、見えるようになっていた、程度の認識なのである。


「……今日も、応えはなしか。ま、当たり前と言えばそうなんだけれどさ。じゃあ――いくよ、無斬」


 そう言って泰伯は無斬に向かっていく。

 使うのは、剣道ではない。無論、基本の動きに剣道はあるが、剣道では反則となる、面、胴、小手、喉以外への攻撃も当然のように行う。隙さえあれば、剣を使わない足払いすらも。

 もっとも、それが有効打になったことは今まで一度もないのだが。

 泰伯はいまだ一度も無斬に勝ててはいない。しかしこれでもここ数か月で善戦できるようになったほうで、最初のほうは一撃すら当たらず、無斬は剣を振いすらせずに足さばきだけで巧みに泰伯の攻撃を躱し、無理な動きを強いて重心が崩れるように仕向けて床に転ばせていた。

 しかしそれでも、数か月して、初めて泰伯の剣が届きかけた時のことである。泰伯にとって驚くべきことが起きた。泰伯の剣を、無斬が剣で受け止めたのである。

 どこまでいっても無斬は空想の敵で、虚無から生じた幻影で、そこに質量などあるはずがない。しかし受け止められた剣はどれだけ力を強くこめても、それ以上先へ振り切ることが出来ないのだ。

 それは一度だけではない。

 そして、それだけではない。

 無斬の剣で突かれれば体が後ろによろめき、足を払われれば倒れる。そして突かれたり払われた部位に痛みさえ感じるのだ。

 父に聞いても何も教えてはくれなかった。

 武道を習っているという友人にこの話をしてみると、それらしい答えをくれた。


『それはつまり、そこまで含めて仮想の敵としての再現なのではないか?』

『どういうことだい?』

『つまりだな。頭の中で、動き、躱し、斬りかかってくる敵を生み出す。しかし、試合であれ稽古であれ、そこに痛みが伴なければ修練とは言えないと茨木の体はわかっている。だから、打たれたら痛みを感じたように体が錯覚するんだ』

『プラシーボ効果みたいな感じかい?』

『おそらくな。そして同様に、剣を受け止められたら剣が止まり、足を払われたら体がよろめく。それらは、そこにいない相手からの作用のように見えて、実は茨木の無意識にある……そうだな、当たり判定みたいなものが、そういう攻撃を受けたのだからその通りに不利にならなければいけないと判断して体を動かしているのではないか?』

『なるほど。筋は通るね』


 つまるところ、筋書きなしのパントマイムをやっているようなものではないかというのがその友人の所感であり、そう考えると自分が道化のように思える。

 だが有意義な意見ではありこの不可解な現象への説明として理に適っているとも思う。しかし実際に毎朝対峙していると、やはりそれは違うように思えてならない。

 もっとも、答えが欲しいのかというと、実のところ、別にわからなくてもいいというのが泰伯の正直な感想だ。

 泰伯にとって大事なことは一つだけ。

 強くなるために有意義かどうか。

 そして、日々の稽古、試合の中で泰伯は自らの上達を実感している。ならば、無斬の正体が何であるかは問題ではなかった。

 そして今日も、泰伯は無斬には勝てなかった。あと少しで喉元に突きを叩き込めるというところで、それよりも僅かに早く、無斬の剣が泰伯の横腹を薙いだのだ。

 そして戦いが終わると無斬は霧のように消えていく。毎朝、先にどちらかが相手に一撃をいれればそれきり。それがこの鍛練のルールだった。

 無斬との勝負が終わると、泰伯は最初にしたのと同じ数だけ素振りを行う。無斬との戦いは剣道とは異なるため、その稽古のせいで崩れた型を覚えてしまわないようにだ。

 素振りを終えてリビングに行くと朝食が出来上がっていた。ご飯と味噌汁、そして目玉焼き。ありふれた、それだけに安心感のある献立がほとんど毎朝並ぶのが茨木家の朝の日常だった。


「あ、お兄ちゃんおっはー。朝練終わったー?」

「おはよう、玲阿(れあ)。今日も無事に終わったよ」


 リビングでそう言ってきたのは、妹の玲阿だ。礼阿はすでに朝食をほとんど食べ終えている。


「早いね。もういくのかい?」

「うん。新しい学校楽しみでさ」


 玲阿は泰伯の一つ下で、今日から坂弓高校の一年生になるのだ。


「なるほどね。まあ、気持ちはわかるよ」

「でしょでしょ。んじゃ行ってきまーす」


 会話をしている間に、気が付けば玲阿は朝食を平らげ皿を流し台にかたずけていた。そして開いている椅子に置いてあったスクールバッグを手に取って玄関のほうへと向かっていく。


「気を付けて行くんだよ」

「わかってるよー。いつまでも子供扱いしないでよね」


 そう言ってそのまま出て行こうとしたが、そこで何かを思い出したように足を止めた。


「あ、そうだ。今日の夜は私、よっちゃんたちとごはん食べてくるからいらないって言っといてー」


 それだけを言い残して嵐のように家を出た玲阿を見送ると泰伯も席に着いた。


(ところで、よっちゃんって誰だろう?)

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