4.4.5.現世での独白
現実世界へと戻って機関へ行くと、洞窟から持ち出した鉱石を職員に提出した。後はそれが鑑定されて向こうの言い値に同意するだけだ。
荒磯は窓口の前のベンチに深く座り、腕を組み、目を瞑って体を休めながら自分の番号が呼び出されるのを待った。
うつらうつらとし掛かる意識の上には、今回の神界での出来事が自然と浮かび上がっていた。
別れ際にソアラは言った。
──アライソよ、貴様にはどこか迷っているような、悩んでいるような節が見受けられる。腕はある癖に自信がなさそうに見える時がある。その理由を聞き質そうとは思わぬが、どうせ下らないことじゃろう。
否定的に断言されてむっとして、
──ええ、どうせ下らないことですよ。
不貞腐れたような返事にもソアラは真剣な面持を崩さず、
──真面目な話じゃ。何を迷っているにせよ、大切なのは自分がどう思っているかだ。貴様は何を悩んでいる。それをどう思っている。どう考えている。どのように認識しているのだ。
荒磯は黙り込み、そして意を決して言った。
──私は、人間です。貴女方のような清らかな神人とは違い、罪を犯さなければ生きていけない人間です。塔に登った時に言ったように。私はあの時、貴女と別れた後に魔物と話をしました。その時にも考えてしまったのです。罪を犯す存在という意味で、人間も魔物も同じものなのではないか、と。私も魔物と同じなのでは、と。
ソアラは長く息を吐き、
──何を。馬鹿な。そんなこと。その答えは塔で言ったのと同じじゃ。貴様は魔物などではない。塔で言った通りにな。いや、そのように言い切ろう。何故なら我は貴様を魔物の同類とは見ておらん。少なくとも我は貴様をそのように認識しておる。
──しかし貴女がそう思っているからと言って。
──何度も言わすな。大切なのは自分がどう思っているかじゃ。貴様は人間と魔物が同じものだと思うのか? 貴様は自分が魔物であると思うのか?
──いえ、私は、人間です。魔物などではありません。
──そうじゃろう。人間であって魔物ではない。それに今、貴様は人間と魔物が別物であると認めたな?
──それは、まあ。論理の上では。
──それが最も重要なところじゃ。貴様は人間と魔物を別のものだと認識しておる。そして自分を人間であると認識しておる。それが答えじゃ。自分自身をどのようなものだと認識するのか。どのような存在だと定義するのか。貴様が自分を人間だと言うのであれば、貴様は人間じゃ。それ以外ではない。
──ええ。
──話は変わるがそれでは貴様は我を何と呼んでおる。
──それは、ソアラ将軍、と。
──然様。そうじゃろう。それと同じだ。貴様が我をソアラ将軍と認識してそのように呼んでいると同じく、貴様は人間だ。
──ありがとうございます。……もう少し、納得するまでの時間を下さい。
──よいわ、そんなもの。我が時間をやるもやらぬもない。全ては貴様の問題じゃ。
そんな遣り取りを交わした。
荒磯は機関のベンチで思い出そうとするのでもなくその遣り取りが思い返されていた。神界の尊い神品を現金へと替えるこの汚い場所でそんなことを考えてしまっていた。省みるにせよ、せめて家でしたかった。こんな場所では悪い結論しか出せそうになかった。
アナウンスのベルが鳴り、彼の番号が呼び出された。荒磯は重い腰を上げて窓口へとしぶしぶ行った。
窓口で示された鑑定の結果は酷いものだった。これまでにないほど安い値段が付けられていた。一万円にもなっていない。これでは今月もう一度神界へ行っても家賃も払えない。
だがこの金額もある程度は予想していた。女神の加護がなくなったからだ。金銭的な、経済的な、そうした恵みはもう受けられないと覚悟していた。それでもここまでとは思っていなかった。
しかし荒磯は眉一つ動かさずに領収証にサインをし、汚い金をポケットに突っ込んで機関を後にした。
自宅までの帰り道、罪の詰め込まれた左のポケットが重かった。
──だがしかし、
と彼は思った。魔物との会話で自分が言ったことは本心だ。その場限りの魔物を言い包めるためのものではない。
──人間は生きるために罪を犯す。生きるためには避けられないからだ。望んでやっているのではない。それが人間の本性ではない。
そして思う。
──だからと言って罪を犯すという事実から目を逸らしてもならない。罪のない存在だなどとは思わない。
人間は罪を犯して生きて行く。その事実を直視すべきだ。自分自身が罪あるものだと自覚して、その上で自分を人として認めよう。
──人間は決して綺麗な存在などではない。穢れを負いながらも、それでも、
荒磯は魔物に言った言葉を思い出した。
──それでも人は神を見る。私はあの女神を見る。女神の御心のままに。彼女の心と自分の望みが一致する、そんな生き方をして行こう。自分が人間であると認識し。
荒磯は自分の体が罪で穢れているのを知りながら、それをも含めて自分を人だと認めようと心に決めた。
現実世界の自宅、狭く汚いアパートの一室、薄暗く塵埃に埋もれた住処へと向かうその足取りは確かであり、重くはなかった。
十日の後には北方へ。