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4.4.1.西の果て

 宝塔を降りたアライソとソアラは西方への道を()いだ。脇目も振らず、擦れ違う袋子(ふくろご)らを片手間に処理しながら一直線に駈けて行った。一昼夜も掛からなかった。一つの夜を駈け抜けて「朝」になるのと同時に西の果てへと、西海岸へと到着した。


 既に黒雲は去り消えて空は(あか)く晴れ渡っていた。しかしその場には何となく嫌な空気が残留していた。肌で感じる気配だけではない、それは目で見える周囲の景色からも胸に生じさせられた。


 地上は惨憺たる有様だった。見渡す限りのあらゆる木々は太い幹の真ん中から薙ぎ折れて痛々しい断面を晒していた。真っ直ぐに立っているものは一本もない。砂を被った岩々は砕けて尖っていた。破片が随所に散っている。土は裏返されて至る所に小山を作り、切り裂かれた深い谷が地面に亀裂を走らせていた。


 あの立ち去った龍の仕業だった。塔から見た白龍が、この地を荒廃させたのだ。


 そして荒々しい風の吹き通る、倒木や礫岩の合間には、それらに紛れて倒れ込む大勢の兵士達の(かばね)があった。横たわった樹に引っ掛かっているものがある。岩の上で腹を晒しているものがある。胴が(ねじ)じれて上半身と下半身が別の方向を向いているものがある。首だけになったものがある。胴体だけのものがある。


 酸鼻にアライソは口を押さえた。何も言えなかった。


 その横からソアラはふらふらと歩き出し、けたたましい奇声を上げたかと思うと、ふっと静かに落ち着いて、威儀を張って大声を出した。


ソア「おう! おう! お前達、よくやった! あの龍()を追い払ったのだな! 褒めて遣わす!」


 それに応える屍はない。


ソア「よくぞこの地を守り抜いた! 神兵の誉れじゃ!」


 讃美は(むくろ)の間に響き渡った。音声(おんじょう)は虚しく周囲に溶け行った。沈黙のみが返って来た。


ソア「ええ、おい! 返事をせい! お前達を称えているのだぞ! 無視をするな!」


 だが誰が何を応えると言うのだろう。


ソア「まったく、無礼な連中じゃ」


 カツカツと足を運んで行き、一つの遺体の元にしゃがみ込むとそれを抱えて、


ソア「返事をせい。失礼な奴じゃ」


 その死体は持ち上げられた衝撃からか、さらさらと崩れて光の粒へと散って行った。


ソア「おい! どこへ行く! いなくなるな!」


 大きな溜息を吐いて振り返り、


ソア「おい、アライソ。言っただろう。こいつらは我の言うことを聞きはせん。無礼な奴らじゃ」


 それから立ち上がって大声を張り上げ、


ソア「龍は去ったぞ! お前達の働きじゃ! 褒めて遣わす! 立ち上がって列を成せ! お前達の首領、ソアラ将軍のご帰還じゃ! 礼をもって迎えろ!」


 そうした命令を聞く遺骸などがあるものだろうか。


 しかしソアラは兵士らの屍の間を歩き回っては大声で騒ぎ立て、意気軒高に次々に命令を下して行った。


ソア「ええ! いい加減にせい! 無視をするな!」


 一つの死体を乱暴に抱え上げた。それもまた光の塵となって空気に溶けるように消え失せた。


ソア「またいなくなる」


 三度ソアラは別の死体を持ち上げようと手を伸ばした。


アラ「やめて下さい!」


 彼女の腕を取って引き留めた。


アラ「死んでいます。彼らは、全て。もう死んでいます」


ソア「何を?」


 振り返った彼女の眉間は怪訝そうに歪んでいた。だがその眉の下、両目は焦点が合わずにそれでも爛々(らんらん)と輝いて、一目で察する、彼女は正気ではなかった。


ソア「神兵は無敵だ! 死になどせん! こやつらが無礼なだけなのじゃ!」


 口角に泡を溜めて喚き立てた。


ソア「ええ! おい! まともな奴はおらんのか! 無礼者ではない奴は! 将軍に礼を払うまともな奴は!」


 大声を発した。その声もまた荒涼とした海浜に吞み込まれ、虚しい波音が返って来た。彼女はまた歩き回った。アライソはその姿に痛々しさを感じながら後を付いて行った。


 彼女は何度も死体に触れようと手を伸ばした。アライソは腕を引いて制止した。ソアラはその度にアライソに向かって悪態を吐き、唾を飛ばして喚き散らした。


 アライソは彼女と初めて出会った時の異様な様子を思い出していた。彼女は初めから正気を失っていたのだ。狂気の狭間に迷い込み、向かう先も分からぬままに彷徨っていた。ホトトギスの狂わしい鳴き声を浴びながら、(くれない)の地平から這い()でた。彼女はずっとこうだったのだ。


ソア「のう、アライソ」


 沈み込んだ声音で呟いた。


ソア「我の所為(せい)かのう。こうなったのは。……こうなったのは、兵どもが言うことを聞かんようになったのは、我の所為なのかのう」


 狂気を宿して乾き切っていた瞳が滲んだように見えたのは錯覚だろうか。声の調子が再び狂った。


ソア「ええ! 何を! 神兵は不死身じゃ! 敗れたりせん! こやつらが無礼なだけなのじゃ!」


 乱れた足取りで死体の間を歩き回り、地面を踏み鳴らしては倒れたそれらを叱咤した。


 そんなことがどれだけ続いただろうか。彼女は不意に立ち止まった。アライソは言葉にするでもなく、目で問い掛けた。しかしソアラは彼の視線にも気付かずに、じっと足元を見詰めていた。その目は呆然とし、真剣でもあった。唇が震えていた。


 彼女の視線の先には一つの死体があった。片腕がなくなり仰向けに両目を見開いたその死体は女兵士のものだった。鎧は砕かれ白い腹を空に晒して、そしてその胸部は深く抉られ窟が掘られていた。


 食い縛ったソアラの口の端から一筋の(よだれ)が垂れた。彼女はそれにも気付いていない。顔の形を成していない顔を見下ろしながら、眉間に険しい皴を刻んだ。そしてゆっくりと彼女の唇が開かれて行った。


ソア「こいつは、この女は。知っているぞ。見覚えがある」


 アライソに聞かせるでもなく独り言のように呟いた。


ソア「こいつが、この女が。ずっと、ずっと我の後ろをついて来たのはこの女じゃ! 亡霊のように。呪いのように。我に憑いて来ておった!」


 その死体に覆い被さるようにして倒れ込み、四つん這いになって、両目をギラギラと見開いて、息が掛かる程の近さで潰れた顔を覗き込んだ。


 地面に突いた両腕の袖から羂索(けんさく)の束が滑り落ち、ドサリと重い音を立てた。


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