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4.3.1.聳えるもの

 二人は小川に沿って歩いて行った。小川の外へは粘液も水の跡も残っていなかった。胚は流されて、もしくは泳いで行ったのだろう。二人はそう確信していた。


 だがソアラは、あの水鏡を覗いてからというものずっと浮かない顔をしていた。気にするべきではない、とは言ったが、やはり気に掛かっているに違いない。


 時折、はっとしたように後ろを向いた。が、そこには誰もいなかった。


ソア「誰が。誰が後ろをついて来る」


 眉間に針を立て、やや俯いて陰になった鋭い瞳から暗い光を放っていた。アライソに聞かせるわけでなく、自分自身の内側に反響させるように、ぶつぶつと呟いていた。周囲には一切目もくれず鬼気に()ったその様子に、アライソはやや(ひる)んで何とも声を掛けられなかった。


 そのようにして歩いている内、向かう先に高く(そび)える宝塔が見えた。気分を変えようと、


アラ「見て下さい。宝塔があります。流石は立派なものですね」


ソア「ああ。当然じゃろう。神界のものじゃ」


 (うつ)ろに応えた。上の空のままだった。


 小川はくねり、流れは塔に接していた。そして彼らが塔の根元にまで辿り着いた時、二人は目が覚めるような思いがした。


 川縁の草々が湿っていた。何かが川から上がったようだ。そして水気はさらさらしたものではなく、粘りをも帯びていた。この粘りには見覚えがあった。洞窟内で延々と追い続けた、あの胚の粘液の跡だった。


 ソアラは我を取り戻し、はっきりとした顔付に戻ってアライソに目配せをした。彼はそれを受けて頷いた。


 粘液の跡を辿って見ると、それは宝塔へと続いていた。芳草の茂る塔の周囲を半周し、それからそれは塔の台座の階段を登り、そこに設けられた壮麗な門を(くぐ)っていた。


 あれはこの塔の中にいる。


ソア「ついに追い詰めたかの。袋の鼠。塔の嬰児じゃ」


 アライソは宝塔を見上げた。この世界の楼閣に優劣は付け得るものではない。それでも、この塔は彼がこれまでの来訪で見たものの中でも特に秀でているように思われた。威容を湛えた五重塔は天にも達しているかのように思われた。頂きは空へと溶け入るようだった。


 壁面に張り巡らされた金銀の箔は日光を照り返し、表面には雅やかな紋様が隙間なく刻まれていた。随所に嵌め込まれた五色の宝玉は自ら光輝を放っていた。香木の柱や梁はあくまで太く、薫り立ち、周りにいる者を陶然とさせた。広がる屋根は下から見上げれば雲海を思わせた。それが五層に重なっている。


 豪奢でありつつ華麗であり、また絢爛にして荘厳であった。眺めているだけでも心がそこへ吸い寄せられて、塔が天へと昇り上がって行くのにつられて自分の魂も昇天するかのようだった。


 アライソは思わず塔の威容に見入った。そんな彼の隣から厳しい表情をしたソアラが重々しい一歩を踏み出した。


 彼女は階段を上ると、台座に残った粘液を踏み(にじ)るようにして進んだ。門を(くぐ)り、宝塔の扉に手を掛けた。


 把手(とって)を引くと重荘に見えた扉が音もなく、そして摩擦もなく軽く開かれた。彼女は中へと踏み入った。アライソも塔の威容を惜しみながらも後に続いた。


 中の光景は信じられなかった。瀟洒であることは外見に劣らない。灯もないというのに室内は明るく白光に満たされていた。


 だがそれはいい。アライソが驚いたのは、そこは建造物の中であるとは思えないほどに広々としていたことだった。外から見てもこの塔は巨大ではあった。が、中は外から見た時よりも明らかに広かった。


 入って来た側以外の壁は見えなかった。それと言うのも、塔内がただ広大であるだけではない、空間は余りにも目映(まば)ゆい白光に満ち満ちて逆に朦朧としていたからだ。足元には乳白色の光の粒子が漂って(くるぶし)まで隠されて、床が見えなくなっていた。これでは胚の跡もまた見えない。


 そんな朧気(おぼろげ)な景色の一ヶ所が陽炎(かげろう)のように揺らいだ。アライソが(またた)いていると、ソアラはその揺らいだ場所へと歩んで行った。


ソア「女。どうした。何を恐れている」


 ソアラは揺らいだ場所に声を掛けた。彼女には室内の様子が見えているようだった。そして彼女の視線の先をよくよく見れば、そこには白光に紛れる純白の衣を(まと)った神女が(うずくま)っていた。身を震わせて、頭を持ち上げ、急に現れたソアラに恐怖し、両目を大きく見開いた。唇を引き()らせて声も出せないようだった。


 戦慄(わなな)く彼女の様子は握れば潰れてしまいそうで、庇護欲を掻き立てられると同時に、その(たお)やかで可憐な風姿は東方の村が襲われている時に遭遇した、あの雨下の白蓮のような神女を思い出させた。


 この女性を安心させなければならない、アライソはそうした使命感を抱きながらも、脳裡の奥底で、彼女への憐憫とは別の何か、頭蓋の裏側をごそりと抉り取るような、吐き気までも催しそうな嫌な感情が込み上げて来そうだった。


 一種の心的な古傷、アライソはその記憶が蘇り、はっきりとした形を成そうとするのを強いて押し(とど)めようとした。自然と抱く彼女への心配、それとはまた別に記憶から目を逸らすために、意識的にも彼女を(おもんばか)った。


 こうしたアライソの心情など知らずソアラは彼女の元へしゃがみ込み、肩にそっと手を当てて、何があったのかを優しい声でまた聞いた。神女の乱れた息は治まりつつあり、それでようやく口を開いた。


神女「異形のものが。この世のものではないものが居りまする。それが恐ろしいので御座います」


ソア「安心しろ。我はそいつを追って来たのだ。討伐するために」


神女「貴女は?」


ソア「我はソアラだ。鎮西守護大将、ソアラ将軍だ」


神女「ああ、貴女が。初めてお目に掛かります」


ソア「うむ。では奴はどこに行った。追わねばならん。今すぐにでも討ち取るために」


 神女はぎょっとして、


神女「ソアラ将軍、何をおっしゃっているのです。そこにいるではありませんか。貴女の、すぐ後ろに!」


 彼女は真っ直ぐに指差した。ソアラははっとして振り向いた。


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