4.2.7.闇の隧道
その後にも彼らは鳥や、蝙蝠や、蜘蛛や、毒虫の魔物と化したものと遭遇し、それぞれを打ち倒して行った。それぞれ自体は大した敵ではなかったが、一度に大量に襲われた際には、足元の粘液を乱さないように戦うのは手間だった。それでも襲い来るそれらを一つ一つ倒して行った。
稀に巨大化した魔物にも遭遇した。それには二人で相手した。共闘するのにも慣れた。語り合い相談などをしなくとも、相方がどのように動くかを察し、その通りに動いた。以心伝心と言うべきか。阿吽の呼吸と言うべきか。人間の男と神人の女の間に、ある種の信頼のようなものが生まれていた。
それでも風の通わぬ地下の淀んだ空気には、更に色濃い瘴気が混じり息苦しかった。気が滅入った。二人は時折、気合を発して濁り行く意識に喝を入れた。どちらともなく、そうするようになっていた。その度に声は窟内を反響した。
地を這う粘液はてらてらとし、二人の行く道を先導した。
ソア「どこまで続いて行くものか」
アラ「長いですね」
ソア「奴から発せられた瘴気が凝り、空気は重く、粘液の中を歩いているようだ。臭くて堪らぬ。淀んでおる。新鮮な空気を吸いたい。清浄な、外の空気を」
アラ「光がないのもつらいですね」
ソア「松明のこんな小さなものではなく、日の光を。太陽の発する絶対的な光を浴びたい。ここは闇の中だ。粘着く。息苦しい」
地下世界。普通ならば神人も、人間も、足を踏み入れるような場所ではない。ここは闇の中、死後の世界だった。もしくは生前の世界。
ソア「ますます瘴気は濃くなって行く。魔物が生じる。ほれ、また出た。アライソ、討て」
アラ「善知鳥の一羽を打ち殺すのはもう何でもありませんが、打てば嫌な臭いがする。気が沈む」
ソア「水下へ没して行くような」
アラ「深く、深くへ」
ソア「ええ、忌々しい! 忌々しいのはあの胚じゃ。さっさと追い着き絞め殺さねば。あの胚を。種子を。袋子を。闇の世界から出で来たあいつ。そして地下へと戻ったあいつ」
アラ「思えばここも地下」
ソア「奴の故郷か」
アラ「瘴気は満ちり、魔物は群れて」
ソア「こうして奴らは生まれおったか。瘴気を発してそれを浴び、新たな魔物となっては生まれ、身中に孕んだ瘴気を体外へ、また発しては」
アラ「循環し、増殖する」
ソア「この地下が蟲毒の壺じゃ」
アラ「洞窟内で完結した小宇宙」
ソア「悪循環」
アラ「濁った沼の」
ソア「壺中の天地に迷い入り、閉じ込められて」
アラ「辿る道筋は見えれども」
ソア「ただ、ああ、外の空気を浴びたい。光が恋しい」
アラ「そうするためには」
ソア「あれに追い着き」
アラ「打ち倒し」
ソア「早く外へと出て行きたい」
彼女は鉄扇で蝙蝠を打ち落とした。頭上から落ちて来る、人の顔程度の小さな蜘蛛を、アライソは刃物状にした羽衣で斬り屠り、
アラ「この道の続く先とは」
ソア「闇の中」
アラ「延々と続く闇の道を」
ソア「長い、長い、長い。まだ続く。あやつの跡はまだ続く」
アラ「しかしそれが終わったならば」
ソア「それは奴の居所だ。追い着く。そして潰して終わりだ」
アラ「粘液の切れ目を」
ソア「おお、終点を待ち望む」
どれだけ歩いたか分からない。それでも彼らは遂に待ち望んでいた粘液の跡の終点を見た。
唖然とした。呆然とした。
血の気が引いて肩から力が抜けた。思わず天井を仰いだ。しかし天井にも何も見付らなかった。変わらず水滴を宿した歪んだ岸壁。
ソア「どういうことだ」
アラ「ここで、終わり、です」
ソア「消えたというのか」
アラ「いません」
ソアラがアライソに怒鳴った。
ソア「ふざけるな! 何だ、これは! いないではないか! こんな、これは!」
彼らが追って来た粘液の跡が途切れていた。そしてそこに胚はいなかった。奴は粘液を垂らしながら這っていたはずだ。それが、ここで終わっていた。粘液の跡は胚へと導くことなく終点を迎えた。
地面には溝があり、その縁で止まり、その先はなかった。
溝を覗き込んでも、その底は湿っていたが、粘液やそれに類する粘着いたものは見られなかった。胚の辿った跡はここで消えてなくなっていた。
辿るべき道標を失った。二人は座り込み、力が抜けた。この地下世界に閉じ込められて、行くべき先も見失い、倒すべきものも消え果てて、どうすればいいのか分からなくなった。
二人は為すべきこともなく、闇の中に取り残された。