3.2.8.投資の方法 ②
元の生活に戻って数ヶ月、投資のことなどすっかり忘れるようになっていた頃、瀬羅が話を振って来た。
──そう言えば結局やってるの? で、まあ、もう一つ注意をしようと思って。今は勧めた時よりもダウも日経も下がっていて、含み損になってると思うけど、インデックス投資はそういうものだから。一時的に損をしているからと言って慌てたり悔しがったりしちゃ駄目だよ。何十年先のことだけ考えて、今がどうなってようが一切無視。積み立ては感情を交えず機械的に、機械的にね。
──ああ、投資、ね。そう言えば前にそんな話もしたね。……いや、結局やってない。
もしも本当のことを言えば呆れられると分かっていたから、嘘を吐いた。今ではどれだけの損になっていることだろう。瀬羅は、ふうん、と聞き流し、それから彼女が行ってみたいと言っていた飲み屋へ向かった。
翌日、彼はそう言えばあの銘柄はどうなっているんだろうと社名と株価の文字を検索エンジンに打ち込んだ。
目を疑った。検索結果のトップには、七千七百円と表示されていた。社名を確認したが間違っていなかった。自分が買っていた頃は三百円を下回っていた筈だ。チャートの期間を六ヶ月に伸ばすと、三ヶ月ほど前のある時点で急上昇し、それから下がったり上がったりを繰り返して、この一ヶ月でまた暴力的な暴騰をしていた。
証券会社のサイトにログインすると、保有株式時価総額の項目が一億三千万円を突破していた。現物残高照会のページでは、評価損益もまた一億二千万円を超えていた。買った時よりもそれだけの儲けの見込みが出ていた。
動揺している間にも株価は上がり、七千九百円になり、八千二百円になり、八千三百円にタッチした。とめどなく資産が増えて行く状況に怖ろしくなった彼は慌てて保有している株式の全てを一度に成り売りした。
彼が売った分だけガツンと株価は下がり、それに巻き込まれるようにして更に株価は下がったが、暫くするとまた上昇を開始した。
保有株式の総額がゼロになり、その分が現金残高に移ったのを確認すると、サイトを閉じて布団を被った。
次の日、瀬羅に会うと彼はそれとなくあの会社の名前を出して何があったのか知っているかを聞いた。
彼女は少し考えてから思い出したように言った。
──ああ、あそこ。典型的な仕手株だね。仕手にしても随分上がってるけど。でもまあ、それだけ。理由なんてないよ。……何でそんな会社知ってるの。
──いや……、昨日、久し振りに証券サイトに行って、何となく上昇率ランキングを見てたら目に入って……。何か凄いところがあるなあ、って。
──ふうん。まさかとは思うけど買ってないよね。
──いやいや、まさか……。
──仕手株なんかに手を出しちゃ絶対に駄目だよ。あんなの仕掛けてる奴の胸一つなんだから。S高に張り付いたと思ったらその日の内にS安まで落とされることだって普通にあるからね。仕手なんかに手を出したら直ぐに破産するよ。
──はは……。怖いね……。
──そうだよう。何日間もS安に張り付いて売りたくても売れなくなるかも知れないんだから。投資はそんな一発逆転を狙うものじゃなくて、コツコツ地道に、ね。あくまでもギャンブルじゃなくて資産形成なんだから。
──そうだね……。肝に銘じておく……。
彼が売った値段の平均は七千八百円だった。取得単価を三百円として考えても二十六倍になっていた。五百万円が一億三千万円になった。実現損益が一億二千五百万円。税金として二割が持って行かれるとしても一億円の儲けが出た。
現実離れした利益に、彼は興奮するよりもむしろ虚しさを覚えていた。生活のために得なければならず、あんなに心魂を悩ませながら稼いでいた金というものが、こんなにあっさりと手に入るとは。金に対する重みは消え失せ、薄っぺらくすら感じられた。
◆◆◆◆◆◆◆◆
数日後、荒磯は預金の殆どを証券口座に移した。と言ってもこの経験で脳が焼かれたためではなく、銀行口座に眠らせておいても矢張り仕方がないと思ったからだった。
そして結局はインデックスではなく個別銘柄に手を出した。インデックスではどこに投資をしているという実感が湧かず、現実感がなく、つまらなかった。
それでも今度はあのような経験をしてハラハラしたくはなくて、既に成長している有名企業を選んだ。決算資料も読まず、何の指数も知らずに買った。ただ配当利回りだけは見た。二パーセントだった。これだけあれば配当金だけで充分に食って行けた。
証券会社のサイトをもう開くことはなかったが、何かの際には、自分はあの世界的に有名な大企業の株を持っているのだと思い、社会に参加している気持にもなり、得意気にもなった。