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3.2.2.この世の酒

 洒落ているわけでもない、かと言って(ひな)びているわけでもない、小綺麗な個人経営の居酒屋、小料理屋と言った方が近いだろうか、に入った。既に何組かの客がおり、騒々しく飲んでいた。二人は隅の小さなテーブルに、差し向かいで座った。


──ここ、よく来るんだ。ちょっと良くない? いつもはカウンター席なんだけど。


 瀬羅はメニューに視線を落としながらそう言った。そして指を差しながら、これ美味しいんだよ、とか、これオススメ、荒磯さんの口にも合うと思う、だとか、そんなことを言いながらあれこれと迷っていた。荒磯は適度に相槌を打った。


 彼女はふっとカウンターの方を振り向いて、目をすがめ、調理をしている料理人の後ろに掛けられた黒板を見、


──あ、今日はホヤがある! せっかくだから頼もうよ。


 と店員を呼んだ。幾つかの料理と日本酒を一升瓶で頼んだ。荒磯も注文を聞かれたが、神界から戻って来たばかりのことで食欲はなく、サラダだけ頼んだ。


──女の子みたい。


 と言って瀬羅は笑った。剥き出された歯が唾液で濡れていた。


 お通しと共に日本酒はすぐに運ばれて来、瀬羅は荒磯のグラスに酌をして、自分のものにも手酌で注いだ。荒磯は自分のグラスを見下ろした。波々と注がれた酒は臭く、鼻を刺した。


──それじゃあ、乾杯!


 差し出されたグラスに対して荒磯は軽く持ち上げて返し、少しだけ飲んだ。口に含んだだけで酷いものだと痛感した。においも酷く、臭味があり、癖があり、えぐかった。どうにか一口分だけ飲み込むと、喉は熱く、痛く、()せた。


 神界の酒宴で飲んだものとは全く別のものだった。あちらの酒は甘く清涼で口にしただけで幸せな気持になり、喉を通ればその瞬間に心地良さが全身に染み渡った。


 それを思えばこんなものは臭くて不味い汚水に過ぎなかった。


 その臭い液体を向かいの女は一気に飲み干し、次の一杯を注ぎ始めた。汚らしかった。


 瀬羅はまたグラスを口に運びつつ、荒磯に改めて祝いの言葉を述べた。それから、今回はどんなものを持って来たのか、彼ならばやれると思っていたとか、色々と話し掛けて来たが、荒磯は曖昧に受け答えた。


 そうしている内に料理も来、テーブルの上は雑然とした。皿に盛られた料理を瀬羅は小皿に取り分け、荒磯にも渡した。


 これが美味しい、あれが店の名物だ、とよく動く口に様々な料理を運んで行った。開いては閉じる唇は歪み、蠢き、生々しく醜かった。肉体の生理を臆面もなく見せる彼女から目を逸らしたくて堪らなかった。その彼女は喉を鳴らし、また臭い酒を飲んだ。


 臭いがこちらにまで届いて来そうな息を吐き、荒磯に話し掛けた。


──もっと飲みなよ! 食べなよ! 今日の主役なんだから!


 荒磯は我慢をしてグラスを空けた。


──主役と言ってもここには二人しかいませんけどね。


──確かに! その通り!


 既に出来上がっているようだった。それからも食べ、飲み、喋り、楽しそうにしていた。早くも瓶は空になり、彼女は別の種類の日本酒を注文した。


 上品な人間だとは思っていなかったが、酒癖も悪そうだ。


──だけど本当に良かったよね。これからは手渡しの金額じゃなくて、普通の生活が出来るくらいの収入になる。


 ハモのつみれを摘まみながら瀬羅は言った。


──偶然ですよ。次回もそう、上手く売れるか。


──そんなことはないよ。


 彼女は目元を緩めてこちらを見詰めていた。


──出来た、ということは、方法が分かったということ。方法が分かっているなら、次からも同じように出来る。これから荒磯さんは安定して儲けられるようになる。


 瞳に鈍い光が浮かんでいるのが見え、目を逸らした。


──そうならいいんですけどね。


──なるよ。


 それからまたケタケタと笑い声を上げ、グラスを傾けたり料理を突いたり、こちらに酒を勧めたりした。


 幾つもの皿が片付けられ、また新しく運ばれて来た。付き合いで食べてはいるが、荒磯は一向に乗り気になれなかった。愛想は作っていてもこちらから盛り上げるようなことはなく、よくもまあこの女は自分と食事をしてつまらなくないものだ、と思った。


──全然。楽しいよ。


 瀬羅は言った。


──荒磯さんは見てて面白い。あと、落ち着く。


──そうなんですかね。自分では分かりません。


──まあ、分かっていて意識してやってたら変な人だし。


 分かっていないから変な人ではない、と思っておいて聞き流した。


──瀬羅さんは人が好きなんですね。社交的、と言うのもありますが。どんな相手でもポジティヴに捉えられて。


──そんなことないよお。


──そうですよ。いい人です。


 心底嫌っている相手に世辞を言い、口が痒くなりそうだった。もっとも、そんな感情は僅かにも表には出さなかったが。


──そんなこと、ない。


 呟いた瀬羅の眼差しには真剣味が含まれていた。


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