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3.2.1.現世利益

 現実世界に戻って来た荒磯は、つまらなそうに嫌な顔をして、肩を落として山を降った。こちらの世界で過ごすことはただでさえ苦痛だ。それなのに今回は、神界のものを盗むことも出来なかった。帰還後の唯一の楽しみである金さえ今回は得られない。


 それでも彼は機関へ向かった。大した金額にはならないと分かってはいるが、それでも一応は、その場に捨てるのも忍びなく旅袋に入れておいた熊手の頭を持っていた。


 壊れているとは言え神物は神物だ。尊いものに違いはない。だが、壊れたものであるのも違いはなかった。これまではいつも素晴らしい芸術品としか言えないものを持って来ていた。それでも真面な値段にはならなかった。それであればこれは一体どの程度になると言うのか。いつもよりも一層に肩が落ちた。


 金が欲しかった。金こそが万薬の長だ。金があれば生活は豊かになる。いや、金がなければ生活は出来ない。生活のためにも、人生を良いものにするためにも、金が欲しかった。彼は金が欲しくて仕方がなかった。


 機関へ行くと彼はしぶしぶ担当の職員に熊手の頭を渡した。それから待合のベンチに座り、受領証を指に挟んで腕を組み、目を瞑って自分の番号が呼ばれるのを待った。


 しかしどれほど望もうとも、得られないものは得られない。今回は大した額は貰えない。それでも生活が出来る程度には欲しい。出来ればそれ以上であればいいとは思うが。


 それほどの時間も掛からずに直ぐに呼ばれた。まあそんなものだろう。あれでは丁寧な鑑定をするまでもない。溜息を吐きながら席を立った。それでも一万円くらいになっていればいいが。無駄な高望みだと自分でも思った。


 窓口ではいつもの無愛想な職員が光のない眼で紙を一枚差し出した。


──では、この金額で間違いがなければ書類にサインを。


 カウンターの上にはトレイはおろか封筒すらなかった。荒磯は訝しんだ。幾らなんでも値段が付かなかったなんてことはない筈だが。それにそうであったならば機関は受け取りもせずに突き返すのでは。首を傾げつつ渡された紙に視線を落とした。


──まさか。


 そこに記されていた金額に驚き、思わず声を上げた。


──何がまさかなのですか。


 職員は不機嫌そうにそう言った。


──不満があるなら止めますか。


──いえ、何でもありません。何でも。……。


 彼は目を疑った。だがじっと紙を見詰めていても、目に映った数字は揺らぎもせずに確実にそこに記されていた。


 荒磯は急いでサインを書き殴り、震える手で書類を突き渡した。職員は眉一つ動かさずにそれを受け取り、控えを彼に渡した。


 控えを彼はまじまじと見詰めた。やはり金額に間違いはない。


 呆然と佇む荒磯に向かって、


──まだ何かおありですか。御用がお済みでしたらお帰り下さい。


 職員は苛立たし気に言い放った。


 控えをポケットに捻じ込んで立ち去った。その窓口のある部屋から出て、降りのエスカレーターに乗っても未だに現実感がなかった。


 これだけの額が一度に手元に入るとは。初めてのことだった。ポケットの中の控えを握り、そこに記されていた金額を思い出した。六十万円。自分がこれまで持ち込んだ神物で、そんな値段が付いたものはなかった。


 大抵の場合、月に二回ほど神界へ行って物を持ち帰り、それで月収は十万円前後。それが自分にとっての普通だった。


 それが今回は。たったの一回でこの金額。ただの一品でこの値段が付いたのだ。信じられなかった。


 一体何が良かったのか。壊れていたということを除いても、これまでの物に比べて優れているとも思えなかった。


 だが、機関はあれにこの値段を付けた。売れた。壊れた熊手の頭が六十万円で。それだけの金額が、この手に入った。


 放心状態で玄関ホールを横切っていた。大金を得られたことに気を取られ、外の音が聞こえていなかった。それでも何度目かの呼び掛けが、ようやく彼の意識に入って来た。


──荒磯さん!


 はっとして振り返ると、そこには例の嫌いな女、瀬羅がいた。心なしか嬉しそうな表情をしていた。


──今日は食堂に行かないの?


──ええ。まあ。


 ここの食堂は充実しているとは言え、毎回行っているわけではなかった。瀬羅はにやにやした口元で、


──見てたよ。今日は私の方が先だったんだけど、帰ろうとしたら荒磯さんが窓口にいるのが見えて。あ、荒磯さんだ、と思ってたら、何かわたふたしてて。


 と、笑い、


──今日は、封筒じゃなかったね。と言うことは、十万円以上の稼ぎになったんだ。


 知らず荒磯の眉根が寄った。他人に自分の経済状況を推察されるのは気分のいいものではなかった。


──良かったね! ふふ、私のアドバイスが良かったのかなあ。


 彼女の言葉など、何一つ役には立っていない。それどころか、今回あれだけの値段になったのは自分でも訳が分からない。それでも、


──そうかも知れません。ありがとうございます。


 愛想で礼を言った。


──どういたしまして! ねえ、この後は何か用事はあるの?


──いえ、特には。


──それじゃあさ、お祝いに飲みに行こうよ! 今回の成果と、荒磯さんの前途を祝して!


──ありがとうございます。ですが、手持が。


 振込の場合は入金までに一週間掛かる。貯金はほぼなく、コンビニに寄って下ろそうにも数万円も入っていない筈だ。


──いいよ。奢るよ。お祝いだしね!


 断る口実がなくなってしまった。仕方がなく、彼女と並んで機関を出た。


 せっかく大稼ぎが出来ていい気分だったのにケチが付いてしまった。好かない同業者と差しで飲むことになり、憂鬱だった。


 日も落ちかかった夕暮の街角、連れ立って歩く二人はサラリーマン達と擦れ違った。気分の沈んだ荒磯の隣で、瀬羅は延々と喋り続けていた。


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