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2.1.20.生業

トヨ「その後、奴がいつ再来しても良いように戦陣を敷き待ち構えましたが、ご覧のようにそれも無駄でした。今になっても戻って来たりはいたしません。


 本隊へ伝令を遣わそうとも考えたのですが、こちらの兵は最小限に留めていたために万一のことを思えばそれも叶わず、とうとう今にと至りました」


 それを聞いたシノノメの顔はやや青褪めていた。


シノ「馬鹿な。では奴はここを破壊するだけで、それだけで満足して帰ったとでも言うのか」


トヨ「現状を見るに、そうとしか申し上げられませぬ・・・・・・」


シノ「待て。では、我々はあの野営地で一泊した後、何もせずに戻れば良かっただけだと言うのか」


トヨ「・・・・・・。は。結果的には、でありますが」


シノ「いや、もしや、あの場で戦いすらせずに、ただ逃げ、間を置いてから帰還するだけで兵は失わずに済んだというのか」


トヨ「それは、分かりませぬが、奴の行動を見るに、我々には関心がなく、海岸を荒らしてそれで良しと致しました」


シノ「馬鹿な」


 絶句し、それからまた言った。


シノ「しかし奴は本邦を襲いに来たのだろう!」


トヨ「それは間違いありませぬ。奴は我らが兵を攻め立てて、城と岸とを侵したので御座います。襲った、それは事実です。そしてまだ力も残っていた、にも関わらず帰ったのです」


シノ「何をしに来た」


トヨ「分かりませぬ」


シノ「・・・・・・。評定(ひょうじょう)をする。副将、軍師、隊長らを集めてくれ。・・・・・・それから、アライソ殿、申し訳ないが席を外してくれまいか」


 シノノメは軍卓子に肘を突き、頭を抱えていた。トヨハタも他の兵士達も龍の狙いや今後の動静が予想出来ずに鬱々とした表情をしていた。


 アライソは本陣を出て、どこへ行くわけでもなく陣中を歩いた。何人かの小走りの兵と擦れ違ったが、彼らが評定に召集された者だったのだろう。


 シノノメは検討や対策に頭がいっぱいであったと見えて、彼に護衛、もしくは万が一の逃亡を防ぐための見張りを付けるのを忘れていた。アライソは自由に歩き回ることが出来た。


 そして戦陣の外にまで出られた。眩い日差しが柔らかく降り注いでいた。神界の若草が瑞々しく大地に生え揃い、岬の縁に至るまで欠けるところはなかった。海は盈々(えいえい)として豊かな瑠璃色を湛え、空は虚にして一点の濁りもなくどこまでも澄み渡っていた。


 完璧な世界だった。アライソは潮風を浴びながら崖上を歩いた。俗世の垢が全身から抜けて行くようだった。この空気に浸っていると、まるで自分までもが清らかな存在になれるのではないかとも思われた。縁に腰を下ろし、崖の外へ足を投げ出した。


 脚をぶらぶらさせながら仰向けに倒れ込み、大の字になって目を閉じた。遠く神鳥の啼き声が聞こえた。その音は体内で反響し、あらゆる悪いものを砕き割りながら臓腑に染みて行くようだった。


 目蓋を通して感じられる日光の朗らかさ、温かさ、柔らかい草の芳しさ、口に含めばそれはきっと甘いだろう。


 永遠にこの世界に浸っていたかった。


 だが自分は人間だった。現世のものを食べなければ生きられない人間だった。だからこの世界に来たのだった。生活の糧を得るために、食うのに必要な金を稼ぐために。それが商売だった。現実世界で売り払うためのものを持ち去りに、出来るだけ高い値段が付きそうなものを、奪い取りにこの世界に来たのだった。


 この罪なき世界で偸盗(ちゅうとう)を働くなど許されるものではない。しかしどうしようもないではないか。そうしなければ生きていけない。生活が出来ない。


 食って行くには盗まなければならなかった。生きるためには罪を犯さなければならなかった。


 アライソは身を起こし片手で草を(むし)ろうとした。だがこの完璧な空間に瑕を付けることに躊躇した。両手を後ろに突いて体を反らせ、光と風に再び身を晒した。


 いつしか夕闇が天地に滲み、大気は涼やかになっていた。兵士達に行く先は告げていないが探せばすぐに見付かるだろうに、誰も呼びには来なかった。アライソは陣へと帰った。


 外幕の前では、ちょうど兵士らが篝火を焚いているところだった。その内の一人が彼を見止めると、


兵士「おお、アライソ殿。ここにおられましたか。シノノメから言付を預かっています。評定は終わらずまだ長く続きそうですが、アライソ殿の休む場所は用意致しましたので、さ、どうぞこちらまで」


 用意された天幕は広くもないが狭くもなく、清潔で快適に過ごせそうだった。ものは少なく床几と簡素な寝台だけが調えられていた。


 アライソはしばらく床几に腰掛けていたが立ち上がり天幕を出た。周囲には自分への見張りはいなかった。歩いて行き哨兵の前を通っても止められなかった。


 しかし陣内の様子はやはりどこか落ち着きがなく、シノノメ達の評定が難航しているのが察せられた。


 正直に言えばアライソにとっては都合が良かった。幾つかの天幕をそれとなく覗き込み、おおよその配置は把握できた。素人目にも兵の数は少なく思われ、相当数が評定に呼ばれているのだろうと想像されたが、一つの天幕だけは入口の両脇に兵士が控え、厳重に見張られていた。


アラ「ここは何の天幕なのでしょうか」


兵士「アライソ殿ですか。ここには武具が納められています。我々にとっては何よりも重要なものであり、今となっては尚の事です。他はともあれこれだけはしっかりと管理しなければ」


アラ「例のことがありますからね」


兵士「ええ・・・・・・」


 それからニ三の言葉を交わして立ち去った。


 アライソは自分の天幕に戻り、寝台で横になった。腕枕をして目を瞑り、決めた。きっと金になるだろう。あの中の武具を盗もう、と。


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