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1.2.塵に塗れ

 神界を後にし現実世界に戻った彼は、黄塵を巻き上げる生臭い風に煽られながら、コンクリートで作られた飾り気のない建物に入った。彼はその機関に採掘業者として登録していた。盗み出した果実をそこで売った。


 ここでは神界という未知の領域に属しているものを買い取っている。研究対象でもあり、同時に商業利用もする。


 一種の未開拓地であり誰も所有していない土地である神界に存在していたものを持ち帰る行為は採掘や採取として扱われ、法律も世間もそれを犯罪とはしなかった。合法的なビジネスだ。社会的に認められた仕事だ。何の(はばか)るところもない。


 ただ彼のみがその行いを罪だと感じ、己を責め立てていた。だがそんな苦しみを抱きながら「盗んで」来たものも大した金額にはならなかった。


 今月の収入は前回の報酬と併せて八万円だった。そこから税金や保険料を支払い、更に家賃や光熱費。手元に残るのは僅かだった。


 役所の窓口のような無機質なカウンターで職員に領収証を渡し、替わりに紙幣を受け取ってポケットに捻じ込み、背中を丸めて帰ろうとした。


 エスカレーターを降りた先の玄関ホールで嫌いな同業者にばったりと出くわした。左右対称に口角の釣り上がった、人為的な笑顔を作っていた。


 彼はともあれ、この仕事は稼げる者には大きく稼ぐことが出来た。機関の付ける神物の買い取り額には大きく幅があるからだ。ものによっては一品で一般的な労働者の年収を超えることもある。


 彼女は稼いでいる側の人間だった。見るからに羽振りが良かった。それで彼女はいつもの如くに仕事が上手く出来ない彼に対して儲けるための方法論を得意気に語り始めた。


 生々しく動く唇にくっきりと塗られた口紅が毒々しく、嫌味さを増していた。つまらない話は更に長く、うんざりした。それでも円滑な人間関係のためにある程度は付き合わなければならなかった。曖昧に笑って受け流し、頃合を見て会話を切り上げた。



◆◆◆◆◆◆◆◆



 築云十年の古い木造アパートの一室に帰宅し、ドアを開けると部屋に染み付いた黴臭いにおいが漂った。電気を点け、ワンルームの全体が照らされた瞬間、買い物をしていなかったのを思い出した。帰る途中で何かを忘れているとずっと気に掛かっていたがこれだった。


 しかし今更外出する気にはなれなかった。冷蔵庫にはまだ何かが残っていたはずだ。


 傷み掛けた野菜を鍋に入れ、塩を振って食べた。胡椒があれば少しは味も良くなるだろうが持っていなかった。


 流しに食器を置いて水を張り、敷きっぱなしの布団に横になった。台所では一匹の蠅が、(やすり)を掛けたようなざらついた薄明りの中を、藻掻(もが)いて飛んでいた。


 洗い物をしなければいけなかった。だが体は疲れていて重かった。明日でいいだろう。


 体も洗わなければいけないが、流しが埋まっていては垢を拭った後のタオルを濯げない。明日になってから銭湯に行けばいいだろう。


 その時には服をまとめてコインランドリーに行くのも忘れてはいけない。洗濯機が欲しかった。だが部屋の中にも外にも置く場所がなかった。いや、そもそも幾らぐらいするのだろうか。買えるだろうか。まあ、どうせ置けないのだから考えていても仕方がない。


 手持無沙汰に枕元に転がっていた雑誌に手を伸ばした。数週間前に駅のベンチで拾ったものだった。ぺらぺらとページを捲ると、知らないモデルが下着姿で恰好を付けて読者の欲望を煽ろうとしていた。そうしたものを見て嬉しがるほどの情熱は既になくなっていた。


 退屈に眺めながら、次に仕事で神界へ行くのは一週間後か、と、そのことだけを考えていた。


 色褪せ枯れた生活で、その時だけが輝いていた。神界で過ごしている時間だけが、自分にとって生きていると言えた。その時期だけが、自分にとっての全てだった。現実世界では生きていなかった。神界でだけ生きていられた。


 雑誌を放って寝返りを打つと、薄い布団を通して床に肘が当たり、痛かった。


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