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2.1.15.東方の辺境で

 アライソに向かい合って床几(しょうぎ)に座るシノノメは、(はらわた)を握り潰されたような沈痛な面持で口許を引き締めていた。部屋の外では軍幕の撤去や武具の整理を始めたのだろう、騒々しい物音が響いていた。長い沈黙の後で意を決し、語り始めた。


シノ「……、一ヶ月ほど前、我々は神界東方の守護を担っているのだが、その居城としている要塞が襲われた。要塞は東方の辺境、海岸線にある。


 その海の向こうから一匹の龍が現れた。群青の鱗をてらてらと光らせて、夜よりも黒い雷雲を従えて。稲光が発せられる度に海原には奴の巨大な影が落ち、波は天にまで達するほど逆立った。


 こんなものはこの地が平定されて以来、初めてのことだ。御霊様の威徳が如何なる邪気をも遠ざけていたからだ。だがそれにも関わらず悪しきものが現れた時に備えて我らがいる。そうだ、我らはそのためにいたのだ。


 青龍は天と海とを荒らしながら国土へと近付いて来た。我らは要塞の守りを固め、兵を配置した。我は具足を纏って物見に登り、奴の暴れ狂う様を見た。長い胴をうねらせて大気を捻じり、尾を打ち振るって海を裂いていた。豪雨が奴の頭を濡らし、角には稲妻を宿していた。一度吼えれば周囲を圧し、雲も海も押し潰されたようになった。


 徐々に要塞へと寄り来る龍は、ついに我らの射程に入った。一斉に矢を放ち、豪雨にも劣らぬ射撃を浴びせた。だがどうだろう、奴の鱗は(やじり)を通さず、瑕疵(かし)にもならずに矢は(ことごと)く海へと落ちた。


 器機をもっての投石も試みたがこれも無駄だった。我も兵らの元へ行き、剛力を誇る精鋭数人と槍を投げた。我が槍は確かに彼奴(きゃつ)の眼に当たった。それでもそれは、雨水程の刺激も奴には与えなかった。


 龍は何事もなく要塞にまで辿り着いた。咆哮し、幾人かの兵士が吹き飛んだ。胴体を城壁にぶつけて(こす)ると、石垣は崩れた。一転して天へと昇り、我々を一睨すると、今度は兵達の居並ぶ露台の高さまで降りて来た。群兵敵せずと見たのだろう。見縊(みくび)られたものだ。


 体躯は、頭部の高さだけでも人の頭身を優に超える。巨大な龍だ。だが我が兵らは勇敢である。そのようなもので(ひる)む者達ではない。それぞれが物の具を取って挑みかかった。


 それにも関わらず奴は何をしたか。奴は兵らの勇気を見て、欠伸をしたのだ。生温かい吐息が突進を阻んだ。眼尻に涙を溜めて兵らの決意を悠々と眺めていた。我ら神兵を虫ほどにも思っておらぬ。


 それでも一番槍が彼奴の鼻先を鋭く突いた。しかし、ああ、神兵の手による一撃も奴には傷すら付けられなかった。そしてその兵士は奴の鼻息で転ばされた。これは決して憶測などではない、奴はこの時鼻で笑い、我らを嘲笑した!


 その後も幾人かの兵士が躍り掛かったが成果はなかった。奴の鱗はあまりに硬く、そして時には飛び上がり難なく避けた。兵達を翻弄しているのではない、嘲弄していた。


 だが奴が前衛と遊んでいるつもりでいる間にこちらも準備が整った。十人引きの強弓が満月のように張られて、我が合図をすると兵らはさっと道を開け、それと同時に射放った。矢は奴の首筋に当たった。


 おお、見よ、流石の奴にもこれは効いたと見えて、驚き、身を捩っている。奴の鱗が一枚、落ちた。


 これに我らは気勢を得た。奴は決して不死身などではない、ただ硬いだけだ。(しか)るべき攻撃をすれば打ち倒せる。奴の硬さを上回る攻撃をすればいいだけだ。


 我らは吶喊(とっかん)し、前衛は打ち掛かった。同時に後ろでは三張の強弓を構え、次の一矢(いっし)を引いている。


 しかし奴とてそのままでいるわけがない。上空へと舞い上がり、黒雲から雷を降らせた。稲妻は石畳を砕き、焼き、穴を開けた。幾筋もの稲妻が降り注ぎ、足場はどんどん壊れて行った。奴の稲妻は強弓も狙った。だが我が兵らは使命に忠ずる者達である。内の一人が跳び上がり、弓と雷との間に割って入り、雷に打たれ、その身を挺して強弓を庇った。必ずや奴を射貫かねばならぬ。


 そして一矢が放たれた。喉元に当たった。瞬時苦しみ、それから目の色を変えて逆上した。雲を貫く咆哮をすると地上に降り立ち、兵達の真ん中で暴れ回った。


 尾を払って兵らを薙ぎ倒し、首を巡らせ近寄る者を突き飛ばした。短い手に握る宝玉からは禍々しい瘴気が溢れ出て、景色は煙り、息が詰まった。縦横も左右も構わぬほどの暴れ振りに弓の狙いは定まらず、それどころか遂に奴の尾は強弓にまで伸び、打ち壊した。


 ただ一匹の龍を相手に、それを取り囲みながらも乱戦の有り様となった。指揮系統は崩された。こうなっては用兵術も何もない。兵らは各々に挑み掛かり、一人一人が決死の覚悟で刀槍を振るった。


 だが奴は十人引きの強弓でようやく鱗が剥がれる強さだ。我が兵らは皆屈強にして誇らしい戦士である。が、その強大な敵には歯が立たなかった。個々の名を持つ勇士らが、ただ尾の一振りで十把一絡げに声無き骸に変わったのだ。


 我もただ見ているだけではいられなかった。軍を組織として動かせないのであれば、我もまた一人の武者として奴と対峙せんとした。その間にも兵達の攻撃は一切通じず、次々と屍を重ねて行った。


 ところで、我が城には二振りの宝剣宝刀がある。一つを降三世(ごうざんぜ)の剣、一つを大自在王(だいじざいおう)の太刀という。我は馬手(めて)弓手(ゆんで)にそれぞれを(たずさ)え、奴に挑んだ。


 我が向かって行っても奴は振り返りもしなかった。一顧だにせず、ただ虫を追うように尾を振った。向かい来るそれを降三世の剣で防ぎつつ、更に駈け寄り胴体を太刀で打とうとした。が、咬み合わさった尾と剣とが鈍い音を立てながら、異様な感覚を我が手に伝えた。


 それは硬い肉を押し斬るように、そうだ、硬くはあっても肉を押し斬る時のように、ずぶずぶと刃が肉へと食い込んだのだ。降三世の剣はあの堅固な鱗を切り裂いて、奴の肉へと食い入った。


 我ははっとして太刀をその尾に振り下ろした。


 おお、見よ、強靭無比に思われた奴の尾は、その先端に過ぎないとはいえ、大自在王の太刀によって断ち離されたのだ。宝剣宝刀に神威(しんい)あり。これらであれば奴を倒せる。この宝器を()って必ず奴を討ち取ってみせようぞ!」


 シノノメがここまで語った時、幕の外から声が掛かった。


軍使「シノノメ様、準備が整いました。残すところはこの間だけです」


シノ「おお、そうか。では、アライソ殿。まずはここから出よう」


 シノノメはアライソを引き連れて部屋から出た。二人は兵士達が軍幕を片付けているところを黙って見ていた。アライソから話し掛けることはなく、シノノメは物思いに沈んでいた。


 そして全ての軍幕が片付けられ、幕営地が更地になると、シノノメは号を発して隊列を作らせた。シノノメ、アライソは隊列の半ば付近に位置した。


 隊列は街道へと繰り出し、出発した。


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