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2.1.12.永遠の争闘

 アライソは何が起こったのか分かっていなかった。相手は刀を構えていた。それが気が付くと自分の肩に衝撃が走っており、シノノメは元の場所から寸毫(すんごう)も動いていないように見えて今では刀を下段にし、何やら独り言を呟いていた。


 村で戦った神兵もまた手練(てだ)れであったのに間違いはなかった。だがその将たるシノノメは彼らとは比べ物にならなかった。先日の神兵は槍を振ればとりあえずは戦いにはなった。しかし今、目の前にいる相手はと言えば、肩の触覚で何かをされたとは漸く分かったが、動きを目で追うことすらも出来なかった。


 視界から再びシノノメの姿が消えた。慌てて見回すと彼は後方に立っていた。位置が変わっていても姿勢も構えも見失う直前と全く変わっていなかった。この時になってやっと脇腹に何かが当たった感覚が生じ、衣服のその部分が裂けていた。


 また彼の姿が消えた。見れば右方にいた。脛に感覚が生じ、服も裂けていた。


 アライソも理解せざるを得なかった。相手は目にも止まらず速さで動き、あの大太刀で自分を斬り付けているのだと。


 薬を飲んでいればこそ痛みはなかったが、身体の随所で触覚が呼び起こされて、それで知られる刀で何度も襲われているという事実に恐怖した。恫喝のようなものだった。たとえ身に危険が及んでいなくとも、怪我はしないと分かっていても、害意に襲われれば(おび)えてしまうものだった。


 いや、これは脅しなどではなく実際に攻撃されているのだ。ただ女神の加護により無傷でいられるだけだった。シノノメから自分に向けられる敵意に、殺意に恐怖した。


シノ「行くぞ」


 その声に動揺したが、また姿を追うことは出来なかった。目に見えなくなってから慌てて槍を振り回した。


 だがそんなことが何になろう。シノノメはまた別の場所に磐石の姿勢で立っていた。槍は無意味に空を切っただけだった。シノノメの姿は重々しく不動に見えても目には劫火のような意志が燃えていた。

たじろいだ。


 それを隙と見たのだろうか、シノノメの構えが八双に変わっていた。いや違う、構えが変わっただけではない、アライソの右の袖が肩口から切り離されて腕を滑り、手首に溜まった。既に斬り掛かっており、元の場所に戻っていたのだ。


 また自分は斬られていた。嬲られているようなものだった。


 そもそもが彼から見ればアライソなど初めから隙しかなかった。槍を空振りしようが、たじろごうが、構えている時と何ら変わりはしなかった。アライソの構えなど、本人がそのつもりでいるだけの、構えになどなっていないものだった。


シノ「見ただけで分かった、貴公は武芸など(たしな)んではおらぬのだろう」


 アライソは恐怖で何も答えられなかった。しかし、そんなことは自明であった。無言であったが何も言われなくても返事をされたのと同じだった。


シノ「そうであろうな。ああ、きっとそうであろう。口惜(くちお)しい」


 寿命のない神人であるシノノメの延々と続けられた鍛錬が人間相手では何の意味にもならなかった。「天劫(てんごう)」「獄伐(ごくばつ)」「地昇華(ちしょうげ)」。(すい)を極めた剣の奥義をいくら放っても相手には傷一つ付けられなかった。


シノ「兵らもそうだ」


 彼の部下もまた長久の錬磨を重ねた。だがそんなものは何物にもならず、アライソに蹂躙された。武術になど僅かにも触れたことのない、全くの素人、戦闘の面において獣にも劣るこの相手に。幾星霜をも費やした心技の研鑽も、存在そのものによる強さの前には無力だった。肉体の有無というそんなの理由で。その決定的で絶対的な差によって。


シノ「だからこそ、それが欲しいのだ。それを得なければならぬのだ」


 自分に言い聞かせるようにそう言った。更に戦意が高まった。景色が歪んだ。傍目にも分かるほどの気迫が彼から発せられていた。


 地を蹴って、全身の発条(ばね)を使った一跳で敵へと躍り掛かった。


 振り下ろされた大太刀の切先の煌めきが線を引き、その残光が消えぬ間に全身を一回転させて円を描いた。輝きの円はピシリとその空間に食い込んで、時が止まったようにも感じられた。「払界塵(ふっかいじん)」その技のシノノメだからこそ至った技の極致のその先だった。


 その斬撃を受けてもアライソは呆けたように突っ立ったままだった。


 一度距離を取り、再び勢いを付けて跳び掛かり、アライソの首筋へ左右からの袈裟斬りを間断なく放った。「松葉挟(しょうようきょう)」本来であれば脇差程度の長さの得物で行う連撃を、シノノメは大太刀で、常人を凌ぐ速度と精度で行った。


 しかしそれも無駄に終わった。


 そして次の攻撃の勢いを付けるためにまた距離を取ったその後になって、ようやくアライソは攻撃に気が付き、無意味に槍を振り回していた。


 シノノメは毒気が抜かれそうになった。しかし気合を発して闘志を奮い起こした。強敵であるのは事実だ。全力で打ち込まなければならない。


 アライソも必死だった。先日にも死地に身を置いていたが、その時の兵士は目にも見え、殴れば殺せた。だがシノノメはどうだろう。動きすら見えない、いくら槍を振り回そうとも当たらない。全身の感覚から自分が攻撃されているのはひしひしと感じた。幾ら神薬によって不死身になってはいても、相手に攻撃を当てなければ勝てなかった。


 敵は自分の攻撃を(かわ)しているようにも感じられない。誰もいないところに空振っているだけだ。無意味な動作としか思えなかった。


アラ「何とかして当てなければどうしようもない」


シノ「どうにかして攻撃を通さねば何にもならん」


 シノノメはアライソに跳び掛かっては太刀を打ち込み、肉に跳ね返されては回り込み、横から、後ろから、何度も攻撃を繰り返した。だが神薬の加護に守られているアライソには無意味なことでしかなかった。


 アライソもまた槍を振って反撃しようとしたが、素人の攻撃が相手に当たることなど決してなかった。


 アライソは神薬のお陰で疲労は溜まらず、シノノメは木偶(でく)相手の素振り程度で疲れるような錬度ではなかった。戦いは永遠に続くようにも思われた。


 悠久の昔から続けられ、永劫の未来まで終わらないかに思われた。この戦いには始まりもなく終わりもなく、永遠の中で行われているように見えた。彼らの戦闘には時間がなかった。いつ果てるとも知れない運動は常に目の前に現れており、そこに推移としての前後はあっても、それは過去にはなり得ずに、永遠の「今」の中で行われているものだった。敵意と殺意と剣戟が無限に織り交ぜられていた。


 二人は無窮の争闘の中にいた。


 ただアライソの潰れた左目だけがかつての過去を表明し、時間の概念を宿していた。


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