2.1.10.曳かれ行く
アラ「要求とは」
それがどんなものであっても既に受け入れる覚悟は出来ていた。一体何を要求すると言うのだろう。だが何であったとしてもこの村の平和には替えられなかった。
兵士「ここから遠からぬ所に我が軍は陣営を築いている。貴公は捕虜となり、我々と一緒にそこへ行ってもらう」
アラ「それで、私が離れて、この村は」
兵士「何もしない。貴公が来れば、我が軍は未来永劫この村を襲わない」
罠としか思えない提案だった。彼らが戦闘を止めざるを得なかったのはアライソがいたからだ。彼がいたから兵隊は撤退したのだ。彼らが村を襲撃しなくなるとすれば、それはアライソが抑止力となるからだ。その抑止力を排除しようとしている。普通ならば障害を排して再び襲来しようとしているとしか思えなかった。
アラ「しかし、神人は嘘を吐かない」
神界は虚言や妄言のない真実のみが語られる世界だ。兵士もまた神人であるからには、あの言葉は嘘ではない。論理の穴がないかをアライソは考えた。
抑止力である彼がいれば村は襲われ、いなくなれば襲われない。妙な話だった。
兵士「さあ、どうする」
襲いはしないが、間接的に害をなすということも。いや、彼らは「手を出さない」とも言った。それならば迂遠な方法でも村が攻められるということはない、はずだ。
アライソの心は猜疑の暗雲に覆われていた。
しかし、
アラ「分かった。行こう」
何であったとしても選択肢などないのだ。神人は真実のみを語る。それであるから、彼が行かなければ明日この村が襲撃されることだけは絶対だった。これからどうなるにせよ、それだけは避けなければならなかった。
話をしていた兵士は脇で控えていた一人に目配せをした。そして、
兵士「それでは両腕を後ろへ。縛らせてもらう」
兵士の一人が縄を出し、アライソを後ろ手に縛り上げた。
縄もまた神界のものであるからには柔らかく滑らかではあったが、きつく締められては思うようには動かせなかった。おそらくは、もしも神薬を飲んでいなければ、関節は酷く痛んで悶えていただろう。
兵士「では、来い」
縄の片端を別の兵士に握らせてアライソを促した。
アライソが歩き出そうとすると村人達と目が合った。彼らは心の底から申し訳なさそうに、辛そうに見えた。つい先程まで恩人だの何だのと尽きぬ感謝をしていたばかりだと言うのに、舌の根も乾かぬ内にその御使い様などと呼んでいた相手を犠牲にしてしまった。慚愧に堪えぬ彼らの様子に、アライソは自分の方が苦しくなった。
アラ「貴方々は悪くありません。私が進んで行くのです。これで万事収まるのなら。これが私の望みです」
村人の一人は彼に声を掛けようとした。だが何を言えるのだろう。結局のところは自分達の身の安全のために無関係の彼を差し出したのだ。彼が意志を固める前にも後にも引き留めもしなかった。彼へと掛ける何の言葉も持っていなかった。
アライソはその村人に、慰めるように頷いた。そして兵士に曳かれて村を出て行った。
村人達はあれほど悲しみ、後悔しているが、それも明日には忘れて欲しい。これまでと同じような悩みも苦しみもない、朗らかで平穏な日常に戻って欲しい、そのようにアライソは願った。
神人が悲しんではいけない。ここはどんな苦しみも悩みもない世界であり、彼らは幸せであるべき人々だ。悔恨や悲嘆などの感情を抱いて欲しくなかった。
自分が行けば兵士達はこの村を襲わないと言った。だから今度はこの村にはもう何も起こらないはずだ。ここ数日の襲撃も、アライソのことも、全てを忘れて幸せな生活に戻って欲しかった。
彼自身は村人達と別れるのは悲しいが、たとえ自分のことが忘れ去られるとしても、神人達にはこんな気持は味わって欲しくなかった。
アラ「会者定離の哀しみは人の身にのみ」
優しい日光がどこまでも白く照らしている平野をアライソは曳かれて行った。空では流麗に鳥が歌い、野の花はどんな宝珠よりも色鮮やかに輝いていた。涼風になびく柔らかい草原が永遠のように続いていた。明媚な風光の中での逍遥は、普段であれば、これ以上はないほどの愉しみであっただろう。
しかし今のアライソは黒縄で縛められて厳めしい兵士に囲まれていた。恥辱の道行だった。
彼の心中は麻のように乱れていた。苦しんでいるのではない、自身を憐れんでいるのでもない、村のために自分を捧げたことには僅かな後悔もなく、それについては満足していた。そんなことではなく、兵士らの目的が不可解なのだった。
略奪にせよ何にせよ、軍事行動と言えるほどのものでなくとも、何かをする際には目的があるはずだ。組織であるなら猶更だ。
彼らは村を襲った。村長が言うにはその目的は略奪だった。しかし彼らは今日にはアライソの身を拘束し、村への襲撃を取り止めた。目的は完遂されなかった。それにも関わらずアライソという障害が取り除かれても再開はしないのだ。
彼らの目的は村の資材や食糧や土地ではなかったのか。アライソの身柄を確保して、それが彼らに何になる。襲撃のためでないとしたら、自分を捕まえる意味とは何か。略奪が目的であったはずなのに、自分を捕らえて終わりになるとは何がしたいのか。
目的や指針が振れている。
兵士「我々の行動は一貫している。目的は一つだ。変わらない」
アライソが彼らの幕営へ行ったとして、それが略奪の代わりになるのか。
兵士「貴公が来れば目的は果たされる」
そう言うからには彼らの目的はアライソであったのか。彼が来るのを知っていて、何になるのかは知らないが、最初から捕まえるつもりだったのか。
いや、それは有り得ない。彼のような異物がこの世界に紛れ込むなど予想出来るものではない。そして戦った様子でも、兵士らは明らかに戸惑っていた。彼が目的であったはずはない。やはり、アライソには目的がすり替わっているようにしか思えなかった。
兵士「間もなく将の御前である」
片腕を上げて地平を指差した。
兵士「聞きたければ聞け」
遠目に、黄色い陣幕が張り巡らされた、威容を放つ野営地が見えた。