5.2.1.童子の物語り
童子「かつて世界には偉大な王がおりました。世界が一つの卵のように混沌として空間も時間も別けられず、区分けもされていなかった頃の話です。
彼の治世では陰陽一体として渾然とはしておりましたが平和であったと言って良い。万民安泰にして草木国土一斉が栄えておりました。世の興隆を極めておりました。
人々の口は朗らかに開き、草木が枯れることはありませんでした。天からの光は柔らかく、風は優しく、大気は匂い、大地には豊かな稔りに溢れておりました。太平の世は穏やかな繁栄を謳歌して、戦の道具には苔が生しておりました。
人々が労務に苦しめられることはなく、手を伸ばせばいつでも滋味に満ちた果実と甘い水とを飲めました。餓えることも渇することもなく、腹を鼓いて土壌を足で撃ち鳴らし、音楽と舞踊で彩られた日々を送っておりました。
太平楽。幸せな時代がいつまでも続いていたのです。
また王には四人の子供がおりました。上から順に、太郎、二郎、三郎、四郎と呼ばれる王子達。それから生まれておりませんでしたが、未だ母の胎にある、後に五郎と名付けられる者。
彼らもまた偉大な父を崇敬し、安寧で穏やかな歳月を過ごしておりました。揺り籠の平和と申しましょうか。人生が始まる以前の幸福な日々を永遠のように送っていたのです。
しかし何時しか人々の間に妬みや嫉みが生まれるようになりました。他人のものを羨んでは我が物にせんとする者も現れて、盗みが生まれ、殺しも起こりました。罪の誕生でありました。次第にそれらは大きくなり、派閥を作っての戦も始まるようになりました。
それと同時期でございます。大地を一面に飾っていた緑のものが色褪せて行くようになったのです。草は萎れて木は枯れて、風も薫りを失って、空気は腐って行きました。大地は乾き、石は灰となり、水は塩辛くなりました。
人心は退廃し、時流は衰退し、世界は荒廃の道へと進み始めたので御座います。
何故このようになってしまったのか。その理由は明らかです。王の死期が近付いていたのです。邦は王と共に生くもの。ならば逝去も共にしましょう。王の力が衰えるに連れ、邦の勢も失われるようになったのです。王の痩せて行く姿は痛々しく、邦の乱れて行く様は心苦しくありました。
そうしたある日、その日が遂にやって来たのです。王は四人の王子を病床にお呼びになりました。病の臭いが立ち込める床に臥せった王はすっかり衰弱し、枯れ木のように萎えておりました。かつての気力に満ちた姿は見るべくもありません。王子達の目からは自然と涙が溢れましておりました。
王は隙間風に似た声を漏らしました。かつての活力に溢れた轟く声とは何という変わりようであったでしょう。
──太郎、二郎、三郎、四郎。
王子達の名前を呼びました。そして苦しそうに、絞り出すように次のことを言ったのです。
即ち、王は自らの領土を分割し、王子達に継がせよう、と。
王は世界を四つの季節と方角に切り離し、太郎には春と東を、二郎には夏と南を、三郎には秋と西を、四郎には冬と北を与えられました。
土地と季節が分配されて四人の王子が受け継ぐと、王は最後の務めを果たしたように末期の息を引き取りました。あれだけの力を持っていた王が、世界の全てを統べていた王が、万民に崇拝されていた王がお隠れになったのです。偉大な王の最期と言うには余りにも虚し過ぎました。
王が天へとお帰りになると王子達は各々の所領の統治を始めました。王子達は皆、よく治めたと思います。彼らの威光がそれぞれの領地を照らすに従い、紛争や災害は鎮まって行きました。平静な世が、今度は四つ、戻って来たように見えたのです。
ええ、その時にはそのようにして見えたのです。
東西南北、春夏秋冬、それぞれの方角と季節が各々の位置へと収まって、安定してから暫くの後、王子達も王としての称号を名乗るようになった頃、先王の王妃は身籠っていた稚児を生み落としました。
それによって世は再び乱れるようになるのです。
ああ、乱世の種は先王の時代から蒔かれていたとは。新王達の過ちではない。そうなる以前からの宿縁なので御座います。それが定めであったのです」
そこまで語って童子は口を閉ざした。遠くを見詰め、静かに息を整えた。暫しの休息を挟んだ後、彼は再び語り始めた。
(註4)このエピソードは「五郎王子譚」を脚色・改変したものです。