完璧令嬢は平等主義聖女が気に食わない
「気に食わないですわ……」
吊り上がった赤い目、きつくウェーブをつけた艶やかな黒髪の少女。ヴィルタール公爵家令嬢カルラは生徒会室から見える景色に眉をしかめた。
目線の先には一人の少女と数人の男性。全員ウィルモンド王立学園の制服を着用している。ウィルモンド王立学園は身分のある選ばれた者だけが通える場所だ。だが、例外もある。何かしらの力に秀でている、と国が認めた者だ。
男子生徒の中心にいる人物もその類。肩口で短く切りそろえられた柔らかな金髪に、エメラルドグリーンのたれ目を持ち、花がほころぶような笑顔を見せている少女。
彼女の名はマリア。彼女は「聖女」の力に目覚め、この学園に通うことを許された平民である。
「聖女とはなんなのかしらね」
教会が認めた、聖なる力を持つ女性。書物を見るとそのように定義されているが、その実態はさっぱりわかっていない。
とある書物には、世界が闇に覆われたときにその闇を払う、と書かれていた。
また別の書物には、類まれなる癒しの力で解放戦争を勝利に導いた、と書かれていた。
観察している限り、彼女の力はそのどちらにも当てはまっていない。
今、世界は闇に覆われていないし、魔族はいるが友好的な交易関係を結んでいる。遠くの地域では戦争をしているらしいがウィルモンド王国は今年で建国320年になり、大きな戦争は起こっていない。また、彼女につけた密偵からは「怪我をした子に手当てをする様は目にしたが、よくあるふつうの手当てでしかなかった」という報告も受けている。
では、彼女の聖女の力とはなんなのか。
「人タラシ、かしらね?」
カルラは皮肉気に顔を歪めた。
学園内で、彼女の周りには常に人が溢れている。彼女につけた密偵からも同じ報告を受けており、学園の寮でも人が絶えることはないそうだ。まるで、彼女を守る親衛隊のように。
そしてその親衛隊モドキの中には、高位貴族の令息令嬢も含まれている。これは少し、由々しき事態だ。この学園はもともと貴族の令息令嬢が本格的な社交デビューをする前に、同世代の中で切磋琢磨するための場であった。もちろん、学園と名がついているのだから勉学等の得意分野を学ぶためでもあるが。そういった、同世代との交流を経て、国に貢献するためにそれぞれの道を歩んでいくのだ。そのため、ありがちな話ではあるがどうしても派閥の問題が浮上する。
国の予算を扱う経理部に進むような子と、国内の様々な不便を解決するための研究機関に所属するような子たちは学生時代からあまりウマが合わない、というように。
だが、マリアの周りにいる学生たちにはそのような垣根は存在しない。
それだけではなく、この国の伝統を受け継いできた高位貴族でも、己の学力や得意分野を伸ばして入学してきた平民であっても、身分の区別なくマリアの傍にいる。
その光景が、カルラには恐ろしく思えた。
「身分は存在します。ですが、人と人の繋がりだけを見るのであれば、そのようなものはないも同然。皆が周囲の人間を愛せば、世界は平和になるのです」
マリアのこの言葉を聞いたときに、教会は何も教えなかったのかと戦慄したものだ。聞く人が聞けば、不敬罪で捕らえられても文句は言えない。
身分はないも同然、つまり、王であっても頭をたれることはないのだ、という風にも解釈できてしまうからだ。
一応、幸運にも学園内でそんなことは起こっていない。逆に、その言葉にいたく感銘を受けた人物がいた。
セイン・ウィルモンド。
国名を背負う彼は、この国の第一王子だ。まだ立太子はしていないが、卒業と同時にほぼそうなるのが確定している、との噂。そして、とても不本意なことにカルラの婚約者でもある。
未来の王子妃、王太子妃というものに自分がなることに異論はない。
セインと年齢が釣り合う令嬢の中で、カルラが一番身分が高い。そしてその身分の高さに驕ることなく、カルラは様々なことをやり遂げてきたという自負がある。
この国だけにとどまらず、周辺諸国の言語・マナー・風習・歴史を完璧にマスター。魔法分野においては得意の火魔法をより便利に、魔力の少ない平民にも使えるようにするための研究。慰問も精力的に行い、国民からの人気も悪くない。
そのくらい、カルラは努力してきた。
故に、セインがマリアの言葉を肯定的に受け止めたことが信じられなかった。
誰よりも身分による恩恵を受けた人物が、率先して身分を軽視する発言をした者の肩を持つ。この時点でカルラによるセインの評価は急降下した。
「……気に食わないわ」
再度、同じセリフを口にしたが、カルラの気持ちは晴れることがない。
この感情は王子の婚約者としてあまりよくないことはわかっている。
けれどマリアに感化されたセインの行動はあまりにも目に余った。
「僕は富める者だから、皆に施す義務があると思うんだ」
その言葉に異論はない。だが、その中身は国家予算として割り当てられた婚約者への贈答品費用の流用だ。代わりに贈られたのはその辺に生えていた雑草の押し花。
あまりのことに怒りよりも笑いがこみ上げたものだ。
先にことわっておきたいのだが、別にカルラは贈り物が欲しいなどとは思っていない。王子にわざわざ贈られずとも自分で購入できるからだ。カルラは自身の研究で成果を出し、全国民が簡単に火をあつかうことができる魔道具の開発に携わっている。お陰で実家の公爵家に頼らずとも好きに買い物できるだけの財産はもっているのだ。セインもそのことを贈り物をしない理由として挙げた。
だが、そもそもの見解が間違っている。
わざわざ国家予算として組まれている資金の流用は横領だ。横領した金の行きつく先が孤児たちだったため、ギリギリ罵倒の言葉を飲み込んだのだ。
だが、一応婚約者として諫めるところは諫めなければならない。
「貧しいものに分け与えるのも殿下の役目であるのはそうでございます。ですが殿下、国の決めた予算配分を許可なく変えるのはいけませんわ」
「僕からのプレゼントがそんなに欲しかったの? 君がそんなに卑しいとは思わなかったよ。これから国母になるのであれば、民への優しさを示してほしいものだ」
がっかりしたという表情を隠しもせず、こちらにダメ出しをしてきたセイン。
その日から、王家に頼んで影をつけてもらい、家からも手練れの諜報部を貸してもらった。
セインは何かしらの思想に洗脳されている可能性がある、と報告して。
「周囲を愛し、富める者は持たざる者へ分け与えよ、ね。一見正論だわ」
楽しそうにおしゃべりに花を咲かせるマリアとその親衛隊たち。だが、こうして眺めていても今まで得た以上の情報は出てこないだろう。
そう判断してカルラは研究棟へと向かった。
ウィルモンド王立学園は、国の研究機関という側面もある。
栽培しやすい農作物の研究から魔法の有効活用法の研究まで多種多様に研究しており、中には国の機密事項に触れるものもなくはない。そのため、立ち入り禁止区域や特殊な魔法パスを使わないと、たとえ王子であっても入室が許されない部屋が多数ある。
そんな立ち入り禁止区域の一室にカルラは入室する。
ヴィルタール公爵家が出資している研究室だ。
(いつも思うんだけど、影はどうやって入室してるのかしら……。細かな会話の記録まで取られているからついてきていることは確定なのだけれど)
セキュリティがザルなのか、付き従っている影が凄腕なのか、という疑問が不意に沸いた。
部屋を見渡しても、人影が見当たらないのに会話を知られているというのはやはり少々不気味なものだ。それもまた、高貴な者にとっては許容すべき事柄であることはわかっているけれど。
「カルラ様、お待ちしておりました」
とりとめのない思考は、低い男の声で中断された。
冴えないぼさぼさ頭、それから瞳をのぞかせない黒ぶち眼鏡。また無精ひげが伸びているので、何日かここに籠もっていたのだろうか。
元平民ながらその魔法の腕のみで学園へ招かれ、現在は魔法研究の第一人者として働いている人物。名をオリヴァーといい、近々どこぞの有力貴族に養子として入るのではないかと評判になっている。もっとも、魔法技術以外の点が問題になりすぎて、頭の固い上流貴族たちは養子に難色を示しているのが実際のところである。こればかりはいくらカルラ個人とヴィルタール公爵家が後押ししてもままならない。
「……少しは自宅に帰られてはいかが? 根をつめても成果が得られるというものでもないでしょうに」
「なんか臭ったりしてます? 清浄の魔法を使っているので臭わないと思うんすけどねぇ」
カルラは清潔さの話をしているのではなく、相手の健康を心配しての言葉だったのだが、うまくかわされてしまった。
「そんなことより、その成果が出たんすよ」
「本当に!?」
ついつい小言を言いたくなる風貌をしているが、彼の腕は超一流だ。それ以外がさっぱりとも言うが。
彼が「成果が出た」というならば、それはもう実証済みの事柄である。
「えぇ、聖女の力とやらがなんなのか。やっと解明できましたよ」
目元は伸びた髪と分厚い眼鏡で見えない。けれど、口元は自信満々な弧を描いていた。
「細かな説明はあとでレポートにしますわ。んで、結論からいうと聖女の力ってのは強すぎる光魔法と闇魔法の混合です」
「……どういうこと?」
結論が突飛すぎてカルラの頭脳をもってしても、理解がしづらい。眉をしかめたカルラを見てオリヴァーはにぃと笑って細かく解説する。
「魔法ってのは本来、同時発動は難しいってのが定説っすよね」
「えぇ。まぁ……どこかの誰かさんはやってみせましたけれど」
からかうような口調でまぜっかえすと、彼は少しバツが悪そうな顔をした。
そう、彼は過去不可能と言われていた二つの属性魔法の同時操作をやってのけた。建国以来の大発見であり、今はその同時発動の普及を目指して日夜研究員たちが奔走している最中だ。
「それはそれっすよ。話戻しますね? 戻しますよ? 魔法の同時発動は相反する属性、たとえば火と水の同時発動は無理って結論を出したのが俺じゃないっすか」
「そうね。そもそも同時発動自体とても難しいことだけれど、未だに相反すると言われている属性での同時発動を成し遂げた人はいない。だから、あなたを含めた研究者たちは不可能だ、と結論付けたわね。でも……違ったのね?」
「えぇ。聖女の力はそれを可能にする、というのがわかりました。そしてそのせいで聖女の周りはおかしなことになっています。闇魔法の魅了か思考誘導か……そのあたりと、光魔法の浄化か何かを同時にかけているようなもんですね。目の前で魔法発動してくれりゃもっと研究できたんでしょうけど、現状での解析はこれ以上不可能っす」
「それだけわかれば十分よ。ありがとう」
やはり、洗脳は行われていた。それも、通常であれば見逃されてしまうような方法で。
少なくともこれであの聖女の身柄を押さえることができる。悪意をもってやっていたか、それとも無意識なのかは追々調べればいい。
現段階ですでにおかしな思想がひろがるという被害が出ているのが問題なのだから。
(でも……これはわたくしが公爵家の娘だから感じる違和感なのかしら)
実はほんの少しだけ引っかかっていた。
身分差のない社会。人が手を取り合って助け合う社会。
それは、とても尊いものではないのだろうか。
そんな考えがカルラの脳内を巡る。カルラは聖女と距離をおいていたが、もしかして軽度の洗脳に掛かっているのかもしれないと不安になった。
だからだろうか。彼の意見を聞いてみたくなった。
「あなたはどう思います? 平等というものについて」
「俺は庶民だから難しいことはわかりませんや」
返ってきた言葉は、一研究員として妥当なものだ。何せ、彼自身は研究者という身分の平民でしかない。下手なことを言えば首が物理で飛ぶと彼はわかっている。
けれど、今カルラはどうしても知りたかった。
「いいえ、わたくしは庶民の目線を知りたいのです。わたくしの名において、ここから先のあなたの発言は不敬にならないと保証いたします。ですから、教えていただけませんか? 庶民の目線を、想像することはできます。けれどわたくしはやはり恵まれた公爵家であることは変わらないの」
そう乞われて、オリヴァーはガリガリと頭をかいた。
「庶民、平民っつーんじゃなく、俺の意見ですけどね」
そう前置きをしてから彼は語り始める。
「マジの平等っていうのは理想であって、なるもんじゃないと思うんすよ。たとえば、全属性魔法の同時発動。あれは魔法研究者の俺としちゃ実現が理想だし、そこに到達するために努力はしますけど、じゃあできちゃったらどんなことが起こるんだってなりますもん」
「相反する光と闇の混合だけでこれほどの混乱が起きているのだから、全属性が混ざったらって考えると確かに怖いわね」
魔法に置き換えて話す彼らしさに苦笑するも、確かに想像してみると怖いものだ。
「もしかしたら、身分差がない世界ってのはいつかくるかもしれない。でも、それは身分がなくなっただけで別の差がでてくるじゃないっすか。魔法が使える使えないとか、肉体労働向いてる向いてないとか。俺は肉体労働も平等にしろって言われたら逃げます」
「ふふふ。そちら方面に関して働けなんて言わないから安心してちょうだい」
オリヴァーと話して、迷いが晴れた。
「すっきりしました?」
「えぇ。お陰様で。ほんの少しだけ、身分差のない世界というものに憧れがありましたの」
「へぇ? お嬢が?」
「意外かしら?」
「そりゃもう」
思い切り首肯するオリヴァーに苦笑を返す。確かに、未来の王太子妃としてはあるまじき姿だと思う。
だが、もうふっきれたのだ。
「皆が笑顔でいられる国。それがわたくしの理想ですわ。だから、平等であることはもしかしたらその足掛かりになるのでは、と思ったことがありますの」
身分差で泣く人の話は多くある。身売りのように高位貴族に囲われるしかなかった下位貴族の話。学ぶ環境がなかったせいで消えていったかもしれない才能の数々。そういったものに向き合いたいと思ったのは間違いなくカルラの本心だ。
「ですが、洗脳という手段で急激にその思想を広めるのは看過できませんわ」
「さっすがお嬢。その意気です」
「あら、太鼓持ちをしてくださるの?」
「そりゃ敬愛するお嬢のためでしたらいくらでも」
気安い軽いやり取りに安心する。万が一のことがあっても、彼はきっと味方でいてくれる。そんな安心感があった。
ヘマをする気は毛頭ないけれど。
「そんな安請け合いをしていいんですの? わたくし、狙った獲物は逃がしませんわよ」
「聖女なんて大物を狩るんなら、俺くらいさっくり仕留めちゃってくださいよ。んで、研究費がっぽりください」
「あらあら。調子のよいこと。でも構いませんわ。あなたの功績はとても大きいですもの。特別なプレゼントをご用意いたしますわ」
「お嬢も人のこと言えないっすよ。安請け合いすんのあぶねーですって」
これから未知の力をもつものと対峙しなければならない、という杞憂はあまりなかった。ただ、高貴なるものとしてなすべきことをするために。
そして、自身が目指す平等のためにカルラは研究室から出ていった。
「優雅に微笑んでくれちゃってまぁ……ま、精々援護射撃ができるように資料揃えときますか」
研究室に残されたオリヴァーは一つ大きくのびをすると、また研究に没頭し始めた。
その後。
カルラは各所に協力を要請し足場を固めてから、国王へ直訴した。聖女の魔法の未知性と思想の危険性を切々と訴え、国王と重鎮たちの理解を得る。万が一があれば教会との仲が険悪になると難色を示した者も少なくなかったが、カルラはそれを弁舌においてねじ伏せた。
国のトップからの協力をもぎ取り、すぐに聖女の力の研究という名目で、聖女マリアの隔離に成功。
彼女が使った未知の魔術に対抗する術が現時点ではなく、また、マリアの不在を怪しんだセインの妨害も発生。事態は難航したものの、オリヴァーを筆頭とした研究員たちの努力のお陰で洗脳の解除だけは成功した。
それはつまり、聖女マリアが人々を洗脳していた事実を詳らかにするということでもある。
今度は教会が立ちはだかり、内戦ぼっ発の危機に瀕するもこれをカルラが懐柔。どうにか戦火をまき散らすことだけは防いだ。
緊張をはらんだ一連の騒動は、なんとか半年ほどで終息した。
なお、聖女マリアは今も研究棟にて国の研究に協力している。
「思ってたよりも早くコトが終わって、それはめっちゃよかったなーとは思ってるんすよ」
オリヴァーは疲労を滲ませた表情で呟いた。
「わたくしの手腕あってのことでしたわね」
カルラはしれっとした表情で返事をする。今回の騒動で八面六臂の活躍を見せた彼女だが、その顔に疲れは見られない。身に沁みついた淑女の嗜みである。
実際多少の疲労は感じるものの、どちらかというと「やっとここまでこぎつけた」という達成感の方が大きかった。
「……どの段階から画策してたんです?」
「完成図を描けたのは、あなたがきちんと聖女のしていることを立証してくださったからですわ。ですからこれはあなたの功績とも言えますわね」
オリヴァーは今、いつもの草臥れた研究者用作業着ではなく、かっちりとした黒の夜会服に身を包んでいた。正装に合わせて身だしなみも整えられたため、いつもとは見違える様になっている。
「プレゼントをご用意いたします、と申し上げたでしょう?」
今宵は一連の騒動が終息したことを祝う夜会だ。表向きは新たな技術の発見を祝うものであるが、中身としてはそのような扱いだ。多くの貴族の令息令嬢が聖女マリアの洗脳にかかっていたため、この発見に感謝している人も多い。
ある意味で主役であるオリヴァーに恥はかかせられないとカルラがデザインから参加し、素材も選び抜いた自慢の服である。
「対価にしちゃ高すぎるんすよ!」
「あら、わたくしの名に懸けて、無様な恰好はさせられませんもの。きちんと背筋を伸ばしていただければお似合いでしてよ?」
見る人が見ればわかる素材の質の良さに加え、あちこちにつけられた赤の宝石をあしらった装飾品。正直に言うと、ちょっぴりオリヴァーが負けているように見えなくもない。もともと庶民であったオリヴァーのために考え抜いたデザインではあるが、その背筋がおびえるように縮こまっているせいで良さが引き立たない。
しゃんとしろ、と口に出す代わりに背中をポンと叩いた。
「お嬢、わかっててはぐらかしてますね?」
「なんのことかしら?」
「高すぎるプレゼントは、受け取った相手が身を滅ぼすんすよ」
恨みがましそうな声をあげるオリヴァーに、カルラはにんまりと人が悪い笑みを返す。淑女のカルラは決してやってはいけない笑みだ。
「わたくしはそうは思いませんわね。あなたは国の宝です。ですからこうして夜会が開かれるのでしょう? 受け取るのにふさわしい方に間違いありませんわ」
聖女の洗脳は解くことができたが、以前まで抱いていた思想を完全に除去できるものではない。だからこそ、とてもタチが悪かった。今の自分の考えが自分のものなのか、それとも洗脳されたときに植え付けられた後遺症なのかがわからず、被害者たちは今もその不安と戦っている。
そして洗脳の後遺症の被害を一番にくらったのはセイン王子だった。
今の状態では国を導くことは出来ぬと判断され、王位継承権を下げられた。今は第二王子が立太子するべく婚約者とともに勉学に励んでいると聞く。
そうなると、第一王子の婚約者であるカルラが宙に浮いた状態となった。
当初王家はカルラの婚約者のすげかえを画策していたが、それをカルラが辞退した。今回の一件の功績をもって王子たちの婚約者という立場を辞退し、代わりに魔法の研究者となって国に尽くすと宣言したのだ。
もちろん王家を筆頭に様々な反対にあったが、カルラはそれらを見事に撃退してみせた。
そして、今宵。
魔法研究の筆頭とカルラが婚約発表をする流れである。
「それ自分自身も国の宝ですってさらっと言ってますよねぇ?」
「もちろんですわ。わたくし以上に魔法研究において優秀な女性は今のところいらっしゃいませんもの」
宙に浮いた元王太子妃候補の婚約者の座。それを射止めるために水面下と言わず空中でも地上でもかなりの争いが勃発したが、それらをおさめたのもカルラだ。
公爵家令嬢が魔法研究の筆頭を国外へ逃がさないために政略結婚をする、という名目で。
もちろん魔法研究の筆頭というのは、そこでうなだれているオリヴァーである。
「俺は研究費が増えて楽しく研究できりゃそれでよかったのにどうしてこうなった……」
「ヴィルタール公爵家の更なる援助とともにわたくしの個人資産もありますので研究費は増えますわよ」
ついでに国内の貴族たちがこぞって寄付にくるだろうから、しばらくの間研究費には困らないだろう。あまり金銭について明るくないオリヴァーの負担になりそうなので言及はやめておくが。そういった事務関連はカルラがやればいいのだ。
「いや絶対利権とかめんどくさいことになるだろ……」
「ふふふ、いやですわ。わたくしがそんなことさせるとお思いで?」
「……たしかに?」
オリヴァーはカルラの手腕を傍らでずっと見ていたので納得せざるを得ない。
「あなたは今まで通り、人の役に立つ研究を続けてくださいまし。煩わしいことはわたくしがどうにかいたしますわ」
「いいのか、俺。そんなおんぶに抱っこ状態で」
「良いのですよ。適材適所と申しますでしょう? それに、わたくしはあなたに夢を叶えてもらったのでおつりがきますわ」
「夢?」
「えぇ。平等という理想への第一歩です。公爵家の令嬢が、元平民のあなたへ嫁ぐんですもの」
「あぁ、たしかに。そりゃ身分の垣根を穏便に崩す第一歩ですねぇ」
今回の功績をもって、オリヴァーは男爵の地位が与えられた。だが、彼の出自が平民であることは社交界なら誰でも知っていること。陰で揶揄する声はあるが、幸い社交界と縁がなかったオリヴァーの耳には届いていないし、今後も届かせるつもりはない。
「えぇ、わたくしが身分違いの恋しい方と結婚する前例になれましたの。こんなに嬉しいことはありませんわ」
そう言って、カルラは花がほころぶように微笑んだ。
こんな心からの笑みを見せられたのはどれくらいぶりだろうか。
「……そうきたか」
オリヴァーがぺしりと己の額を叩く。髪の隙間から見える耳は朱に染まっていた。
「全然気づかなかったんすけど?」
「淑女教育のたまものですわね」
「ちなみに俺の方はバレバレで?」
「周囲の方に心を配るのは当然のことですから」
「……勝てねぇ」
「苦労した甲斐がございました」
「いつかこっちからプロポーズするから覚えてろ」
「庶民の流儀ではお花とともに愛の言葉を囁かれると聞きましたわ。楽しみにしておきます」
「それ何年前の流行だよ。いや、それでいいならいいけど……。とりあえず、マナーやらエスコートやらはさっぱりだから今日はフォロー頼んます、お嬢」
「えぇ、喜んで」
折よく、そろそろ主役の二人が入場しても良い頃だろう。マナーも何かもが付け焼刃なオリヴァーだが、不安はないし、不安にさせる気もない。
「参りましょう、旦那様」
愛しい人のエスコートで、淑女らしくない誇らしげな笑顔でカルラは夜会へと入場した。
なお、後日談として。
カルラたちの研究棟にて、風魔法と火魔法の複合魔法が、夜空に大輪を咲かせたという報告があった。
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