表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

桜の鶴が飛ぶ空の下

作者: 奏 歌音

僕たちの恋は、きっとすごく不器用だったと思う。



昨日、千鶴と喧嘩した。


千鶴は僕の彼女だ。


家も近所の幼馴染で、小さいころからずっと一緒だった。


だから付き合いはもう10年近かったし、お互いのことを一番知っていると思っていた。


少なくとも、僕は。


それまでは後を引くような喧嘩なんかしたこともなく、ちょっと言い争いになっても思いっきり言い合ったらすっきりしてしまって、すぐに仲直りしていた。


まわりからも、僕たちはお似合いの恋人同士だったらしい。


だから、今回の喧嘩は僕にとっても彼女にとっても、すっきりしないものになってしまったのだと思う。


何が悪かった?といわれると、わからない、と答えるしかない。


基本的に千鶴は忙しい。


彼女は幼いころから病弱で、よく熱を出して高校を休んでいる。


早退していることも多いし、一緒に食事をすれば食後には大量の薬を飲んでいる。


そんな彼女なので、病院通いが多く、時々は通いだけではすまずに、入院することもある。


休めば勉強が遅れてしまうので、家庭教師を雇い、毎日夜中まで勉強している。


部活に入っているわけでもないのに、超多忙なのだ。


だから、彼女が学校を休んだ日には一緒に登校できないのは仕方がないし、デートの約束が突然流れてしまうのだってしょうがない。


家庭教師に勉強を教わっている時間帯にはメールも電話も出来ないのも、抵抗力が弱い彼女に気を遣ってキスすることすら滅多に出来ないのも、仕方ないのだ。


頭では、何もかもわかっている。


けれど、これは高校生男子にとってはなかなか忍耐のいることなのだった。


だから僕も、少し疲れていたのかもしれない。


小さいころから千鶴しか見えてなくて、他の女の子になんか目を向けたことのない僕だが、それでも、少し彼女と一緒にいるのが苦しくなってきていた。


彼女が、普通の女の子だったらいいのに、と思う。


けれど、いつだって彼女のことは好きだったし、今でも自信を持って好きだといえる。


そんな僕が、彼女と喧嘩してしまったわけを説明すると……。



昨日のデートは、何かがおかしかった。


千鶴は朝からなんだか元気がなく、返事も歯切れが悪かった。


体調が悪いのかとたずねても何も言わなくて、ただ、


『大丈夫、だよ』


と笑うだけだった。


その笑顔もなんだかわざとらしくて、僕は不思議に思ったけど、映画を見て、そのあとに、小さいけれど感じがいいカフェに入るころには、そんなことは忘れてしまっていた。


しかし、今思えばやっぱりあの時感じた気持ちは、気のせいではなかったのだろう。


しかし、たとえあのときの気持ちを忘れずにいたとしても、そのあとに来る彼女の言葉は、予想できなかったと思う。


料理を注文して、食べて、ウエイトレスがデザートのホットケーキ(もちろん千鶴のだ)を運んで来たあとに、千鶴が急にこう切り出したのだった。


   

『私、アメリカに留学しようと思うの』




『え……?』


僕は当然驚いた。絶句した。


留学?アメリカ?千鶴が?


全ての言葉がつながらず、頭の中でばらばらになった。


そんな僕に、千鶴は言った。


『アメリカにいるおじさんが誘ってくれたの。日本に比べてあっちの田舎は空気がいいから、病気も落ち着くんじゃないかって。それに、私、国際関係の仕事がしたいの。蛍(僕の名前だ。けい、と読む)には話しことがあったでしょう?そのために、やっぱり英語は基本だと思うの。あっちでなら生の英語が学べる。昨日今日で思いついたことじゃないの。今までやってこなかったことを、今からはじめてみようって思っただけ。蛍はわかってくれるよね?あっちからでも、ちゃんと手紙書くから。メールも電話もするし、長期休暇には帰ってきて、二人の時間も作るから』


そのあとのことは、はっきり言って思い出したくない。


『ふざけんなよ!』


気がつけばそう叫んでいた。店中に響くような声で。


僕は千鶴を責め立てた。


最低すぎて思い出したくないが、断片的に言うとすれば、


『留学ってなんだよ』

『一人で勝手に決めてんじゃねえよ』

『時間?今までは作れてたのかよ』

『俺は絶対に認めない!』


というような意味のことばかり言った気がする。


とにかく、頭に血が上っていたんだと思う。


体中が、特に頭の中が煮えたぎっていて、自分の中にたまっていた熱いものを吐き出しまくっていた。


千鶴が涙をこらえてうつむいているのも構わずに、僕は伝票を取って、僕の怒鳴り声を聞いて怯えている店員に食事代を押し付け、店を飛び出してしまった。


彼女は追ってこなかった。


当然、昨日は電話もメールもなかった。


全然昔のことなんかじゃないはずなのに、僕はもう、彼女が着ていた服すら思い出せない。



学校に行きたくなかった。


普段は、僕が千鶴の家の前に立って、彼女が出てくるのを待っていた。


でも、今日はどうすればいいんだろう。


いつもどおりに彼女の家に行って大丈夫だろうか?


彼女はもしかしたら逃げるかもしれない。たとえ一緒に学校に行くことになっても、会話がはずむことなんかないことは容易に想像できる。


しかし、僕が勝手に一人で学校に行ってしまったら、僕がわがままをいっているように見えるのではないか?言い出したのは彼女なのに。


色々な気持ちが混ざり合って、頭が痛くなって、はっきり言って、逃げたかった。


「何で、来ちゃったんだろ」


僕は、千鶴の家の前に立っていた。


住宅地に建つ、きわめて普通の家。


学校からは徒歩10分。非常にいい場所に有る。


もちろん素通りすることだって出来る。


だけど、出来なかった。


それなのに。


「蛍くん、ごめんなさいね。千鶴は、今日は日直だって……」


日直なら仕方ない、そう思わなくちゃいけないのに。


頭ではわかっていても、僕は千鶴を責めたい気持ちでいっぱいだった。


学校についてからもそのもやもやは消えなくて、同じクラスの高原清輝たかはら せいきに、


「どうした?なんかイラついてるみたいだね」


と声をかけられた。


「あー、わかる?」


僕が言うと、彼はこっくりとうなずいて、


「ばればれだよ」


と苦笑いしていた。


「俺さあ、千鶴と喧嘩しちゃったんだよ」


正直に言うと、


「えっ!上原さんと?」


かなり驚いたみたいだった。


「他にどの千鶴がいるんだよ。昨日な……」


「……ふーん、なるほどねえ」


僕の話を聞いた清輝はしきりにうなずいている。それから、すこし考えて、


「でも、蛍は上原さんのこと、まだ好きなんだろ?だったら、さっさと仲直りしたほうがいいんじゃない?」


本当に、そのとおりだった。


「でもなあ、仲直りっつっても、そんなに単純じゃないだろ?アメリカ留学がかかってるんだし」


「ううん……」


清輝はまた考え込んでしまった。


うんうんとうなって僕たち二人は仲直りの方法を考えた。清輝はいいやつだ、こんな僕たち二人だけの問題にも真剣に向き合ってくれるのだから。


しかし


「蛍くん、いる!?」


隣のクラスの女子が教室に駆け込んできた。


僕が手を上げて存在を示すと、


「千鶴ちゃんが倒れたの!おねがい、そばにいてあげて!」


「え、やっ、でも俺たちは喧嘩してて……」


「いいから!はやくきてください!」


躊躇する僕を、その女子はぐいぐいと引っ張って保健室につれてきた。


「今はだいぶ落ち着いてるから、面会、する?」


養護の渡辺夏見先生が言った。


ここで、いやいいです、などといえばこの女子が何を言い出すのかわからないので、


「はい、お願いします」


と言うしか、道はなかった。



千鶴は眠っていた。


すうすうと寝息を立てていて、病人のようには思えない。


そっと、ベッドから出ている手を握る。


子供のころから、ずっと、そうしてきていた。


彼女の手はいつも僕の手より暖かく、熱があるときは、


『蛍くん、手、離さないで。冷たくて気持ちいいから』


そう言って、眠るまで、僕の手を離さなかった。


しんどいときは、いつもそばにいた。


これからだって、そうだと思っていた。


それなのに、


「どうして、離れるなんていうんだよ……」



『蛍くん』


聞きなれた声がした。


振り返れば、子供のころの千鶴が立っている。


大きな目、白い肌、鈴を転がすような、耳に心地よい声。


ああ、そうか、これは夢だ。


なぜなら、彼女が話しかけているのは、僕ではなく、子供のころの僕だったから。


『なあに、千鶴ちゃん』


『蛍くん。私の病気は、治ると思う?』


『治るんじゃないの?』


『わからない。すごく難しい病気なんだって』


『でも、治るんでしょ?』


『わからないの……』


泣かないで、泣かないでよ、千鶴ちゃん。


もし病気が治らなくても、僕はずっとそばにいるから。


僕は、そんなことを言ったと思う。


そして、その後は……。



「蛍?」


彼女の声で、僕は目覚めた。


「あ、ごめん。俺、ねてた?」


僕は彼女にそういった。いつもみたいに。


「うん。気持ちよさそうに」


「そっか……」


いつもみたいに、会話は弾まない。


「「……」」


沈黙が流れる。お互いに、目をあわせられなかった。


「あの」「なあ」


言葉を発したのは、同時だった。


「お、お先にどうぞ」


千鶴がそういう。


その言葉に甘えて、僕は彼女に提案した。


「あの、さあ。よかったら、これから、出かけないか?千鶴は早退だろ?俺も今日は早退するから」


そういうと、彼女は、


「うん。私も、おんなじこと考えてた」


そう言って、ふわっと笑った。


その笑顔が、ずいぶん久しぶりに思えた。


僕たちは二人で学校から出た。


まだ昼間で、こんな時間に街をうろうろする高校生なんかめずらしいから、まわりからはじろじろ見られた。


千鶴は慣れているはずなのに、その視線が怖いのか、うつむいて歩いていて、僕はそんな彼女の手を握った。


握って、そっと耳打ちする。


「走るぞ」


「えっ?」


彼女の言葉を無視して、僕は走り出した。


彼女の手を引いて、走る。


高校生の男女が、こんな昼間に、街に出て、そのうえ子供みたいに街を走り回ってる。


そんな僕たちを、ほとんどの大人が振り返って見た。


それでも、走った。


まわりの大人たちの視線なんか気にしない。


ただ、彼女に見せたいものがあった。


きっと、そこでなら、あんな感情的にならないで、自分の思いをぶつけられると思ったから。



「も……蛍、だめ……」


千鶴がハアハア言いながら、抗議し始めるころ、


「着いたぜ」


僕はようやく立ち止まった。


そこは川原。


桜並木で有名な、綺麗な場所だ。


「千鶴は、桜、好きだろ」


僕は話しかけながら彼女のほうを見る。


千鶴は何もいわなかった。


ただ、ひらひらと降ってくる花びらを眺めていた。


大きな目に、白い肌。


そして、鈴を転がすような声で、


「蛍は、ずるい」


「そんなことないだろ。優しくしてるじゃん」


僕が少しおどけて見せると、千鶴は、


「ずるいよ」


と、繰り返した。


「何しに来たのかわかっちゃったもん」


頬を膨らませる千鶴を見て、僕は彼女をいとしく思う。


「じゃ、掘り起こすかあ」


僕は千鶴を振り返る。


そして、にかっと笑った。


「タイムカプセルを、な」


僕はその辺に転がっていた木の枝で、千鶴は砂場にあった小さなスコップで、土を掘り返していった。


そこには、僕たちの思い出が詰まっている。


僕はあの夢の続きを思い出していた。


『鶴、折ろうよ』


あの日、僕は彼女にそう提案した。


『千羽鶴。千鶴ちゃんの名前にぴったりだよ』


もちろん、たった二人で鶴を1000羽なんていうのも無理で、結局100羽ぐらいしか折れなかった。


千鶴が折る鶴はきれいで、僕が折る鶴はいびつだったことを、よく覚えている。



かつん。


僕たちの持っていた枝とスコップが、何か硬いものにあたる感触がした。


二人で取り出してみる。


出てきたのはクッキーの缶だ。


僕たちが6年前に埋めたものと、まったく同じだった。


千鶴と顔を見合わせる。


彼女は土のついた顔で、こくりと、うなずいた。


がこん、という音とともに、僕たちの思い出は、解き放たれた。


「え……?」


隣から驚きの声が上がる。


「なんで、なんで鶴が増えてるの?」


千鶴は、そう言って、僕のほうを見た。


僕は、微笑んだ。今までで一番優しい顔だったと思う。


千鶴が泣き出す。


「ずるい、蛍は、ずるいっ……」


手で顔を覆って泣きじゃくる彼女を、僕は抱きしめた。


千鶴は、抵抗しなかった。


そして、言い募った。


「俺は、留学には反対だ」


千鶴は、何も言わない。


「でも、病気を治すためなら、俺は、待つよ」


僕の腕の中で震えていた千鶴の動きが止まる。


「だから、嘘はつくな」



千鶴は、


「私と付き合うのって、すごく、しんどいと思う!デートもめったに出来なくって、したとしても病気に気を遣ってばっかりで、キスだって満足に出来ない。私が男なら、こんな女ごめんだって思うもの!」


ぼろぼろ泣きながら、そういった。


「でも、私は、蛍が好きなの!嫌われたくないの!だから、私……」


「アメリカで手術を受けるから、待ってて、って、最初は言おうと思った。でも、そしたら、また、蛍に迷惑をかけちゃう。重いものを背負わせちゃう。私は、蛍に「重い」って思われたくないの!それだけは、それだけは絶対にいやっ」


「だから、別れようと思った。でも、言えなくて。怒らせるのわかってたのに、病気のためじゃなくて勉強のために留学するって、嘘ついたの」


「ほんとは、それでも待つよって言ってほしかった。でも、言ってほしくないような気もしてた。私、最低だよね」


「でも、信じて。私は、わたしはただ、蛍とずっと一緒にいたいだけなんだよっ!」


僕は、胸がいっぱいだった。


全て振り払った、彼女のほんとうの気持ち。


きっと、僕たちはずっと立ち止まっていた。


彼女の病気は、僕たちの中の色々な何かを奪っていく。


原因はわかっていたのに、それを意識しないように、必死だった。


僕は千鶴のことが好きで、だから、病気なんか平気だと思った。


けど、好きになればなるほど、足りないものを意識するようになっていったのだと思う。


それは、千鶴も同じで。


本当は、二人で悩んで、答えを出すべきだったのに、お互いに、一人で悩んで答えを出そうとした。


僕は、彼女とずっと一緒にいることだけを思って。


彼女は、僕と別れることを思って。


どっちが正しいのかわからない。


けど、だからあの時僕たちは、喧嘩した。


10



お互いに涙でぐしゃぐしゃな顔で見つめ合う。


千鶴は僕の背中に手を回して、目を閉じる。


僕も、そっと、彼女あごを引き寄せた。



11


数週間後。美藤高校。


朝の中庭で、僕たちは最後のお別れをしていた。


「蛍、じゃあ、元気でね」


彼女は、優しく笑って、言った。


「ごめんな。空港までいけなくて」


そう言って謝る僕に、千鶴は首を横に振って、


「テストだもん。しょうがないよ。それに、私は大丈夫」


そっと、小さなプラスチックのケースをバッグから取り出す。


そこに収まっているのは、小さな折鶴。


千鶴は、それをいとおしそうに眺めて、


「蛍がくれた鶴がいるもの」


と笑った。


「きっと、守ってくれるよね?」


無邪気な笑顔。


僕も彼女に微笑みかける。


「当たり前だろ」


そして、僕はそっと空を見上げた。


「どうかした?」


彼女もそれに習う。


すると、ひらひらと、桜色の紙が振ってきた。


ただの紙ではない。


折鶴だ。


「綺麗……」


千鶴は、そうつぶやいた。


「千鶴……」


彼女の体を引き寄せる。


そして、小さな唇に、自分のそれを重ねた。


「ん……っ」


千鶴はちいさな声をあげる。


自分の唇にすっぽり埋もれてしまう彼女の唇。


僕はしばらく無言で、それを貪った。


こんなところを、知り合いに見られていると思うのは恥ずかしい。きっと屋上で鶴を飛ばしている清輝は、得意げな顔をしているだろう。


けれど、この甘い衝動を、押さえるすべは、なかった。


彼女も、何も言わない。


そして、その行為を終えて僕は、少しかすれた声で、言った。


「愛してる」


千鶴は恥ずかしそうにうつむいて、


「私だって……、蛍のこと、愛してる」


といった。


「じゃ、じゃあ、ほんとに行くね。絶対、帰ってくるから」


「ん」


彼女は、ゆっくりと去っていく。


一度も振り返らずに。


きっと、帰ってくるから。


これはとある短編競作大会に出品した作品です。

会話文に力を入れて書いたお話なのですが、同世代の主人公のためかとても楽しくかけました。

11は蛇足なのでは・・・?という意見もあったのですが、私の中ではお気に入りのエピソードなのでここにも掲載させていただきます。

感想ありましたら、宜しくお願いしますー。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 初めまして。 米本城初音と申します。 面白かったです! そして同時に切ない話でした 千鶴ちゃんが良くなって、再び蛍くんの前に現れる日を、待ち構えてしまいます笑 普通の恋人同士にはいかない…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ