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ついてきなさい――そう言われ、チェルが侍女長ヒルデガルトに連れて行かれたのは、通路を幾つか曲がったところにある、突き当りの小さな部屋だった。そこに入ると、彼女は部屋の閂を下ろして施錠する。その部屋には机も椅子もなく、明かり取りの小さな窓が付いているだけの質素なものだった。
入口を背にして立つヒルデガルトは険しい視線をずっとチェルに向けている。一挙手一投足まで、いや、それどころか表情の微細な変化まで見逃さないという強烈な監視の意思がそこから感じられた。
「それで?」
腕組みをしたまま目元をぴくりとも動かさない。
「実はあたし……」
何故その場ではなくわざわざこの部屋に連れてきたのか。それも施錠までして人が入ってこないようにするという用心深さ。更にチェルの体感では、城の玄関口からかなり遠い場所に連れてこられたのではないかと思える。
逃亡の可能性を考慮した上で、不法侵入者は殺してもいいとまで脅しておいて、何を言い出すのかを見極めようというのは、相当知恵が回る人間のやり方だ。それも陰湿な方向で。
だからチェルは敢えて彼女の反応を試すような口実を作った。
「ここの王様が、あたしのパパなんです」
王子には出会えたが流石にあの若さの男を父親にするには無理がある。全く知らない、例えば近衛兵長のような人物を適当に自分の父親にしてしまうことも考えたが、どうせなら一番嘘として通用しそうな名前を口にした。
「そうですか」
だがヒルデガルトは微動だにしない。
「あなた以外にも妾に産ませたという子が多くいます。最近はあまりそういった話もなくなりましたが、まだいたのですね」
そういう事実があるとしても肯定されるとは思っていなかったチェルはやや戸惑いが顔に出てしまい、慌てて無理やり悲しそうに俯き加減になり「あたし以外にも」と小さな声を漏らす。
「それで、いくらですか?」
その声に含まれた諦めの成分からは「結局金が欲しいんでしょう」という彼女の心の呟きが聞こえてくるようだった。
けれどチェルは「お金は要りません」とはっきり口にして、緩みそうになった唇をぎゅっと絞った。真剣な眼差しをヒルデガルトに投げかけ、こう続けた。
「王様が父親だということで脅してお金をいただこうという人ばかりでしたか?」
「どういうことかしら」
「あたしの母親は貧しくてもお金でその気持ちを売るような真似はするなと、そう言って育ててくれました。父親がどこかの国の王様だって聞かされた時にも、母は王様に会ってお金を貰って来いとは決して言いませんでした。ただ父親の顔を見て来いと、そう言ってあたしをここに寄越しただけです。その母は、先日亡くなりました」
世界ごと消えた、とは流石に言えない。
「それは、残念なことだったわね。つまり、あなたはただ母親に言われて、ここに来ただけだと、そう言うのね?」
「はい」
「それで、あなたの話から察すると、お金は要らないから王に面会したいと、そういうことかしら?」
「ええ、可能であれば」
「不可能です」
即答されてしまう。
「それはあたしがただの平民だからですか?」
「そうではないわ。あなたが喩えどこかの国の姫であったとしても、会わせる訳にはいきません」
「身分ではない、他の理由があるということですか? それともただ、誰も会わせないようにしているというだけ?」
眼鏡の所為なのか、チェルにはヒルデガルトの思考が全く読み取れない。これまでチェルは対峙した相手が何を考え、どういう方向に持っていこうとしているのか、ガラスを通して見ているように透けて見えていた。けれど彼女にはそれが全く通用しない。分からない、という恐怖を初めて感じていた。
「それをあなたに答える義務はありません」
「それじゃあ理由はいいです。とにかく今は会わせてもらえない訳ですね?」
「今は、ではなく、あなたには会う権利がないと思って下さい」
僅かでも可能性を残しておこうとしたところを、容易に摘まれてしまう。チェルが考えた程度の小細工は通用しないのだ。
「では会えなくてもいいです。それにお金も要りません。その代わりなんですが――」
それでもチェルは負けないようにしっかりと侍女長ヒルデガルトの目を見返すと、こう提案した。
「あたしをこの城の侍女として、雇ってもらえませんか?」




