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どうやらチェルたちが歩いていたのはその屋敷の敷地内の森のようだった。屋敷を取り囲む柵が立てられており、案内用の看板に泉がこの奥だと書かれている。ちょうど家の裏口らしきドアが見え、そこから一人の薄汚れた服を着た女中らしき女性が出てきたところだ。
「あの、すみません」
チェルが声を掛けるとその女性は「ひゃぁ」と珍妙な声を上げ、すぐにドアを開けて中に引っ込んでしまった。
「何なの?」
呆れているチェルの脇を素通りし、オルフは思い切りどの裏口の木戸を叩いた。
「おい貴様! 何を隠れておるのだ! こちらはただここがどこか知りたいだけだぞ!」
何故そんなに高圧的な態度になるのだろう。明らかに逆効果だと分からないのだろうか。
と、溜息を零したが、チェルの予想に反して中からか細い声で、
「ここはサン・ドリヨン公爵の領地でございます」
そう聞こえてきた。
「そのサンドリ? はどこの侯爵様なんだ?」
「ですから、サン・ドリヨン公爵様でございます」
「儂はそのような侯爵の名前、聞いたことがないぞ」
それはそうだろう。何故ならチェルたちは完全なるこの世界の部外者だからだ。
「そのサン・ドリヨン? て領地の、ここは何て街?」
「ノイエ・シュバインです」
やはりその名前にも聞き覚えがなかった。チェルはもしかしたらここがアースヴェルトからそう遠くない地域なのではないかと僅かな希望を持っていたのだが、どうやら女神が言うように、やはりここはチェルたちの全く知らない土地のようだ。
「じゃあ、もう一つだけいいかしら」
ドア越しのまま、チェルは尋ねた。
「この街にシンデレラという名前で呼ばれている女性がいるはずなんだけれど、ご存知じゃない?」
その問いかけに対し、僅かに扉が開いたが、すぐにまた「ひぃ」という声を響かせて閉じられてしまう。
見ればチェルの後ろからオルフが目元を歪め、明らかに苛立った視線を向けていた。
「だーめよ。そういうことしたら余計に怖がっちゃうでしょう?」
「儂に指図するな、小娘。そもそもだな、人の目を見て話をできない奴とはまともな会話など成立しようがないのだ。だからこうして」
オルフは前に進み出るとドアノブを掴むが早いか、ノックもせずにそれを思い切り捻って引いた。僅かに開いたところに足を差し込み、強引にドアを開ける。
「娘! 何故隠れた!」
「ひぃ! ひぃ! お助けを!」
彼女は開け放たれたドアの向こうで、尻もちを突いて凄い形相をしながら怯えていた。何とも青白い顔だ。痩せて頬が痩けているのに目だけがぎょろりと大きく、骸骨に目玉を嵌め込んだみたいだとチェルは思った。髪はべたついていて、それを無理やり黄ばんだ布で頭の後ろにまとめている。それと同じように黄ばんだ足元までの長さのワンピースの上に、腰から下を覆う前掛けをしていたが、それも何かのソースでも零したのか、シミが広がり、まるでお漏らしをしたみたいに見えた。
「何を怯えておる? 儂はただ質問をしているだけだぞ!」
その質問の仕方に問題があるとは、オルフは考えないらしい。
チェルは彼の前に出て、一度冷たい目線を向けてから、腰を抜かして震えている使用人らしい女性の前に屈み込む。
「あたしたちはね、シンデレラって子を探しているだけなの。このオオカミ男が怖いのは分かるけど、決して危害は加えないから安心して話して欲しいんだけど、いいかな?」
とびきりの笑顔を作り、なるべく柔らかい声音で語り掛ける。こういう時の対処法をチェルはよく心得ていた。
人と人がコミュニケーションを取る上で大切なのは、相手をよく観察することだ、と祖母から教わった。もちろん祖母のそれは円滑に会話を成立させる為ではなく、相手をコントロールする為にはどうすれば良いのか、という第一歩としての話だったが、その教えが今のチェルの対人対話能力のベースとなっているのは確かだ。これも魔法使いの理に書かれていたことだと、ずっと後になってから知った。
だがその女は何度も首を横に振り、ただただ「違う」と繰り返すだけだ。
「これは駄目みたいね。あーあ、折角の第一村人だったのに、あんたの所為で使い物にならないじゃないの」
「はあ? 儂の所為だと? 儂が何をしたというのだ?」
「その自覚のないところがバカだっつってんのよ、このクソバカオオカミ」
「小娘よ。今までは仕方なく相方ということで大目に見てやっていたが、何度も何度も儂を愚弄し、そればかりか明らかに見下し続けていることに対して、そろそろ強硬な手段に出ても良いのだぞ?」
「やれるもんならやってみなさいよ」
首輪を見て、チェルは余裕の微笑を浮かべる。
と、何を思ったか、オルフはずかずかと奥に歩いていき、戸棚から皿を取り出すと、それを手首のスナップを利かせて投げつけた。円盤宜しく、勢い良く回転しながら皿はチェルに向かっていき、彼女が首を竦めなかったら危うくその額を綺麗に切っているところだった。皿は敢え無く外に放り出され、乾いた音を立てて割れてしまった。
「あぁぁぁ!」
その音に声を上げたのは使用人の女だ。
だがオルフは構わず、次々と戸棚の食器類を手にしては、チェルに向かって投げつけていく。
「ちょっと、やめなさいよ。いくら自分の手が使えないからってそういう方法なら大丈夫とか思ってるの?」
「何だと?」
「あの自称女神が言ってたでしょ? あたしたちがその世界を破壊しないように監視してるんだって」
その時だった。
「うがあぁぁぁぁ!」
獣の咆哮を上げたオルフを見れば案の定、右腕が奇妙な方向へと捻じ曲がり、その腕を掴んで思い切り床に転がっていた。流石に骨折くらいはしたんじゃないだろうか。明らかに半年程度は使い物にならなさそうな屈折の仕方だ。
「だ、大丈夫ですかぁ?」
ただその様子を見て表情を変えたのは、先程まで怯え、皿が割れては涙を滲ませていた使用人の彼女だった。
オルフの傍に行き、その腕を見ると、
「ちょっとお冷やした方がいいですねぇ」
立ち上がり、棚から布切れを取り出すと、それを水の入れてある大きな瓶に漬け、軽く絞って彼の腕に当ててやったのだった。




