終わりなき旅
驚いたファンテの視界にはたくさんの人々の群れ。展望台に上がってきた客がリーンを取り囲んでいた。
「すげえぞ、姉ちゃん! それ、何て言うんだ?」客の一人が声を掛けた。
目を開けたらたくさんの人間に取り囲まれていたリーンは戸惑った顔だ。慌ててファンテは客を掻き分け彼女の元へ。リーンの手を取り、展望台の入口にある下り階段に向かった。
「や、何かごめん」リーンは背中からの客の声援を受け止めつつ、ファンテに囁いた。
ぴたりとファンテが止まった。客の方に振り返る。人々はみな、笑顔だ。彼らは先程の口ぶりからすれば歌に拒否反応を起こしてはいない。加えてここは塔のてっぺんで、広い展望台。他に聞く者はなし。ああ、そうだよな、これがリーンなんだよな。
――こいつが、歌えば。
人々が集まり、笑顔になって、幸せになり、前を向いて歩いて行けるのだ。彼女の歌にはそれだけの力がある。
――それを、俺が勝手にどうこうしよう、なんて。
「どうしたのファンテ? 早く行こうよ」促される。その顔に、ファンテはにっこり笑って見せた。
「もう一回やってくれよ!」客の一人が叫ぶ。
「リーン、さっきの曲は何て言うんだ」
「え? ええとね、『終わりなき旅』っていう、日本の歌だよ」
「そうか」俺たちのことを思っての選曲だよな、とファンテは思った。
「……もう一曲、何か歌ってみるか」
「いいの?」リーンの目が輝く。どの道、こうなってしまえば同じだ。
「ああいいぞ。思い切り歌ってくれ」
ぱあっ、と黒髪の歌手は表情を明るくする。二、三歩前に進み出て、その場で次の曲を歌い始めた。
聞き覚えのある歌詞。
「ワンダフル・ワールド……」
ファンテの呟き。リーンの伸びやかなボーカル。先日、とある場所で二人で歌った時は曲の最初だけだった。今日のリーンは最後まで歌うつもりのようだった。取り囲む客は静かになり、立ち尽くしたままリーンの歌に聞き惚れる。ファンテもまた、彼女の歌声に魅せられる。
あの夜、歌わなかった部分をリーンの歌声で聞き、ファンテは不覚にも泣きそうになった。
結局、後からやって来た客も合わせれば五十人近くが展望台に集まり、リーンの歌を五曲聞いた。ファンテは彼らにどうか今日見たことを広めないで欲しいとお願いし、リーンと共に塔を下りた。
「みんな、約束、守ってくれるかな?」塔を出て、宿までの道を二人並んで歩く。
「まあ無理だろ。と言うことで、噂が広まる前に街を出た方がいいな」
ゼシオソートには他にも街があるらしいから、とファンテは続けた。リーンが怪訝そうな顔をする。
「ん? 待ってよ。もう帰るんでしょ、イアシスに」
他の街に行くと言うことは、旅をまだ続ける気なのか、とリーンは問うた。ファンテは何とも言えない表情で頭を掻いた。見ようによっては吹っ切れたような顔でもあった。
「俺はな、リーン。お前を守りたい」嘘のない目だった。
「う、うん。急に何よ」彼女の頬がほんの少し赤く染まる。
「だからさ、守るよ。何があっても、お前がどこに居ようときっちりとな。もうそれでいいと、決めた」
「さっぱり分からないよ」
リーンが告げると、ファンテは一人頷き、何かを納得したようだった。
夕方前に宿屋に戻った。
話し合いの結果、明朝に出発することになった。
リーンは着替える前に荷物をまとめ終えると、自分が魔法の鞄を持っていないことに気付いた。部屋を出て、隣の部屋のドアをノックする。
「ねー、ファンテ。私、魔法の鞄、預けっ放しだよね?」
室内で物音、程なくドアが開いた。
「ああ、すまんすまん」ファンテが鞄をリーンに差し出した。彼女の背後の空間が歪んだ。周囲の物質を巻き込んで大きく渦を巻き、渦が解かれた時、フードを目深にした二人の黒ずくめの男が現れていた。男達は両端からリーンの腕を取り、何事か唱える。再び渦、中に三人が入る。渦が消えた。三人ともいなくなっていた。
ファンテには何が起こったか全く理解できなかった。だが、否応なく目の前で起きたことを総合すれば。
リーンが――攫われた。
青年の硬直していた身体が動く。手に魔法の鞄を握りしめていることに気付いた。いや、そんなことよりも。
「リーン! リーン! 何処だ、リーン!」虚しく見回す。
フロア中に響き渡るほどの大声だ。室内から何事かと宿泊客が出てくる。
彼らが見たのは。
「リーン! リーン! 返事をしてくれ、お願いだから!」
顔面蒼白になりながら、叫び声をあげる若い男の姿だった。
これでお終いです。
ありがとうございました。