塔の上で――思いがけず
翌日。二人は街に出て朝食を摂ることにした。
「ほー、朝からにぎやかだね」往来を忙しなく行き交う人々を見て、リーンは感嘆の声を上げた。
「で? 何で眠れなかったの、ファンテ」
リーンはファンテの目の下のくまを指さした。
――敵わないな。
相変わらず勘の鋭い奴だ。ファンテは頭を掻く。
「世界新党、覚えてるか、リーン」
「あー、あの、芸術とか要らない、って言ってる人達?」
「ちょっと調べたんだがな、やっぱり危ないぞそいつら」
ファンテは組合で仕入れた情報をリーンに告げる。リーンは少し浮かない顔になった。
朝早くから開いている店に入り、席に着いた。やって来た給仕に朝食を注文する。
「じゃあ止めといた方がいいのかな、ライブとかは」
「まあ街中でいきなり襲ってきたりはないだろうが」
目は付けられる。そうなると夜道は危なくなるな――ファンテは給仕が持ってきた皿を受け取り、順次テーブルに並べていく。
「分かった、我慢するよ。私だって危ない目に遭いたくないし」
不満そうではあるが、納得したリーン。ファンテが並べた朝食に手を付ける。パンをちぎって口に入れた。
「にしても、迷惑な奴ら……そういう生き方がしたければ勝手にやればいいんだよ。人を巻き込むなんて」
「ああ、全くだな」ファンテはサラダにフォークを突っ込んだ。
「で、今日は何しよっか」切り替えたのか明るい声。
ファンテは口をもごもごさせながら腕を組んだ。何かを思いついたように正面のリーンに微笑む。
「塔があったろ。あそこに上がってみないか」
昨日の夕方、街を歩き回った時、嫌でも目に付いた高い塔があった。
「お、いいねー。海、見えるかもね」
「と、その前に……」彼は腰の革袋から残金を出した。何枚かある硬貨の額面は良く分からなかったが紙幣はあと一枚だ。多分、ここを支払うと使えるお金は無くなってしまうだろう。
「両替に行ってからにしようか、リーン」
彼女は二つ目のパンに手を伸ばし、頷いた。
組合に寄ってお金を両替する。ファンテは、会館の中がいつもより騒がしいことに気付いた。
「何かあったのか」両替商に問う。彼はああ、と口を開けた。
「新党の奴らですよ、また街中で布教活動をやってやがるんでさ。挙げ句、暴徒化してるとかで」
聞けば、治安維持部隊と共に冒険者も鎮圧任務に赴くのだと言う。
「へえ……どのあたりだい?」
「確か、西の街区だったと思う」
分かった、ありがとう、ファンテは両替の窓口から移動する。
「どうかしたの?」リーンも、どうやらこの雰囲気に気付いているようだ。ファンテは事情を説明する。
「あ、じゃあそっちにはいかない方がいいよね」
「そうだな、気を付けよう」
二人で会館を出て、昨日見た街の中心部にある塔を目指す。
「わぁ……」息を切らして塔の頂上まで階段を上がったリーンは息を呑んだ。先客はちらほらと五、六人。
頂上は三百六十度が見渡せる屋根付きの展望台になっていた。しかも結構広い。周囲にはぐるっと手すりがつけられ、どこの角度も綺麗に見通せた。
リーンは手すりに駆け寄ると両手で掴み、軽く身を乗り出した。
「凄いよ! ファンテ、街があんなに……」
ファンテも隣に並び視界を共有する。塔より高い建物はない、視界がすっきりと抜けている。眼下には豆粒のようになった街並みが映る。まるで作り物のようだった。実存感の薄さが、この景色をより幻想的なものとして際立たせていた。
「いいね……久々だよこんなに高いところに上ったのは。スカイツリーには結局上らなかったし」
リーンの呟きが、ファンテに微笑ましく届く。勿論、スカイツリーが何なのかは分からないが。
「海、どっち?」リーンの問いに、ファンテは後ろを指す。そちらに駆けていくリーン、背後で感嘆詞が上がった。
遠く、視線の先に青い海が見えた。どのくらいであそこまで行けるのだろう、少なくとも不可能な距離じゃないな、とリーンは思った。
「やー、あそこまで行ってみたいなあ」
「――海なら港町でも見たろ?」
「まあそうなんだけどさ。何だか、あの海はもっと青い気がするんだよ」リーンが笑って応じる。目を伏せた。
「ね、ファンテ。多分、引き返さないか、って言うつもりだよね」
ファンテはもう、今更驚かない。
「……そうだ。世界新党とやら、連中の動きが読めない。ここから先、何があってもおかしくないと俺は思う」
「だね。さっきも、街で暴れてるって言ってたもんね……」言ったきり、リーンは遠く、背伸びして海を眺めた。目に焼き付けようとでもするかのように。
ここで歌っていいかな、唐突に彼女は言った。ファンテが見れば他の客は誰もいなくなっていた。
中央に進み出るリーン。邪魔になったのか、魔法の鞄をファンテに預ける。両手をだらりと下げて目を閉じ、歌い始めた。腕組みをして、ファンテは彼女の歌に耳を傾ける。
日本語の歌だ。リズムは遅め。ただ、激しい歌唱だった。世界新党などと言う団体の為に、大事を取ってここから引き返す無念さが滲み出ているのか。刹那、ファンテは後悔した。
このまま海まで旅をしても、何も起こらないのではないか?
二人、辿り着いた海岸に立ち、リーンがふんぞり返ってこう言うのだ「ほら、やっぱり何でもなかったでしょ?」。
ファンテは首を振った。駄目だ。俺はもう。
――二度と、何も。
リーンの歌が終わる。
どっと歓声が上がった。