旅の終わり――帰る場所
宿を決め、何か食べようとなった。大通りに出てみると、中々の人出で賑わっている。リーンとファンテは適当な店に入った。
店内は程良く込んでいた。昼間から酒を飲んでいる連中が少し騒がしい程度。
「どうした、リーン」ファンテの目の前、肉料理を口に運ぶリーンの顔が優れない。
「いや、何と言うか」
彼女はナイフとフォークを皿に置き、コップから水を飲んだ。
「あまり旨くない、とか?」
リーンは首を振る。まあ、普通の味、と付け加えた。
「私達の旅ってさ、もうすぐ終わりなのかな」
手元の料理とにらめっこするリーンが、ぽつりと呟いた。
「南の果て、だからか?」
「や、そういう訳じゃないんだけどさ……」
ファンテにはリーンの気持ちが何となく理解できた。もともと、この旅にはゴールなどない。だが、旅すべき大地の終点に辿り着いて、もう進めないとなったら、その時は? そんな所だろう。
「帰る場所、だよな」
帰る家があるから旅なのだとファンテは思う。そうでなくてはただの放浪だ。これが旅なのだとすれば、帰る家があるべきだ。家さえあれば、そこへ向かって、今度は帰る旅が出来る。
「そっか、家があれば帰れるもんね」
「ああ。まあ、イアシスにでも帰るか」
リーンは頬杖をつく。給仕が空になった皿を下げていった。
「あそこは引き払ったしなぁ。でも、ラクタルには会いたいな」
ファンテも、イアシスの街で酒場を経営する女主人、ラクタルの顔を久し振りに思い出す。
「じゃ、もし果てまで行ったら、イアシスに帰るって事にしよっか」リーンは明るく声を出し、ファンテも同意する。
――帰る、か。
何だか新鮮な感覚だった。この世界に飛ばされてから、そう言えばどこかへ帰ろうとしたことなどない。
――帰るって、ちょっとわくわくする。
リーンは目を伏せ、その気持ちをハミングする。
一分か、二分か。彼女は思い付くままの旋律でゆったりとハミングを奏でた。騒がしい店内、誰も気づく者はいない。
「――あ、ごめん」我に返ったリーンがファンテを見た。彼は椅子に深く腰掛け腕を組み、今まで閉じていた目を開けた。
「良い歌だな、リーン」にこりとする。
「ふふ。ありがとうね、ファンテ」
二人は立ち上がり、店を後にした。
夕方まで街を散策し、宿に入った。上下水道が恐るべきレベルで整備されている。部屋にはきちんとトイレとシャワーがあって、シャワーは水の勢いも悪くなかった。
――ああ、こんなにしっかり身体を洗ったのって、いつ以来だ。
シャワールームから出て、バスローブを羽織り、ベッドに倒れ込んだ。今まで泊まったどの宿よりもしっかりしたベッドだった。悪くないな、リーンはひとり呟いた。
そう言えば、最近人前に出て歌っていない。そろそろライブでもやってお金を稼がなくちゃ。
――明日、ファンテに相談してみようかな。
寝返りを一つうち、目を閉じた。
隣の部屋で、ファンテはベッドに寝転んで天井を見つめていた。
――どうするかな……。
リーンには旅の続行を話したが、実の所、ファンテは迷っていた。
彼が冒険者組合から得た『世界新党』の情報は次の通りだ。
世界新党の構成員は現在およそ二万人で、北方にもかなりの数の信徒が入り込んでいるらしい。この世界で広く崇められている神、『エトナ』を信じる者達を邪教徒として敵視し、時には強行な手段に出ることもあるという。
彼らはここ南の地で、海沿いの崖近くに立つ古城を本拠地としており、信者の約半分が城の近くに自分達の住む家を建て農地を開墾し獲物を捕り、そこで暮らしているという。
ゼシオソートは国として彼らを問題視しており、常時監視しているとのこと。どうやらゼシオを初めとした街に潜入しては布教活動と言う名の破壊活動を行っているようだ。その都度、街の治安維持部隊が排除しているようだが切りがないらしい。彼らが信奉する神は『ダレオス』と言うようだが、非常に厳格な教義を人に強いるようだ。厳しい戒律に基づく不自由な暮らし、聞いていれば信者は増えそうにないが、逆に強い束縛を伴う教えに救いを見出す人間も多いようだ。
街に潜入すると、彼らは布教活動と共に、劇場や美術館と言った施設をたびたび襲撃した。のみならず、画家や舞台俳優と言った人間を拉致監禁し、自分達の神を信じるように強要するのだと言う。大人しく従えば解放されるが、その場合は世界新党の一員となり二度と元の暮らしには戻れない。反対に、拒めば――。
ファンテは溜息を漏らす。
いかに理不尽な考えだとしても、いかに馬鹿馬鹿しい教義だとしても、そこに神、という背骨が通されることで全てがまとまってしまうものだ。あらゆることは神の御意思だとして無批判のまま処理されてしまう。
――迷うな、これは。
海はもう少し南だ。このまま進むと世界新党の本拠地に近づくことになる。リーンの身の安全を考えた時、ここで引き返すべきか、否か。
――正直、これ以上は……いや、しかし。
彼はベッドの上で、眠れぬ夜を過ごすことになりそうだった。