僕と彼女と妹
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「……ヤバい」
「えっ?」
目の前の少女はこの状況の深刻さに何も気づいていないようだがヤバい。ヤバいヤバいヤバい!
今日会ったばかりの女の子を家、しかも他に誰もいない家に連れ込んでいるというこの状況はあまり好意的に捉えられるものじゃないし、この時間あの声と言えば……。と、とにかくルオーネさんをなんとか……隠さないと。
「は、早くこの中に、早く!」
事情がよく分からないルオーネさんは「え?え?」ととまどっているがそんなことにかまっている場合ではない。
トントントントン……
死神が……、死神が階段を上る音が聞こえてくる。一定のリズムを刻む静かで穏やかな音が今の僕には死刑執行までのカウントダウンとなって背中をせっついてくる。
ルオーネをクローゼットのなかに押し込み扉を閉める。慌てて椅子にすわり、机の上に適当に教科書を広げると同時にコンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえる。
「入るよー」
「ああ」と答えつつも扉越しに聞こえた声の違和感に首をひねる。なんだか声が妙に硬くなかったか?しかし、理由なんて分かるわけもなく、深く考える間もなく扉が開かれる。
扉を開いて入って来たのは小柄な女の子だ。小さな哺乳類型のペットをイメージさせる。というか、見た目からはそれ以外のイメージができない。
「おかえり」
常套句のあいさつをすると
「ただいまー、お兄ちゃん」
これまたいつも通りの言葉が返ってきた。
お兄ちゃん……。そう何を隠そういま僕の目の前にいる小動物は僕の列記とした同じ家に住む妹だ。名前は良子<<りょうこ>>。天童良子<<てんどうりょうこ>>。地元の中学に通う三年生だ。
良子は人懐っこそうなクリクリっとした目で部屋全体を見渡す。
「ど、どうした?」
思わずどもりながら聞く。
お、落ち着け。大丈夫だ。最大の決定的証拠物件はしっかり隠した。恐れることは何もない。
「あれ?玄関に靴があったから誰か来てるのかなあって思ってたんだけど……」
しまったぁぁ! すっかり忘れてた。ここは何としても誤魔化さないと。
「あ、あれなぁ、実はさっきまでクラスのやつが来てたんだよ。だけどこの雨だろ?靴がびしょびしょでさ、僕の靴を貸したんだ。その靴はそいつのだよ」
「けど、その靴乾いてたよ?」
え?そんなさっきまで外はあんなにも土砂降りだったんだぞ。その中を歩いてきてまったく濡れてないなんて……、そういえばあの子の服も傘もまったく濡れてなかったような……。
「お兄ちゃん?」
――っ、今は深く考えてる場合じゃない。
「い、いや、それはだな、えーとあーとえー」
必死に言い訳を考えていると良子<<りょうこ>>が下から僕を覗き込んできた。
「あたしに何を隠してるの、お兄ちゃん?」
「実は、クローゼットの中に女の子を隠してて」
――っ!!しまった!
慌てて口を押さえるが時すでに遅し。良子<<りょうこ>>の顔はもう既にクローゼットの方に向いてしまっている。
まただ。昔から妹には甘く接してしまう性格だったが、ここ数か月は特にひどく、目をのぞきこまれて質問されると嘘どころか黙秘することすらできなくなってしまう。こういうのシスコンっていうのかなあ。
そんなことを考えている間に良子<<りょうこ>>はクローゼットの扉に手をかけている。
「あっ、ちょっ、ちょっと待っ」
いまさら制止の声が意味をなすわけがなく、僕の声がむなしく響く。
「「あ」」
二人の少女の声が重なる。扉の取っ手に手を懸け茫然とクローゼットの中を見つめる良子と、クローゼットの中で小さく縮こまっているルオーネの視線が交わる。お互いそのまま見つめあっていたが、やがて良子<<りょうこ>>の肩が小さく震えだす。
「あ、あの、良子?」
おずおずと声をかけるとギチギチギチと音が聞こえてくるような様子でゆっくりとこっちに顔をこっちに向ける。その顔は無表情の顔をむりやり口を横に引っ張って笑顔にしたような顔だった。つまり目が全く笑ってない。
「お兄ちゃん?」
「あ、いや、これは」
「この人、誰?どーいった関係?」
「えっと、こちらルオーネ・マさん。えっと関係は……」
「関係は?」
「きょ、今日会ったばかりっていうか」
それを聞いた良子の顔が「にっこり」といった感じに変化する。もちろんそれは見た者を和ませる類いのものではなかった。
「つ・ま・り、お兄ちゃんは今日会ったばかりの可愛い女の子を家に連れ込んだってことでいいのかな?」
「いや、そうなんだけどそうじゃないっていうか……ま、待て、これには深い事情があるんだ。だ、だから落ち着いてお兄ちゃんの話を聞くんだ」
って言ってるそばから良子の顔がピクピク痙攣して……
「これが落ち着いてられると思ってんのー!!」
大爆発を起こした。
「何が深い事情よ!知り合ったばかりの女の子を家族の誰もいない家に連れ込むなんてどんな深い事情があるっていうのよ!」
すごい剣幕で一気にまくしたてる。
ああ、こりゃしばらく収まんないな、と僕が嵐が一秒でも早く過ぎ去るのをじっと耐えて待っていると妹の冷静さを取り戻させる天使の声が部屋の隅のクローゼットの中から聞こえてきた。
「あ、あの~、ごめんなさい。わたしのせいなんです」
おずおずといった感じの口調だったが、家族以外の声だったためだろう、良子の怒りゲージがとりあえず表面上は冷静さを保てるレベルに下がったのが僕にも分かった。
ふぅ~と息を吐くと閉じていた目を開けて良子がルオーネさんの方を向く。
「ルオーネさん、と言いましたよね。あなたのせいってどういうことですか?」
丁寧な口調になったのはいいが、声が冷たい。この状況なら仕方ないとはいえこれではルオーネさんが少し可哀想だ。
「なあ、良子。もうちょっと温かく」
「お兄ちゃんは黙ってて」
「……はい」
ぴしゃりと言われてしまって僕はもう何も言えなくなってしまった。ううっ、兄の威厳は何処へ。
「事情を説明してもらえません?」
「はい。……実は今日雨の中傘がなくて困っていたところを天童さんに助けていただきまして……そのお礼をさせていただきたくこうしてお家に上がらせていただいた次第です」
それを聞いた良子の顔に疑いの感情が浮かぶ。それはそうだろう。僕だっておかしいと思う。
「……お兄ちゃんはこんな怪しいこと言う人を家の中に上げたんだ……。まあ、それについては後から理由を聞くとして、ルオーネさん、あなた本当にそれだけが目的なんですか?」
他に目的はないのか、と聞かれたルオーネは一瞬言いよどみ、視線を床に向ける。しかしどうしたのか問いかける前に、バッと顔を上げると良子に向ってはっきりと宣言した。
「はい。傘のお礼に天童さんのおっしゃることならどんなことでも喜んでやります」
「……どんなことでも?」
確かめるように繰り返して聴く良子。ルルーネさんはその質問に淀むことなく「はい!」と答えた。
ああ、終わったな……
良子のピクピクと痙攣した顔を見ながら僕はそんな風に悟った。