第26夜 石窟-後編-
絹をこするようなシュッと言う音が聞こえる。
不思議が不安が入り混じる表情のタカイシメグミと目が合う。
黒髪のストレート。ただでさえアジアンビューティなたたずまいの彼女の、その澄んだ瞳に見つめられると一瞬我を忘れそうになる。
いやいやいや・・・今は、そんなメロウな雰囲気ではない。
タカイシメグミの後方から一直線にこちらに何かが飛んできている。
暗くてよく見えないが、薄いフリスビーのような物体のようだ。
「!!!」
少々油断していた。何かが起こり得る事は文字通り死ぬ程解っていたつもりなのに。
あまりにも唐突な危機の登場と、予想を遥かに上回る物体の移動速度に驚愕する。
向かってきているものが何か、具体的には解らない。
しかし、まともにぶつかっては絶対に危険だ。
脳内の危機管理センターから、速やかな回避を促す指令が全身に送られる。
とっさに出た左腕で、何が起こっているか把握できていないタカイシの右腕を掴み手前に引く。
相手がこちらに向かってバランスを崩した勢いをそのまま利用し、相手の頭を胸に抱えそのまま自分の体ごと後方へ勢いよく倒れこむ。
危機一髪のタイミングとはまさにこの事であろう。
まさに倒れこもうとしたその瞬間、謎の物体は薄暗い照明を鈍く反射しながら自分達の頭上スレスレを飛んで行く。
遅れて付いてきた黒髪を容赦なく切り落として、まるで花吹雪のように周囲に散らされた。
ゴジンっっ!!
タカイシの頭を抱え込み可能な限り顎を引いたつもりだったが、受け身に失敗して後頭部をしたたかに打ち付ける。
目の前に星が散る。同時に、散髪された毛が時間差で自分たちの上に舞い降りた。
倒れこんだ衝撃で身動きが取れない。
あまりの痛さに、この後の対応を考えれば速やかに解かなければならない両腕に、より力が入ってしまう。
胸の中では、何となく事情を察したタカイシがモゾモゾと動き始める。
腹のあたりにあった手を伸ばし、後頭部へ手を差し入れ手探りで傷を確認する。
「ん・・・大丈夫?血は出てなさそう。意識ある??」
胸元から聞こえるくぐもった声。
絞り出すように応答する。
「うん。。。だいじょうb。。。」
タカイシはもう片方の手を伸ばし、自分の顔、頭頂部からおでこ、頬の順に撫でてきた。
「んもう・・・んもう・・・」
まるで泣いているかのように声が震えている。
その声が体の強張りをほぐすかのように、抱え込んでいる両腕から力が抜ける。
タカイシは、力が抜けた瞬間にガバッと勢いよく体を起こし、その美しく整った顔を自分の視界に飛び込ませた。
「どうして・・・どうして、あんたはいつも私を助けてくれるのっ??」
その顔は、嬉しいとも悲しいとも言えない、なんとも複雑な表情をしている。
そのままおでこにキスをされ、今度はタカイシの胸元に自分の頭が抱え込まれた。
先ほどとは形勢逆転だが、夢の中ではあらゆる事柄がリアルなのである。
撫でられている後頭部は相変わらず痛い。
同時に、この世の物とは思えない柔らかさに包まれ若干邪な幸せを感じつつも、息が出来ず苦しい。
どうにもこうにも息が続かず、うっかりバンバンとタップしてしまった。
我に返ったタカイシがぎゅうと抱えた頭をはなし、先ほどと同じ体制に戻る。
ほとんど密着状態で目が合う。
体が欲していた酸素を存分に取り込んでやると、急に恥ずかしさが込み上げてきた。
悔し紛れに「しまった・・・苦しくてタップしちゃった・・・もったいない」とつぶやいてしまう。
一瞬の静寂が気まずさを膨らませる前にタカイシは言う。
「・・・あんた、そんな事言えるなんて、もしかしてオンナ慣れしてるんじゃない?」
軽口をたたくように言い放つが、その顔は何故か妖艶だ。
数秒間見つめ合う。
夢の中だという事すらすっかり忘れ目の前の光景に夢中だ。
妖艶な顔を真っ赤にしたタカイシが言う。
「ここ・・・夢の中だよ?さっきの続き、する?」
その言葉が意味する事を理解した途端、自分でもはっきり自覚するくらい顔が赤くなる。
そうだ、ここは夢の中だ。誰に咎められることもなく、何をしたって良い。
ふと、タカイシの後方、天井部分が動いた気がした。
頭を動かしタカイシの後方へ目を向けると、そこにはまたもや鈍い光を反射する物体があるが、ここから見る限りその形状は薄い。
即ち、先ほどと同じ物体が天井にあるとするならば、体勢も相まって、まるでギロチン台で死刑を待つ囚人のような状態になっているという事である。
相変わらず、夢の世界は不条理だ。一体どんな目的があって、命が狙われるのであろう。
急にその働きを戻した脳内の危機管理センターが『もう間に合わない』と言う事実を伝える。
恐らくはその事実を言葉にして伝えるのも間に合いそうにない。
体勢を変えず、そのままタカイシを抱く。
抱きしめた直後スンッと言う音をたてて頭上から物体が落下する。
刹那の後、自分の意志とは無関係に首が右側を向く。
意識が消失していく前に見たのは、タカイシメグミの胴体から遠く離れた彼女の後頭部だった。
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遮光カーテンから漏れる日の光とスズメ達が気忙しく鳴く声が、少しずつ脳内に浸透していきそれと引き換えにゆっくりと目が覚めていく。
目を覚まして一番最初に訪れる感情は、激しい絶望感。
それは今日も変わらない。
目覚まし時計に表示されてるデジタルの日付が昨日よりも一日進んでいる事だけが唯一の救いともいえる。
ベッドの端に座り込み首を抑える。
首を抑えつつ夢の内容を噛み締めるように反芻すると、全ての感情がごちゃ混ぜに全身を襲う。
「・・・ダメだ、思い出すのはやめよう。」
よし、シャワーでも浴びよう。
今日もまたいつもと変わらない日常を送れるように。




