第23夜 練習-前編-
「えっと、右足を4回踏みながら右手を8回動かしてみようか」
夏休み中の部活動は10時から始まり16時には終了する。
強豪校であれば吹奏楽コンクールなどに挑戦するのであろうが『自主性を重んじ、演奏を楽しむ事』に重点を置いている我が校のブラスバンド部は、年に数回ある他校との合同演奏会や文化祭などの学内イベント以外に演奏を披露する機会はない。
明確な目標がなければ部活動の練習もつまらない物になるかと思ったが、いざ所属してみるとそれはそれでそれなりに目標もでき、決してだらけた雰囲気にはならない。
中学の頃は夏休みの前半に開催される吹奏楽コンクールの地区大会に出場する為、1学期の終業式後からみっちり、時に保護者から心配の声が上がるほど、文字通り朝から晩まで練習したものである。ギチギチのスケジュールに厳しい指導。良くも悪くも緊張感に溢れていたあの頃と比べると、まるで天国だ。
個人的には夏休みの期間にも意中の相手に会えるので、そういった意味でも毎日は楽しく張り合いがある。
平日の練習の後は、須田率いるバンドの練習に参加する。
高校から自転車で自宅とは反対方向へ向かい15分程、国道近くにある『定食 鈴の家』。
食事時には駐車場がいっぱいになるほどの繁盛店だ。
店舗の裏手には鈴木の自宅があり、敷地内にもう一つ離れと言う名の倉庫がある。
倉庫の中は雑多としていたが、エアコンもあり中は快適で、練習会場としては申し分ない。
田舎とは言え、夕方から夜にかけて練習をするとなると近所迷惑にならない物かと思っていたが、鈴木の自宅・店舗の周辺は畑に囲まれており、隣の家ですら歩いたら10分程度かかるのではないであろうか、と言う場所にある。
高校生バンドコンテストと言うなんともストレートな名称の大会に出場する為、バンドメンバーの一員として出場してほしいと声をかけられた訳だが、参加した初日にある意味衝撃的な相談をうけた。
「くにーちゃん、あのさぁ・・・ステージで歌ってくんない?」
思いもよらなかった須田の発言に、おそらく鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたのであろう。
その場にいた全員が直後に爆笑した声を聴いて我に返る。
「え、え?一体どういう事?俺はドラムなんじゃなかったの?」
即席のスタジオに集まったメンツは5人。
自分・須田・倉持・鈴木の他、通う高校は異なれど須田の幼馴染と言う高橋が加わっていた。
自分以外は全員女子と言う、性別的にはマイノリティである。
蕪木に言わせると『羨ましすぎる』の一言だが、女性に囲まれている環境が幸せに直結する訳でない事は中学の部活動で身に染みている。
「聞いての通り、私が作ったオリジナル曲やるんだけど、須田ちゃんの声じゃ合わなくってさぁ。」
挨拶もそこそこ、まだ面と向かって話したこともない高橋から説明を受ける。
そうは言われても、自分は歌に自信がある訳ではなかったし、歌うという事はバンドの華でもあるボーカルを務めるという事でもある。
不細工代表のような顔立ちの自分が、それを務めて良いのか、甚だ疑問でもあった。
「まぁ、いいからいいから、ちょっとほら歌ってみて」
真夏と言う事もあり、胸元にあるたわわな存在が強調されたタンクトップ姿の須田が茶目っ気たっぷりに言う。
既に弾き語りのデモテープをデータで貰っていたので、曲自体はすっかりと覚えていた。
とは言え、この曲にどうリズムを加えていくかを考える為に口ずさんでいた程度である。人様に聞かせられる程のクオリティで歌えるはずはない。
高橋が持ち込んだキーボードを使い、曲のイントロを弾き始める。
有無を言わさないその状況に、とりあえず歌うか、と覚悟を決める。
最近の流行りなのだろうか、手にした譜面の左端には調号である#が5つもある。元コルネット奏者の立場からするとめんどくさいなぁと思うだけであるが、単音を追っていくコルネットとは異なり、スケールをより把握しやすい鍵盤楽器には#や♭がいくつあっても関係ないのかもしれない。




