第19夜 冷汗-後編-
一階と二階の高低差から生じる、冴えない高校生男子には素晴らしい景色。
ミニスカートやショートパンツ、浴衣からチラリとのぞく様々な脚。
脚線美の誘惑と言うには些かチープな景色を自分と生井を除く面々は楽しんでいるようだ。
演者の息遣いまで聞こえる席で演奏を聞けるとなると自分や生井にとっては特等席なのだが、どうやら他のメンバーにとっても特等席になっているらしい。
まったく何処を見ているのかと、半ば呆れながらそんな彼らの視線を追う。
左から順に視線を送り、一番端まで見終わった所で自分の中に何か引っ掛かるものを感じる。
先程、初めて渡辺に会った時と似たような薄気味悪さが一気に体の中を駆け巡った。
中ほどに座っている若い女性。
ありきたりな筈の長い黒髪に見覚えがあった。
しかし、一体どこで会ったのか、肝心な部分が思い出せない。
「あれぇ・・・くにーちゃんはああいう女性がタイプなのー?」
青柳がからかうように言う。
「え、どれどれ?」「どこだどこだ?」
貝塚やサトスもコチラに興味を向けてきた。
「タカイシメグミ・・・」
知らないはずの名前がふと口をついて出た。
そして、自分の中の得体の知れない恐怖心が徐々に大きくなっていく。
「え、中学の時の知り合い?」
突然、生井が我に返ったように会話に参加する。
渡辺もこちら側の会話に耳を傾けているようだ。
「あ・・・いや、そうかなって思ったけど、人違いみたい、あはは」
自分でもハッキリと解る程、額に冷たい汗をかいている。
3曲目、映画の中で演者が実際に楽器を演奏した事で有名になったスウィングジャズの名曲が始まる。
何度も映画を見返したほど好きな曲目であったが、もう演奏は耳に入ってこない。
ステージだけに照明があたり自分の周りが暗い環境のせいか、様々な考えが一気に脳内を駆け巡る。
どうして見ず知らずの人の名前が口をついて出てきたのだろう。
本当にその人を知らなければ名前など出てくる筈もない。
どこかで会った・・・?小学校、いや、もしかしたらもっと以前?
もしかして、隣に座る渡辺と同様に夢で出会った人物とか・・・夢!?
どこで出会った人物なのかを思い出した瞬間、意思に反して体がビクっと反応し座っている椅子を鳴らす。
幸か不幸か演奏が盛り上がっている最中であった為周囲からヒンシュクを買うような事は無かったが、隣に居る渡辺にその挙動はハッキリとバレていた。
「どうした、外の空気でも吸ってくるか?」
渡辺に促され演奏の途中ではあったが席を立つ。
周囲の視界を妨げぬよう、なるべく腰を落としつつ出口に向かう。
「いやぁ、暑さのせいか具合が悪いみたいで少し休憩をね。」
演奏にかき消されそうなボリュームだが、渡辺が三浦にそう伝えたのが後ろ手に聞こえた。
ホールを出ると中での大音量が遠くに聞こえる位、別世界だ。
渡辺に言われたように、熱気にまみれた空間ではなく外の空気を思い切り吸いたかったが、外気温のせいで気分転換にはならないであろう。
それよりも、どうしても先ほどの女性が気になって仕方がない。
こうなると、考えるよりも先に体が動く。
あたりをキョロキョロと見回すと2階の観覧席へ通ずる階段が見える。
半ば確信に変わりつつある夢と現実の狭間にある出来事を、確固たるものに変える為階段を駆け上がる。
手元にある演奏プログラムを見ると3曲目で一旦休憩が挟まれるようだ。
今、このタイミングを逃したら二度と会えないかもしれない。
確認せずに後悔するくらいなら、自分の確信がただの思い込みであったとしても、人違いでしたと謝るくらい造作もない事だ。
観覧席への入口に手をかけ、そっと開ける。
丁度演奏は最後のクライマックスに差し掛かっていた。
小節数で言っても秒数で言っても、残りはほんの僅かだという事が解る。
暗く、そして混み合っている観覧席を見回し、目当ての女性を探す。
丁度特徴的な黒髪を見つけた所で演奏が終わり、司会者による休憩のアナウンスが流れると同時に観客が一斉に席を立ち出口へ向かう流れが始まる。
何とか見失わないように、人の流れに逆らいつつ女性の元へ向かう。
どこにこれだけの人数が座っていたのかと言う位沢山の肩にぶつかりながら、ようやく声を掛ければ届く距離まで近づく事が出来た。
・・・しかし、ここで考え無しに行動した事が原因の壁に直面する。
なんと声を掛ければ良いのか全く考えていなかった上に、いざ目前に彼女の顔を見ると記憶以上のその端正な顔立ちに一瞬我を忘れてしまう。
声を出さなければどうにもならないシーンだと言うのはよく解っているるもりだが、肝心の言葉を発する事が出来ない。
「あ・・・」
ようやく振り絞った、人生で一番最初に先生から習う文字。
聞こえる筈もないボリュームだと思ったが、その声は女性の耳に入ったようだ。
沈黙のまま目が合う。
僅か数秒の間であるが自然の流れに逆らう時間である事は明白だ。
彼女の隣に居た女性が、見ず知らずの男性と友人である女性が無言で見つめ合う不思議な空間を破る事になるが、それは自然な流れだろう。
「・・・メグミ?お知り合い?」
メグミ、と言う名前を聞いて全身に鳥肌が立つ。
「タ・・・タカイシ、さん、ですよね?」
薄気味悪さと緊張が相まって、自分の表情はガッチガチに固まっているに違いない。
それでも、勇気を振り絞って強張った声を出した自分に返ってきた言葉は、予想や希望とは異なるなんともそっけない物であった。
「え・・・あー、違いますけど。」
違う筈はない。今「違う」と答えているその声は、夢の中で聞いた強盗へ啖呵を切っていた声そのものだ。
しかし、一連の出来事をどう説明して良いか解らぬ自分には、これ以上振り絞る勇気はどこにもなかった。
「それじゃ。」
そう言うと彼女は「行こ」と隣の彼女の手を引き出口へ向かってしまう。
穴があったら入りたいと言う慣用句は、こういう時に使うのかもしれない。
冷静に振り返ると、傍から見れば中二病そのものの行動に加え、自分が勝手に勘違いしただけなのかと思うと猛烈に恥ずかしくなってしまった。
それでも、黒髪を揺らしながら出口へ向かう彼女から目を離す事が出来なかった。
自分も出口へ向かおうとしたその時、彼女が一瞬こちらを振り向き、再度目が合う。
体の良いナンパかなにかと勘違いされているのだろうと思っていた自分は、恥ずかしさのあまり目を逸らそうとしたが、続けて取られた彼女の行動は自分の想像を遥かに超えていた。
端正な顔立ちをクシャっとつぶしたかと思うと、先程の塩対応が嘘のようなフレンドリーなスマイルで大げさなウインクをしたのだ。
イジワルな笑顔、とでも表現すれば良いのだろうか。
なんにせよ、旧知の仲である人間にしか見せない表情である事は想像に難くない。
今日は想定外の出来事が多すぎる。
今の出来事が意味する所を掴めぬまま、もう一つの想定外の主である渡辺の声が耳に入る。
「國井くん、気分が良くなったなら降りてきたらどうだ?」
階下から声を掛けるにしては穏やかな口調であったが、騒音の中でも不思議とその声は自分の耳にハッキリと入ってきた。
顔を向けると、自分が何故二階の観客席に居るのか事情が呑み込めぬ男子高校生の一団と大あくびをしている三浦が視界に入る。
隣に居る不敵な笑みを浮かべる渡辺の目は、年に似合わず好奇心にあふれていた。
相も変わらず前後編のバランスが・・・汗




