第7夜 授業-後半-
「お前には選択肢が二つある、それは"はい"か"イエス"かだ」
体育教師の三浦にそう言われて、教官室に行かないという選択肢は無かった。
「失礼します!1年1組國井です!」
二度ノックをした後、なるべく声を張り上げて中に入る。
しかし、そこには誰もいなかった。
拍子抜けをし、どうしたものかと思案していたら程なく三浦が入ってくる。
「お、なんだ、お前随分早いな。ホームルーム終わってすぐ来たのか?真面目だな。」
先生が来いって言ったんじゃないですかと反論すると、三浦は着いて来いと言いつつ教官室を出た。
ついた先は先ほどの授業で使った武道場だ。
「おい、1年・・・あーおまえだ、お前来い。」
そう言われて来た生徒は小林と言う隣のクラスの生徒だった。
自分と同じような体格の小林は、中学時代は文芸部に所属していた。
後に同じ中学だった貝塚の話から、いじめを受けた経験から少しでも強くなりたいと願い柔道部に入部したとの事だった。
未だ周囲の同級生は体験入部の期間である。
しかし、彼は入学してから程なく自分からこの扉を開いたというのだから、強くなりたいという気持ちは本物なのだろう。
「國井、とりあえずブレザー脱げ。」
紺色のブレザーを脱ぐと、授業の時みたいに組めと三浦に促される。
体育の授業は奇数組と偶数組の2組同時に行わる事が多いので、2組の生徒である小林の事は知らない。
小林もまた自分の事は知らず、なぜ今こうしているのかを知っているのは三浦だけだった。
「いいか、そのまま背負い投げやってみろ」
そう言われ小林が体を動かそうとする。
いやいや、違う違うと三浦が小林を制してこういう。
「お前がやるんだ、國井」
何を言っているのか。
果たして今日は一体何度この言葉が頭をよぎっただろう。
先ほどの授業と言い、今と言い、一体何なのか。
しかし体育教師に逆らう事も出来ず、夢でやらされた体術訓練で似たような事があった気もして必死に思い出しながら体を動かしてみる。
突然連れてこられた制服姿のへっぴり腰と元いじめられっ子の生徒が三浦の前で何かしている。
当然目立たない訳もなく、次々に部活動にやってきた先輩方は柔道着に着替えつつこちらの様子をうかがっている。
自分はと言えば、確か1,2,3のタイミングだったよなとか、足はこうするんだよなとか、頭の中で自分が夢の中でやっていた動きをトレースしていた。
3度4度繰り返したあと、5回目で急に頭ではなく体が動いた。
少し距離を取ったところから勢いよく相手の懐へ深く踏み込み、自分の体を小さく丸めると同時に背中の方へ向ける。
視線を安定させつつ相手を自分の方向へ崩しながらそのままお辞儀をするように・・・
スパン!
気が付いた時には驚いた顔の小林とばっちり目が合っていた。
周りの視線が一気に集まる。
まったくと言っていい程力を使わずに小林の体が浮き、柔道の技、ましてそれが柔道の代名詞とも言えるような大技を決めてしまい、頭が一気にパニックになる。
いままで思ったように力が伝わらない事でやきもきしていた脳内は、突然湧いて出たヒントに整理がつかない。
大丈夫?と声をかけ、小林の手を握り立つのをアシストしつつ三浦の顔を見るとしたり顔でこちらを見ている。
「やっぱりな。國井、お前小学校くらいまでやってたか?ん?どこでやってたんだ?」
何のことかさっぱりわからないが、もしかして三浦は自分を柔道経験者だと勘違いしているのではなかろうか。
「い、いえ!やった事なんて、ななな、ないです!」
完全にしどろもどろになっているが、妙な確信をもって三浦は続ける
「まぁいい、どうだ今日だけでもやっていかんか?なに、入部するしないはまた決めたら良い。」
冗談ではない、運動部に入部する気なんてさらさらないのだ。
しかし、断りたいと思ってもこの流れを断ち切る程の断り方を知らなかった。
結局、屈強な先輩方やまだ数名しかいない1年に交じって部活動に参加することになってしまった。
さっきはすごかったね、本当にやってなかったの?と小林がまるで3年間を共に出来る仲間でも見つけたように瞳を輝かせて聞いてきた。
「いや、本当にやった事ないんだよ・・・」
体育のそれとは異なる基礎体力作りのメニューに、息を切らしつつそれだけ答えるのがやっとだった。
<ふわっ>とでも表現すれば良いのか解らないが自然と担ぎ上げる事のできたその理由を知りたいと思わない訳でもなく、そんな事を考えている表情は小林からすると入部を迷っているようにも見えたのかもしれない。
「乱取やりまーす!」
3年生のガタイの良い生徒がそう叫ぶ。
乱取稽古とは二人一組で実際に技を繰り出しながら行う練習のようだった。
黒帯の塚原も交じって練習しているが、当然我々は横でそれを見ながら体育の授業でやったような受け身の練習をひたすらに続けていた。
2時間程過ぎた頃、ようやく部活動が終わる。
受け身をやり続けたせいで手のひらも背中もジンジン痛い。
ヘロヘロと言う表現がぴったりの今の状態では着替えるのもままならなかった。
「國井、おまえよく頑張ったな。よかったら明日も来いよ。」
ニコニコしながら三浦がそう言う。
選択肢は"はい"か"イエス"だ、とは言われなかったが、有無を言わさないような物言いだった。
「今日はありがとうございました、失礼します。」
疲労困憊で思考もまともに働かず、それだけ言って部室を後にした。
校門を出るあたりまで小林がずっとそばにくっついていたような気もするが、何を会話したのかも覚えていない。
帰りが遅い事を心配する母親だったが、柔道部に体験入部してきたと伝えると今まで見た事もないような驚いた表情をした。
説明をするのが少々面倒だったので
「友達に無理やり誘われてさ、入部はしないから」
とだけ伝え、準備されていた夕食を食べる。
久しぶりにご飯をおかわりしたが、かきこむように食べていく。
ラガーマンとして高校時代は花園を目指していた父親が体験入部の話を聞いたら、また話が長くなりそうだったからだ。
幸い、今日はまだ帰宅していない。
面倒な事になる前に、さっさと部屋にこもってしまおう。
「ごちそうさまー」
麦茶をゴキュッゴキュッと喉を鳴らしながら飲み干し、自室に戻る。
やっとの思いで部屋着に着替えベッドにバタンと倒れこんだ。
全身が疲労に包まれている感覚。
決して嫌いではないが、好きになれそうな感覚でもなかった。
今日も今日とて色々あった。
ぼやっと反芻していたが、睡魔がすぐ隣までやってきていたようで、程なく眠りについていた。
武道必修化に伴い柔道の授業も復活したけれど。
体育教師に教わるのと、有段者の他の教師に教わるのでは圧倒的に後者に安心感があった。
柔道は決して安全なスポーツではない。
きちんと受け身が出来ても、大外刈りで倒され続ければ脳震盪を引き起こしかねない。
それを「身を以て知っている」有段者は決して無理な指導はしなかったように思える。




