「理想郷」が動き出す③
「何があった!」
ソードの屋敷へと吾我と杉本が走ってくる。突然開いた空間の裂け目に捕えていた魔人たちを連れていかれたのでここまで駆けつけたのである。二人の目に最初に映ったのはワールドの姿だった。
「……やっぱりコイツを外に出したのか」
「何ですこのムシケラは……」
彼らの頭上に足を上げる。二人は思わず身構えた。彼女の脇で抱えられたローズが暴れ出す。
「止めてー!約束と違うでしょ!もう人間を傷つけるのは止めるんじゃなかったの!」
弟子の声で目覚めたローズの必死の抗議のおかげで、吾我と杉本を踏みつぶす直前に足は止まった。かと思うと遥か上空へと持ち上げられ、元の位置へ帰る。ずうんと地面が揺れた。
「不本意ですが……そうでしたね。残念ですが仕方ないです」
「残念ってアナタ……!……あれ?エックスは?」
ローズはきょろきょろ辺りを見回す。エックスの名前に、ワールドとヴィクトリーの表情が暗くなる。
「エックスは……」
ワールドが口を開いた時、屋敷の屋根を突き破って四人の魔女が飛び出した。ユートピア、ソード、トリガー、そして。
「……なんでエックスがそこに?」
ローズは目をぱちくりさせた。吾我と杉本は唖然として上空を見つめる。
「コホンコホン。アーアー。テステス。うん。よし。みんなー!聞こえるかなー!?」
わざとらしく咳払いしてユートピアは大きな声を上げる。心の底までに響いてくるようであった。魔法の力がこの世界にいる者全員に声を届けているのだ。
「殆どの魔女の子は『ボク』の事を知らないと思うから、教えてあげるね!『ボク』の名前はユートピア!X04なんて呼ばれていたこともある!けどその名前は大っ嫌い!そう呼んだ子は許しません!覚えておくように」
「何を言っている?X04?ユートピア?アイツ一体何者なんだ?」
「エックスのキャンバスを持っている最後の一人。トリガーや、私を操っていた魔女よ」
吾我の疑問にヴィクトリーは答えた。そして、それを聞いて思い至る。
「まさか……エックスまで……?」
ユートピアを見上げる。彼女の言葉は更に続いた。
「今この瞬間をもって、魔女の世界は『ボク』のものになりましたー!異論は認めないよー?イヤだって子の所には『ボク』の仲間がお仕置きに行くからねー!」
彼女の仲間として紹介されたソードとトリガー。二人の言葉までもが心の中に響いてくる。だがそれはどうでもよかった。問題なのは最後の一人。
「初めましてー!『ワタシ』の名前はキサナドゥ!趣味は小人を苛めて遊ぶことでーす!今度人間世界に遊びに行くから、一緒に行きたい人は言ってねー!」
「……ざ、けんな」
公平がヴィクトリーの手の中で目を覚ます。怒りに燃える瞳がユートピアを見上げていた。
「そういうわけだから。これからみんな『ボク』の言う事は何でも聞かないとダメだよー?それじゃあ待ったねー!」
そう言ってユートピアたちは去っていった。高速で飛んでしまって、その姿はもう目で追えない。公平はヴィクトリーの手の中で立ち上がる。
「エックスが……俺のせいで」
「いや……それは……」
「そうですね。お前のせいです」
言い淀むヴィクトリーとは裏腹に、ワールドはハッキリと言った。彼女にも概ねの状況は分かっている。だから言った。公平は「そうだな」と答えて、腕を上げる。
「俺のせいだ。俺がもっと強ければ」
「ちょっと待って」
ヴィクトリーはそう言って手を握った。公平はエックスの所へ行こうとしている。彼女を救うために。だが今そんなことをしても殺されるだけだ。最悪、エックス自身の手で。そんなことは絶対にさせられない。もしそうなれば、彼女はユートピアの呪縛から解放されたところで二度と立ち直れなくなる。
同じように操られていたヴィクトリーは知っている。洗脳されている間も意識は残っていて、自分の身体が何をしているのかを見せつけられるということを。ずっとミライを殺してしまうのではないかと恐かった。
「アンタの気持ちは分かるけど、まずは作戦を考えて……」
そう言いかけた時、彼女の手が内部から無理やりこじ開けられた。そこに立つ公平は言い放つ。
「俺がアイツをぶっ潰せばそれで終わりだ」
そして公平はエックスの元へと通じる裂け目を開き、飛び込んで行った。ヴィクトリーにもワールドにもそれを止めることは出来なかった。彼の中で起きた大きな変化に気を取られたせいだ。
「またランクを上げた……?」
公平はランク99にたどり着いていた。これまでの決死の特訓と、エックスを喪失したことによって生じた感情の爆発がそこまで到達させたのである。
ヴィクトリーは茫然としていた。魔法のランクという点においてではあるが公平は彼女を追い抜いて全盛期のエックスや今のユートピアと同じところに届いてしまった。もしかしたらと思ってしまう。
「お、追いかけないと!」
ローズの言葉に我に帰る。ランクがどれだけであろうと、人間が四人の魔女を相手にするのはやはり危険だ。ヴィクトリーはユートピアの位置を探知してそこまでの裂け目を開こうとする。だがしかし。
「ダメでしょう。道は開けないです。この世界全部を何らかの魔法が覆いつくしているせいですね」
世界全域を包むほどに大規模の空間操作。この大きさのものはソードにはとてもできない。ワールド以外に可能なのはユートピアかエックスくらいだろう。同時に、解除できる魔女もその三人だけだ。
「……お願いワールド。貴女だったら」
「……仕方ないですね。何にせよ一度ここを離れないといけないわけですし……」
ワールドは魔力を集中させた。
「あの人間を助けるのはついでですよ?」
ユートピアは空を優雅に待っている。スキップしているような気分だった。足元には深い谷を見下ろしている。底は見えなくて周囲は岩場が広がっていた。彼女の眼には荒れ地ですら輝いて見えた。この世界が丸ごと自分のものになったのだから。だから全部を見て回る。自身が手に納めた魔女の世界を隅々まで探検する。
そんな時、四人の魔女の眼前で空間の裂け目が開いた。そこから公平が飛び出してくる。『エックス』──キサナドゥの力で世界全域を異界化し、空間の裂け目を開くことは出来なくなっていたはずだ。ユートピアは訝しんだ。
手を固く握りしめ小さく震えている公平の前に二人の巨大な影が立ちはだかる。ソードとトリガーが彼を見下ろした。
「何のつもりだムシケラ?死にに来たか?」
「……んでろ」
「何?」
「……雑魚は引っ込んでろっつってんだよ!」
いうや否や公平の手に二本の『レベル4』が握られる。相手に何かをさせる前に振り下ろしソードとトリガーを斬り飛ばす。
ユートピアは目を丸くした。『レベル4』はランク98の時点で一つ出すのがやっとの魔法だったはず。それが今は二刀。すなわち。
「ユートピア……!」
「『ボク』と同じ。ランク99、か」
「ぶっ潰す!」
公平は宙を駆けた。標的に真っ直ぐ向かっていく。先ほどの刃とは違う。ユートピアに対する一撃には100%の殺意が籠められていた。殺したっていい、と、公平は考えていた。
刃を振り上げた時、キサナドゥが割って入った。その姿に公平の腕は止まる。このまま行けば彼女を真っ二つに斬ってしまう。そんなことは出来ない。彼には『エックス』を斬ることは出来ない。
魔女をも切り払う刃を振り回す小人が動きを止めて安心したのか、キサナドゥは微笑みながら公平を握り潰そうとする。巨大な手が迫ってくる状況で、一瞬考えてしまった。このままエックスに殺されるのは、それはそれで悪くないんじゃないかと。どうせどこかで終わる命なら。ここで終わってもいいんじゃないかと。
『ダメだよ!』
そんな声が聞こえた気がした。ハッとして顔を上げる。巨人の手は公平に触れるぎりぎりのところで止まっていた。先ほど公平が攻撃を止めたのと同じように。
「あ、あれ……?」
それ以上動かせない手に、キサナドゥは困惑している。だが公平は理解した。エックスが止めている。護ってくれている。その手に飛び乗って、そのまま腕の上を駆け抜けて、肩から飛び出す。最早遮るものはない。
「ユートピア!」
ユートピアはワールドの屋敷でやったように指で銃を形作り公平に向ける。
「『禁ぜよ。BAN』!」
その瞬間に公平の手から『レベル4』が消えた。
「なにっ!?」
『刃』の消失に気を取られてしまい、迫りくるユートピアの手への反応が一瞬遅れた。巨人の平手打ちを受けて猛スピードで叩き落される。荒野に落ちた公平は、骨はいくつも折れて辛うじて生きている状態だった。だが彼は諦めなかった。エックスがまだ待っていると分かったからだ。
「『ゲアリア』!」
痛む身体を無理やり回復させ立ち上がる。ずんとソードが降りてきた。彼女も既に傷を回復させている。『レベル4』を再度発動させようとした。だがしかし手には『黒い刃』は現れない。舌打ちしながら『レベル2』の鎧を纏い、『レベル3』の刃を手にした。
「許さんぞ……!ムシケラ……!」
「キレてんのはこっちなんだよ!」
二人のやり取りの最中、ユートピアが降りてくる。彼女は怒れるソードを呼び止めた。
「待ってソード。コイツは『ボク』がやる。必殺の魔法を封じたとは言ってもそれでもランク99の魔法使いだ。『ボク』じゃないときっと厳しいと思うよ?」
「だが……!」
「ソード」
名前を呼ばれて、その目を見て、ソードは渋々矛を収める。代わりにユートピアは臨戦態勢となった。全身から放たれる圧倒的な力が公平の身体を痺れさせる。
人間と魔女の身体では絶望的なまでの差がある。相手が油断していない限りはフィジカル勝負では絶対に勝てない。
ランク99に達したということは魔法という土俵の上でユートピアに並んだだけの事。根本的に不利なのは変わらない。それでも公平は叫ぶ。
「それでも勝つ!テメエをぶっ潰す!」
「そうかい。じゃあ。おいで。虫けらくん」