「剣」と魔人⑰
「どうしたどうした!逃げてばかりで私に勝てるのか!?」
ローズは必死にソードの猛攻に立ち向かう。『薔薇園の鞭』が剣戟を受け止めはじき返した。激しく繰り返される敵の攻撃に防戦一歩である。何とか隙を作らなければ敵のやりたい放題だ。ローズは一か八かで手を掲げる。
「『薔薇園の雨・完全開放』!」
雲が呼び出され怒涛の豪雨が降り出す。そして植物を操り敵の動きを止める。そのつもりだったが──。
「……あら?」
植物たちは反応しなかった。ソードは戸惑うローズに向かって一歩踏み出した。
「ふんっ!」
「きゃあ!?」
ローズの髪の毛が少しだけ切れた。紙一重。もう少し避けるのが送れていたら額が切れていたところだ。鞭を地面に叩きつけ勢いで跳びあがり距離を取る。雨に濡れる地面を滑りながら後ろに下がる。ソードは足元を指差した。
「相変わらず馬鹿だなあローズ。ここごどこだか忘れたのか」
「くっ……そうだったわ」
足下は鋼鉄に覆われている。刃のように冷たく無機質な世界がソードのフィールドだった。これでは植物たちに雨は届かない。そもそもこの下に植物があるのかどうかも怪しい所である。
「これで。お前の手は尽きたか?」
戦いが始まってどれくらい経っただろうか。五分か十分か。既に他の場所では決着がついただろうか。エックスから教えられた作戦はタイミングを間違えることは許されない。遅れて負けてしまっては元も子もないが、早すぎてもいけないのだ。
「それとも他に手はあるのか?もっと楽しませろ。でないと」
ソードは手に持った剣を頭上へ放り投げた。剣が回転しながら13本に数を増していく。
「殺してしまうぞ」
「『完全開放』……!」
ローズは思わず奥歯を噛んだ。前へと走っていく。まだ雨は止んでいない。鞭を解除しキャンバスのリソースを大きくしてその分を雨に回す。降り注ぐ豪雨は更に勢いを増しソードの視界を遮る。
「ほう。こういう使い方もあるのか」
ソードは愉快気に言う。一方でローズは雨の中で唇を噛んだ。本当はこんな使い方したくない。魔力の無駄だ。
バシャバシャと水の弾ける音がした。地面は鋼鉄。雨でぬれて滑りやすくなっている。ローズは走り出すと勢いよく足から倒れるようにして、服が濡れるのも構わずにスライディングした。そのままにソードの真横を通る。同時に『鞭』を彼女の足に絡めた。思い切り鞭を引っ張る。咄嗟の事で倒れそうになるところに『断罪の剣』のうちの1本がソードの手の内に飛んできて鞭を切断される。空中で一回転してソードはその場に立った。
「なにがしたい?」
振り返るとローズの姿が見当たらない。雨の音で足音もかき消されている。雨の力のせいか位置を探知することも出来ない。何かがおかしい。これではまるで時間稼ぎ。ソードは上空の雨雲を見上げた。
「『断罪の剣・完全開放』!」
手を暗雲へと向ける。13本の剣は雲へと向かっていき、内部でネットワークを構築する。剣の放つ魔力の場により魔法の維持が出来なくなって、雲がかき消された。
「さて。ローズは一体どこに」
その時、ソードの真下から鞭が伸びて彼女の身体を縛り付けた。
「お、お前まだそんなところにいたのか!?」
「ふふん。びっくりした?」
びしょびしょに濡れながらもローズはニッと笑っていた。大きく跳びあがって鞭を思い切り引っ張る。ソードの身体を茨のトゲが切り裂いた。流れる血と痛みに膝をつく。
「どうかしら!?雨に隠れて奇襲作戦!大成功!その傷でまだ戦えるのかしら?」
血が滴り落ちる。ソードはため息を吐いた。右手を自分の胸に当てる。そして。
「『ゲアリア』」
「え?」
鞭によりつけた傷が綺麗に塞がった。ローズは目をぱちくりさせる。本来ソードには回復の魔法の適正はない。ウィッチのキャンバスを所持しているからこそ使える魔法である。
「想定外だよ。貴様如きにコイツを使うことになるなんて」
「ちょ、ちょっと待って」
ソードは待つことなく手をローズに向ける。それに伴って『完全開放』の剣たちが向かってくる。囲まれたらアウト。魔力のネットワークに捕まって逃げられなくなる。エックス以外にあの強引な脱出方法は不可能だ。他の剣の動きも見ながら必死に躱す。
「さあ!次は何をやってくる!?何だっていいぞ!どの道お前に勝機はない!」
「う、うう~。エックスまだ~?」
思わずローズは呟いた。その直後に頭の中で声が帰ってくる。
『ローズ!こっちはオーケー!やっちゃえ!』
「お、遅いわよ!」
右手に魔力を送って前に突き出す。
「はっ。次は何をするつもりだ」
「いいわ!教えてあげる!でもその前に一つ聞いておくわ」
ソードは訝しんだ。ローズはエックスが言っていた言葉をそのまま流用する。
「ねえソード。アナタ愛とか絆とかの力って信じる?」
「は?」
ローズは手を上から下へと下ろした。それによって空間上に裂け目が作られる。その向こう側から現れたのは『蒼い槍』。『完全開放』の剣を弾いて、槍の主は前へと歩む。ソードは思わず息を呑んだ。
「お、前は」
「久しぶりですね。ソード」
千年以上も続く友情。性格や趣味、人間に対する感情は違っていてもローズとワールドの間にあるそれは不変。だからこそここに呼ぶことが出来た。世界が別だろうと関係ない。空間のねじれすらも無視することが出来る。
「……おいおい。どうしたんだワールド。それではまるで」
「ええそうですよ。貴女を討ちに来たのです」
ソードの瞼がピクリと動いた。
「待て待て。ここで魔女同士潰しあってどうする?そんな事よりも危険分子である人間世界を」
「あんなものはどうでもいいです。所詮ムシケラではないですか」
ローズは少しむっとしてワールドを睨んだ。彼女は少し笑って言葉を続ける。
「それよりも」
ワールドは槍の先をソードに向ける。
「問題なのは貴女です。異世界からの来訪者とは言え魔女を殺害し、ヴィクトリーやトリガーを何らかの手段で洗脳した。……魔女の世界の秩序として、これ以上貴女の狼藉を許すわけにはいきません」
人間よりもソードの方が魔女の世界にとっては害であるとワールドは判断した。決して人間の味方になったわけではない。彼女はいつでも魔女の味方である。ローズたちから事情を聴いて、エックスが公平から預かったままであったキャンバスも返還された。結果的に人間の味方をすることになるのは癪だが、より大きな脅威を食い止める方が先である。そして今、蒼き槍はソードへと向けられている。
「お、おいおい。確かに私はウィッチを殺したさ。それについては認めるよ。だがトリガーとヴィクトリーの件は濡れ衣だ。私がそんな事……」
「トリガーと貴女と組むなんてありえない。今のヴィクトリーが人間世界の敵になる事もあり得ない。……残念ですけどね。とにかく。理由はコレで十分でしょう?」
ワールドの言葉にソードは一瞬押し黙った。かと思うと小さく笑いだす。
「……ふふふ。はははっ。全く。否定しようがないな。それはそうだよな。それにしてもムシケラ、ね。同感だよ。だが、そのムシケラに一度は敗れたお前が言うと滑稽だな。ワールド!」
ソードが駆けだす。ワールドはその瞬間に飛び跳ねた。視線がそちらに向いた瞬間、彼女の身体を再びローズの鞭が捕らえる。そのまま巨体を放り投げた。
「なにっ!?」
「やっちゃえワールド!」
「やああああ!」
ワールドは槍を真下に構えて真っすぐに落ちていく。その先がぶつかった瞬間に亀裂が走った。最初は大地に、続けて空間、そして空へと。ソードはそれを見回す。
「何をするつもりだ!」
「見ての通り。貴女の世界を全部破壊するのですよ」
わなわなとソードは震える。いくら彼女が空間構築魔法の修練を積もうと、その道のスペシャリストには遠く及ばない。彼女が創った世界の構造なんてワールドには簡単に把握できる。結び目を探し出す必要すらなく容易く砕いてしまえる。今自分がいる世界だけではない。屋敷全域を包む世界を全部同時に、だ。
「……くっ!」
空が割れた。ソードの屋敷に戻ってくる。
同時に彼女は感知した。トリガーと魔人の力が大きく落ちている。それは即ち敗北したということ。
魔人はともかく、トリガーまでもがこの短い時間に負けてしまったのは想定外だった。彼女が構築した空間は侵入者を完全に分断することができる。だが代わりとして、それぞれの空間内部を窺い知ることができない。それにはワールドに匹敵する練度が必要だ。
そして、ソードにはワールドが開戦直後ではなく今この瞬間に現れたことも理解できた。自分が気付かない間に戦力を短期決戦で一気に削り、追い詰める算段。
「いや待て。ということは──」
ソードは咄嗟に振り返り剣で受け止める格好を取る。同時に空間の裂け目が開いてエックスが飛び込んできた。
「『未知なる一矢』!」
放たれる攻撃をソードは間一髪で弾いた。屋敷の壁に矢が突き刺さって爆発する。
「……三対一、か」
エックス・ワールド・ローズ。三人の魔女に取り囲まれる。ソードは小さく舌打ちした。
ミライに『勝利の剣』が振り下ろされる。ここまでかと思った刹那、頭上で空間の裂け目が開いた。
「『レベル3』!」
飛び出してきた公平がその一瞬で『ヴィクトリー』の魔法を完全に喰らい尽くしミライの前に降り立つ。
「大丈夫か!?……エックスのヤツ、まさかワールドを連れ出してくるなんてな」
公平は苦笑いした。確かに話したがらないわけだ。あれだけ苦労して倒した宿敵に魔法を返し、味方側の戦力として使うなんて危険すぎる。だが、確かにこれが最善手であるようにも思えた。
もしもエックスの言う通りソードが同時に操れるのが二人だけなら、仮にその場にいる二人が操られても一人は残る。同時に、必然的にトリガーとヴィクトリーも解放される。洗脳されていたと知れば二人とも協力してくれるはずだ。魔女の頭数だけで言うなら3対3で互角。ミライや公平の分だけこちらが有利だ。
「さあどうする『ヴィクトリー』!お前の魔法の力は全部頂いたぞ!」
「……うぅ」
するとヴィクトリーは頭を押さえてその場に膝をついた。公平とミライは咄嗟のことに少し驚く。
「あれ……私……」
「元に戻った……のか?」
「待ってください!まだ……!」
ミライは公平の前に腕を伸ばし彼を制す。先ほども洗脳が解けたフリであった。まだ警戒心を解いてはならない。だがヴィクトリーの瞳は、彼女の姿と声を前にして大きく見開かれた。
「……ミライ?ミライ!?あ、ああっ!ミライ!良かった!ゴメンね!」
ヴィクトリーの手のひらがミライに迫る。一瞬身構えてしまったが、すぐにそれも解けた。瞳を見れば分かってしまう。よく知っているいつもの母の瞳の輝きだった。
「……お母さん!」
「ミライ!ミライ!」
ヴィクトリーはミライを手のひらに載せ、頬ずりしている。2人の様子に安堵した公平だったが、すぐに思いなおる。
「ちょ、ちょっといいか!エックスたちが危ないかも……!」
その言葉にヴィクトリーはハッとする。反射的に公平を掴んで裂け目を開いた。
「待った!トリガーも」
「あの子のことは後!」
それだけ言って裂け目を潜る。その向こう側で、ローズとワールド、そしてエックスが倒れていた。
「……こんな、ことに」
ヴィクトリーは絶句する。立っているのは二人。一人はソード。もう一人は──。
「お前……誰だ?」
公平は彼女に言う。そこに立っていたのは見知らぬ魔女。にやにやとこちらを嘲るように見ている。
「……こうして直接会うのは久しぶりね、『X04』」
「X04!?」
名前だけは公平も知っている。エックスの魔法の一片を持つ魔女の一人。最初期に魔女になり、ありとあらゆるものを蹂躙して全部を壊そうとしたのでエックスの手で魔女の世界を追放されたと聞いていた。
魔女にしては幼い印象を感じる。当然巨大ではあるのだがエックスやヴィクトリーに比べては小柄。栗色のショートヘアと黒い服。『彼女』は目を閉じて楽しそうに口を開く。
「そうだね。久しぶり」
ハスキー声が明るく言う。それから人差し指をぴんと立て、左右に振ってみせる。
「でも違う。X04なんて、そんな無機質な名前はもう止めてっていっただろう。今の『ボク』は──」
わざとらしく『ボク』と強調して言う。思わず公平の心は騒めいた。
「ユートピア。そう言ったじゃないか」