「剣」と魔人⑯
エックスはずんずんと前に進んでいく。片膝を落として意識を失ったトリガーに触れた。
「……うん?」
「どうした?」
「ボクのキャンバスがない」
「え」
トリガーはエックスからキャンバスを奪った魔女のはずだった。だというのに現在所持していないという。公平は首を傾げた。エックスも不思議そうである。
ソードは洗脳したトリガーを奪ったキャンバスでパワーアップさせていると考えていたのだが予想は外れてしまった。違和感をぬぐい切れない。
「……まあ。ないものは仕方ないか」
言いながら公平を拾い上げる。
二人の背後で何かが輝いた。振り返るとそこに巨大な穴が開いていた。恐らくこの空間の出口である。公平は手の骨を鳴らして気合を入れる。
「よし。先へ進もう」
「いや。ここで待つ」
「おっけー。……へ?待つ?」
「うん。こんなもの使わなくてもすぐに出られるよ」
エックスが秘密にしていた作戦に関わる事だろうと理解した。だがこれから先何が起きるのか詳細を聞こうとしても教えてくれないだろう。
手持ち無沙汰になって、大量に血の流れるトリガーをエックスの手の中から見下ろす。彼女も操られていたのだとしたらソードの被害者だ。このままにしておくのは可哀そうではなかろうか。
「トリガーはどうする?『ゲアリア』で治すか?」
「うーん。うん。取り敢えず放置!」
エックスはにっこり言った。
「放置……」
公平は思わず繰り返す。
エックスはその場に座り込んで手の中の公平を玩具にして遊び始めた。こんなことをしていていいのだろうか。弄ばれながら考えてみる。
ミライが行き着いたのは魔女の感覚でも広く高いドーム状の建物の中だった。床は無機質で硬い。ただただ広く、それでいて何もない。たった一人の魔女がいるだけだ。
「お母さん……」
黄金の魔女ヴィクトリー。娘が現れたというのに反応はない。ミライは深く息を吐き、瞳を閉じた。魔力が渦巻いて彼女の身体に変化を起こす。
次に目を開けた時、ミライの視線はヴィクトリーと同じ高さにあった。その瞬間に初めてヴィクトリーは『勝利の剣』を発動させ、黄金の輝きを手に取る。
「……『聖剣/蒼龍』!」
弾ける龍の形をした力が唸りながら天に昇る。その果てに行き着いたのと同じタイミングで、ミライは刀を高く掲げた。龍の光は避雷針に落ちる雷のように迷うことなく刀に飛び込んでくる。刃が青白く輝いた。
「……行きます」
その脚が地面を蹴る。一歩一歩前に出るごとにミライの巨躯は加速していく。悠然と構えるヴィクトリーは、刀が届く刹那に動き出した。カウンター気味に振るわれた黄金の剣が首を狙う。だがその一撃はミライには届かなかった。代わりに彼女の突きが巨体を突き飛ばす。
何が起きたのかはすぐに理解できた。一瞬だけヴィクトリーの動きが止まったのである。
ミライは正面を見据えた。ヴィクトリーの右手は胸元を抑えていた。彼女小さく震えながら顔を上げる。その瞳がまっすぐにミライを見つめた。
「……ミ、ライ?」
「……お母さん?」
思わず駆け寄りそうになった。ヴィクトリーはそれを手で制す。
「……来ちゃ、ダメ。ソードの、魔法はっ!まだ私を……支配している」
「やっぱり……。お母さんは魔法で操られていたんだ……!そして……やっぱりソードが!」
黒幕はやはりあの魔女、ソード。刀の柄を無意識に強く握りしめた。
(どうしたらお母さんを助けられるの……?お母さんだって戦っているのに。私にできることは何もないの?)
顔を落として思い悩むミライに、ヴィクトリーは小さく笑った。
「ミライ……。『蒼龍』の力を……、私に全部……ぶつけなさい……!」
ミライはその言葉にハッと顔を上げる。
「きっと……わ、たしを倒せば……。ソードの魔法も解ける……」
「でも!そんな……!」
『蒼龍』の力は強大だ。まともに受ければ魔女だってただでは済まない。ヴィクトリー自身がそれを一番知っているはずなのだ。だが彼女はミライに微笑んで見せる。
「……私を誰だと思っているの?勝利の魔女ヴィクトリーは、そう簡単に死にはしないわ……!」
強くはっきりと告げるその姿に、ミライは覚悟を決めた。刀を天へと突きあげる。龍のオーラが飛び出して刃に巻き付く。
「いくよ。『蒼龍』」
龍は答えるように唸った。刀を大きく振るう。それに合わせるように龍が刀を飛び出して宙を泳いでいく。ヴィクトリーは両腕を大きく広げて、その一撃をただ受け入れた。彼女の身体が青白い光に飲み込まれていく。
光が消えた。ミライの龍は役目を終えた。その場に倒れていたヴィクトリーはゆっくりと身体を起こす。
「……ミライ」
娘の名を、ヴィクトリーは優しく呼びかける。ミライはその声に笑顔で駆けだしていく。
「お母さん!」
ヴィクトリーはミライに笑いかけて腕を広げる。娘が母に駆け寄る直前に、黄金の剣が輝いた。
「『完全開放』!」
微笑んだままヴィクトリーはミライを切りつける。小さく空気が彼女の口から洩れた。
斬りつけられた『剣』のエネルギーはミライの身体を駆け巡り、炸裂した。地面に叩きつけられた彼女は、すでに魔女の姿ではなかった。大きく力を消耗した彼女は人間の身体に戻ってしまっていた。地を揺らしながら剣を向けて迫る巨体を見上げる。
「悪いわねえミライ。アタシ、勝つことが大好きなの。どんな手段を使っても!操らているふりをしたってね!そうやってアナタも他のムシケラも蹂躙してあげる!ああ!本当に楽しみ!」
まるで自分は正気だと言っているかのようなヴィクトリー。彼女の言葉にミライは大きく目を見開いた。
「まだ……お母さんは操られているんですね。でも……まさか……!」
ヴィクトリーは怪訝な表情でミライを見下ろした。まっすぐにそれを見上げる。
「術者は……。ソードではないんですね?」
次はヴィクトリーが驚愕する番であった。ミライは刀を杖の代わりにして立ち上がる。
「もし。お母さんが本気なら。『完全開放』の一撃で私は死んでいた。お母さんが私を守ってくれたのなら、まだ操られているということになります。……もしも傷ついた私を弄ぶために生かしたのだとしたら、やっぱり操られているということになる。お母さんは、ヴィクトリーという魔女はそんなことはしない!」
その言葉をぶつけられた『ヴィクトリー』は動けなかった。剣を向ける腕が小さく震える。
「そして……!」
まだ魔女になれなかったころにかけられた母の言葉があった。
『ミライ。もし魔女になったら。魔女は強い生き物だから。勝ち方までこだわりなさい。敵が何をしてこようと自分は正々堂々と。そうやって勝ってこそ美しいのよ」
「お母さんが大好きなのは「ただ勝つこと」じゃない!「正々堂々と戦って勝つこと」!」
最早こちらが『魔女の心を操る魔法』の存在を予測していることは敵も気付いているはず。その場合、術者が取ってくる対応は二つ。洗脳されていることを公言して攻撃してくるか、或いはそれでも正気であるかのように振舞うか。
今回術者が選んだのは後者である。だが、それにしては大きすぎる粗がある。少なくとも、決して友好的でなかったとしても、千年以上付き合いのあるソードであれば、ヴィクトリーの勝利へのこだわりは誤るはずがない部分だ。
「聞かせてもらいます!『お前』は誰だ!?」
『ヴィクトリー』はそれに答えない。その瞳から感じる気配が変わった。直感的にミライは危険を察知する。自身の気付きは彼女を本気にさせた。ここから先は一切遊びなく殺しに来る。
『勝利の剣』が振られる直前に、『魔剣/雷』を発動させ、稲妻の速さで距離を取る。まだ死ねない、とミライは呟いた。少しでも粘って、時間を稼ぐ。体力を回復させればもう一度魔女化できる。
無言のままその後を追おうとした『ヴィクトリー』は異変に気付いて上を見上げる。
「……なに!?」
「えっ!?」
『ヴィクトリー』の声につられてミライも上空を見上げた。ドームで覆われた空に亀裂が走って、世界が割れようとしていた。何かが起きる予感がした。