「勝利」の戦場⑥
少しずつ、勝利の戦場が崩れていく。
「ええ。アナタの勝ち。私の負け」
ヴィクトリーは、不思議と嬉しそうに言った。彼女の目が小さく開かれ、公平を見つめる。
「うん。しょうがないか」
ヴィクトリーは公平に向けて手を伸ばす。そこから、小さな光の玉が出てきた。
「なんだそりゃ……」
「……エックスのキャンバス、の一部」
「えっ!」
公平の目の前に、それが届く。暖かい光だった。
「昔、魔女の世界でエックスは人間を守るために私たちと戦った。無茶苦茶なやつで、たった一人で私たちを相手にして戦い続けて勝ち続けたのよ。敵も、人間も死なせない戦いを」
公平はその言い方に一瞬違和感を持った。何故「敵も味方も」という言い方ではなかったのか。ただ、それを聞くことはしなかった。
「でも、戦いが続けば続くほど、エックスでもどうにもできなくなって。始まってから100年くらいしてから結局人間は殆どみんな死んだ」
「そっか。うん、エックスの奴頑張ったんだな」
「何も護るものがなくなって、エックスの奴抜け殻みたいになった。またあの子と戦うことになったら困るし、私の他に四人。合計五人の魔女であの子のキャンバスを奪った。一人じゃあとても奪いきれない大きさだったからね。それが確か千年くらい前のこと」
「……そんなにベラベラ喋っていいのかよ」
「いいの。魔女はやりたいことをやる生き物だから。そうしたいと思ったから、アナタにエックスの魔法を預けるし、私が持っていた理由も教えてあげるの。──そうだ、もう一つ教えてあげる」
「もう一つ?」
「エックスがアナタたちの世界に来た理由。もしかしたらエックスのキャンバス渡してあげたところで分かったかもしれないけど」
ああ、と公平は声を漏らした。なんだかヴィクトリーに申し訳ないがそう言われてやっと分かってしまった。エックスは、自分の魔法を取り戻すためにこちらに来たのだろう。少なくとも、最初はそうだったのだろう。
「アナタは、エックスに利用されてた。……エックスの為に戦うって言ってたから教えてあげた。騙されたままじゃかわいそうだしね」
「騙されてたわけじゃない。俺はエックスの為に戦うって決めた。だから戦ってる。それだけだよ」
「……そう」
ヴィクトリーは目を閉じた。一つ二つ深呼吸して「おやすみ」と言い残し、それきりだった。身体が上下しているので呼吸をしていることが分かった。公平は空を見る。ひび割れて、少しずつ元の世界が見えていく。その向こうで次の戦いの気配を感じた。
「……あれ?」
不思議なことに気付いた。身体が最後まで落ちていかない。何かがエックスの身体を空中で支えていた。それが何かはすぐに分かった。この世界で、彼女を味方する魔法使いは、彼しかいないのだから。
「……公平」
「ごめん。遅くなった」そう言って笑う公平の姿にとうとう涙が零れてしまう。
その頃、ワールドは驚愕していた。『戦場』が解除された瞬間、ヴィクトリーの勝利を確信した。だが、現実に倒れているのはそのヴィクトリーであり、同時に『戦場』から飛び出した小さな何かが空間の裂け目を開いてどこかへ飛んでいく。正体もその行先も分かっている。ワールドはヴィクトリーを置いてエックスの所へ向かった。
そして、しっかりとそれを見た。それが何なのかは分かっていた。それでも、この目で見てもなお信じられなかった。ヴィクトリーには『戦場』のハンデがある。常に膨大な魔力を消費し続ける状態で戦っていたはずだ。だが、それでも人間がヴィクトリーを倒すなんて。
公平はワールドを睨んだ。エックスはボロボロだった。血まみれで、泣いていた。
「人間、お前……」
「光よ!」
ワールドの言葉は無視した。光の魔法は帯になってワールドの両手両足を縛り空中に固定する。離せだ何だと喚いているが気にしないことにする。そして、エックスを見つめた。
「良かった……。勝ったんだね公平……」
「うん。勝ったよ。自分の魔力も使えるようになった。今なら、今の俺ならきっとエックスを護り抜ける。それに」
公平はその光を自分の中から取り出した。ヴィクトリーが持っていたエックスのキャンバス。これがあれば、エックスは魔法が使える。
「あ……」
「ヴィクトリーが返してくれた。これはエックスのものだ」
エックスがこの世界に来た最初の目的は、魔法のキャンバスを取り返すこと。その為に一緒に戦える誰かが必要だった。その為に公平を利用していたことがいつしか苦しくなっていた。けれど公平が取り戻してくれたキャンバスを見ているとどうしようもなく胸が高鳴った。
光は、それが当然のようにエックスの胸の奥に消えていく。まだ全てではないが、魔法を取り戻した。
「よし……!」
エックスは魔法を使った。自分の傷を治す、回復の魔法。彼女の傷はみるみる消えていく。
「よし!うん、うん。やったよ。魔法を取り戻した……!これで、ボクも!ありがとう公平!」
エックスは立ち上がり、嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねた。浮遊しているとはいえ落ちてきそうで恐ろしい。
公平はふうと息を吐いた。それから、吐いた以上の量の空気を吸ってもう一度吐く。パンパンと顔を叩き、覚悟を決めて、彼女を見上げる。
「エックス!」
「うん?」
「大事なことを言いたい。言わなきゃいけない。言わせてくれ」
「……うん。どうぞ?」
ワールドの声が遠く聞こえる。公平はもう一度だけ息を吐いた。そして大きく息を吸って、声に変える。
「俺と!結婚してください!」
「えっ」
「なにっ!?」
「な、なに言ってるんだ、ばかっ!こんな時にもうっ」
「本気だ!本気じゃなきゃこんなこと言うもんか!」
「だからって、こんな、今じゃなくても」
「今じゃなきゃダメだ!だって、魔法が自由に使えるようになって、今が最高の瞬間なのに、今言えなきゃもう一生言えない!」
エックスは顔を真っ赤にして視線を外す。公平の真っすぐな視線に照れてしまう。
「ふざけるな……!」
ワールドが両腕に力を籠める。咄嗟の事で慌ててしまったが、本来はこんなもので止められるわけがない。彼女は公平の魔法を破壊し、ずんずん近づいてくる。
「立場をわきまえろ虫けら。お前ごときには本来エックスと会話する権利だってない!」
「うるせえ!てめえの意見なんかどうだっていいんだよ!黙ってろ!」
公平がワールドに振り返って抗議する。直後にエックスの足が彼の目の前に落ちてきた。ワールドの方へ歩いて行く。公平にはその表情は見えなかった。
「……公平。分かってると思うけど、ボクは結構めんどくさいよ。身体もこんなに大きいよ。大変だよ。それでも、いいの」
「そんな事関係ない。俺はエックスが好きなんだ。エックスを、幸せにしたいんだ!」
「……そうか」
「黙れ虫けら……」
エックスは目の前にいるワールドを睨む。拳が炎に包まれた。足に魔力を送り、一気に接近する。咄嗟にワールドはガードした。関係なく気にもせず殴りかかる。
「人の旦那を、ばかにすんな!」
ワールドの身体が空に吹き飛んでいく。エックスが手で空を切り、上空の巨体は落下せずに浮いたまま留まった。
「絶対、幸せにしてよね!」
その笑顔が、公平に力をくれる。今なら何だって出来る気がする。一歩前に踏み出し、「勿論!」と叫んだ。
──何かが欠けている。心の中で欠けている物がある。それは今もぽっかりと空いていて、だからきっと埋まる事はないのだろうと思う。こんなに幸せな瞬間でも満たされないのだから。だけど、それでいいと思った。これで満たされたら、そこで終わってしまう気がする。まだまだ幸せになりたいのだ。
「さて」
エックスはワールドを見る。地上に降り立ち敵意をむき出しにしている。
「公平、五分でいいから時間を稼いでほしい。その間にボクも魔法を準備する。それでこの場は切り抜けられるはずだ」
拳の骨を鳴らして公平は前に出た。一切負ける気がしない。こんなに幸せな、人生の絶頂の瞬間に死ぬものか。
「任せとけ!──『勝利の鎧』!」
黄金の鎧。公平の自由に動く巨体が駆けていく。ヴィクトリーも倒したこの力なら──。鎧がワールドに殴り掛かった。が、彼女はその右の拳をあっさりと受け止め握りつぶす。
「げぇ!?」
ワールドは淡々と両腕を掴み、そのまま足で蹴り壊した。公平は流石に唖然とした。ヴィクトリーの攻撃にも耐えた鎧がこうもあっさり壊されるとは。
「……殆ど遊びで自分に負荷までかけていたヴィクトリーと一緒だと思っていたなら心外ね。お前の魔法なんかで本気の私を五分間も止められるとでも?」
「──思ってないさ」
後ろから聞こえたエックスの声。公平は「え」と言いながら振り返る。既に彼女は攻撃の準備を完了していた。それは、見た事のない光の弓矢。
「五分と言えば少なくとも十秒間は遊ぶと思った。本気なら『蒼槍』でさっさと終わらせる。それ以外は遊びとしか言いようがない。それだけ頭が沸騰しているのが分かったよ」
ワールドはその弓矢を見て、一瞬反応が遅れた。それが見た事のない、未知の魔法だったからだ。
「っ!世界の──」
「『未知なる一矢』」
エックスの方が当然早く矢を放つ。『蒼槍』の発動を待っていれば迎撃には間に合わない。止む無く、剣の魔法で迫りくる矢を受け止める。矢は、思いのほかあっさりと砕けた。それが逆に恐怖を煽る。エックスの切り札がこんな簡単に壊せるわけがないからだ。
砕けた破片は瞬間的に矢に姿を変えて、再びワールドめがけて加速した。大きな矢が二つ。小さな破片ですら細かい矢になっている。小さなものは無視して受け止め、大きなものだけに攻撃する。一つは破壊しきれず肩に刺さる。残りの一本は斬る事ができたが、それもまた次の矢に変わりワールドに突き刺さる。そして、矢の中のエネルギーは膨れ上がり、爆発を起こした。
「うあああああ!」
「……何が起きた?」
気が付いたらワールドが爆発に包まれていた。エックスの方を見る。彼女の手が下りてきて、公平を拾い上げた。
「おい……これ何がどうしたんだよ。気付いたらワールドズタボロだぞ」
「ボクの必殺技さ。攻撃が終わった瞬間に相手の記憶からあの魔法の情報を消し飛ばす事ができる。だからどんな相手にも常に初見の魔法として撃てる。他にも色々効果はあるけどワールドに聞かれたらまずいからここまでにしておこう」
公平がワールドに視線を向けると、全身傷つきなりながらも彼女は既に立ち上がっていた。激しく息切れしながらこちらを睨んでいる。
「……ここまでか」
そう言ってワールドは後方に向けて指をさす。そちらにあったヴィクトリーの気配が消えた。
「……お前は」
「あ?」
ワールドは殺気の籠った瞳で公平を睨みつけている。一瞬、胸が締め付けられそうになるほどに恐ろしい。
「お前だけは、この私が踏み潰してズタズタにして殺してやる!覚悟しておけ虫けら!」
ワールドは空間の裂け目を開きその奥に消えていった。公平は呆然とそれを見送る。
「え。何で俺がキレられたの」
「さあ」
それから、二人は部屋に帰った。エックスの回復魔法は自分の傷を治すことしかできないらしい。それなら回復魔法を教えてくれとエックスに言ったのだが、どうやら誰でもつかる魔法ではないらしかった。
「ボク以外には二人くらいしかいないんじゃないかなー。これ使える子」
「少なくともワールドは使えないんだろうな」
そんな事ができるならあそこで撤退していないはずである。
包帯でグルグルにまかれてミイラみたいになった公平を、エックスはじいっと見つめている。
「……結婚したんだよね、ボクたち。こっちの手続きとか何にもしてないケド」
「いらないだろそんなん。大昔の、戸籍やら何やらが無い時代にだって夫婦は居たはずだろ。大事なのは制度ではなく精神だ」
「うわぁすごいばかっぽい屁理屈……」
「何ィ!?」
一瞬無言で見つめ合い、お互い吹き出した。何だかなにもかもがおかしかった。
「あはははは。……それでさ、公平」
「うん?なに?」
「結婚した夫婦って、何するの?」
「何ってそりゃ……。うん、えっと、何するんだろうな」
「……知らないの?」
「俺結婚したことも彼女がいた事すらないし」
「……それでよくもまあ精神的に結婚してればそれでいいなどと言えたこと。ふふっ。まあいいけどさ」
何かが欠けている。きっと永遠に埋まる事のない何かが心のどこかにある。ただ、埋めようとし続ける事は出来るのだ。埋まる事のない穴なら無限に詰めていく事ができる。楽しい事でも悲しい事でも幸せも喜びも全部全部、二人なら。こんなに幸せな事はないなと思った。
「ねえ公平?」
「うん?」
エックスは、まだ公平に言っていなかった事がある。公平はエックスがこの世界に来た理由を知っている。この世界を守るつもりなんてなかった事を知っている。公平を利用していた事を知っている。それでも自分を信じてくれた。好きだと言ってくれた。プロポーズは受けたけど、大事なことを言ってない。
「ボクも、公平の事が大好きだ。ボクだって絶対君の事を幸せにするから。……うん、実際口に出すと、照れくさいね」
「いや、えっと、うん!聞く方も思いのほか照れくさいな!」
エックスがニッと笑う。目の前にその笑顔があるのがたまらなく幸せだった。