「剣」と魔人⑪
エックスは目を覚ましたローズと一緒に教室を後にする。その顔は明るかったがどこか黒い気配を感じた。きっと『こわい』と言われたことを恨んでいるのだろう。
「ところで」
「うん?」
「お前はいつまで続けんの?吾我レイジに任せとけばいいのに」
「うーん。そうだなあ」
悩むそぶりはしてみるが、その実答えなんてとっくに出ている。
「多分止めない。俺はずっと戦うと思う」
その返答に吾我は呆れたようにため息を吐いた。
「そんなことしても就活には役に立たないってのに」
「いいんだよ。俺はこれでいいんだ」
田中はそう言った公平の顔を暫く見つめていた。
「ま、いいけどさ」
そう言うと彼は立ち上がった。公平は座ったまま見上げる。
「どうした?帰るの?」
「大学生活はあと一年ちょっとだ。人生のエンジョイタイムももう少し。こんなとこで時間を無駄には出来ないって。もっと有意義に無駄遣いしねえと」
「は?」
言っている意味がよく分からない。
「無駄にしたいのかしたくないのかどっちだよ」
「お前がやっているのと同じだよ。けど死なない程度に頼むぞ。ノート係がいなくなったら困る。じゃあな」
田中は手を振って去っていった。よく分からなかったが取り敢えず公平は一つ言っておかなければならないと返事をする。
「俺はお前のノート係じゃねえ!」
田中はけらけら笑いながら教室を出た。
「なんなんだよ」
取り残された公平は不満げに呟く。少しして気付いたのだが、いつの間にか笑っていたらしい。
「今日は何だったの?」
「楽しかったでしょ?」
「ええ。それは勿論」
ローズはにっこりして返事をした。人間の街を人間と同じ大きさで歩き回るのはやはり新鮮な体験でる。
「無茶なお願いを聞いてもらったからね。ボクなりのお礼。ボクの好きなところを見せてあげようと思ってさ」
「そう。そうだったの。ふうん。なるほどね。……そういう事ならラーメンのおかわりくらい許してくれても良かったと思うのだけれど」
「それは、それだ」
笑いあいながら歩いて行く。人通りは相変わらず少なかったが、それでも時々すれ違う人がローズに何かを感じているように思えた。薔薇の女神の話は本当だったようである。本人は夢だと思い込んでいて気が付いていないが。
「そうねえ。晩御飯の材料を買いにスーパー小枝に行こうかな。店長さんに顔見せてこよう」
「あら。エックスのお友達かしら?」
「そう。……ちょうどこの前ローズが魔女の身体で侵入したお店だ。一言謝っておくべきだと思うな」
「……あそこか。そう。うん……」
ローズはばつが悪そうであった。小枝にはすぐに到着した。今日は少しお客さんが多い。店長もレジで忙しそうである。声をかけようとかと思ったが、手を振るだけにしておいた。エックスの隣でローズも真似して手を振る。当の店長は笑顔で小さく会釈したが、エックスよりも隣にいるローズの方に何か思うところがあるような表情であった。
魔法で冷やして保存している食材。残っているものは何だったかエックスは思い返す。鶏肉とタマネギはあったはずだ。
「今日は何作ろうかな。オムライスとか作ってみたいんだよね」
言いながら玉子パックを手に取る。買い物カゴにはニンジンとピーマンとトマトケチャップが入っていた。
「ねえねえエックス」
ローズがエックスの袖を引っ張る。
「うん?なあに?」
「ここってお金払わないといけないのよね」
「当たり前じゃないか。勝手に持って帰ったら泥棒だよ。店長さん怒るよ」
「さっきあそこのパンをカバンの中に入れてそのまま出て行った女の子たちがいたのだけれど」
「……それは。泥棒サンだねえ」
「そう」
「あ、でもちょっと」
エックスの言葉を待たずにローズの身体が消えていく。それは即ち、魔女の本体に戻ろうとしているという事。エックスから血の気が引く。この身体も本来のものではないので血は通っていないが。
追いかけようかと思って、買い物カゴをどうしようか一瞬迷う。そしてその一瞬が運命を別けた。ズンと地面が揺れる。
「……あの子は本当にもうっ!」
その場にカゴを置いて出口に向かって走っていく。『ダメでしょ!お金を払わないで出て行ったら!お店の人が怒るのよ!』外から聞こえてくるローズの声にエックスは一人で叫ぶ。
「その身体で出て行くのも店長さん怒るって!」
店から出るとローズは掌に向かって話しかけている。きっとそこに女の子たちがいるのだろう。しっかり怒った顔である。
「ホラ。カバンに隠したパンを出しなさい。ちゃんと謝ったら許してもらえるはずよ。なんならアタシも一緒に謝ってあげるから」
周囲の人々がローズを見上げて騒めいている。「薔薇の女神?」「薔薇の女神だ……」「なんでこんなトコにいるの?」
田中の言っていたことは本当だったのかとエックスは困惑した。話として聞くのと現実として見るのとでは話が違う。
一方でローズはそんなことには気付かない。手のひらにいる子の方に意識を集中させているからだ。彼女はぽんと胸を叩いて笑いかける。
「お金がないならアタシが払ってあげてもいいわ」
「ええ!?ちょっと!勝手なこと言わないでよ!?お金持ってないくせに!」
「本当!?そう!よかったぁ分かってくれたのね!ふふ。いいこいいこ」
人差し指で手の上の彼女たちを撫でる。それから膝を落として彼女たちを地面に降ろした。ローズはそこでエックスを見つける。
「あ。エックス。そういうわけだからお金お願いね」
「なにがそういうわけだよぉ……!」
「アタシは一回向こうに戻って……。え?なに?」
足下にいる一人がローズに話しかけている。「薔薇の女神ですか?」と。堰を切ったようにあちこちから声が上がる。
「な、なんのこと……?ちょっと待って……。え、エックス?ゴメン。その子たちお願いね」
「なんでボクがそこまで……。もうっ!ホラ!いくよ!ちゃんと店長さんにごめんなさいするんだよ!」
そう言って女の子たちを引き連れて店に戻っていく。「やっぱり薔薇の人だったんだ」「びっくりしたねー」と後ろでコソコソ声が聞こえた。
「弟子!どうしてアタシの事を教えないの!」
「『薔薇の女神』のことですか。何だ……気付いたのか」
吾我はうんざりしたような顔で言う。
「弟子!」
「……ずっと言おうと思っていたんですがねえ。俺は確かに貴女には感謝している。お陰で俺も優もずっと強くなれた。けどね、たった二週間とちょっと指導したくらいで!師匠面すんのは止めてくれませんかねえ!」
「そんな……!弟子……!」
拠点としているエックスの部屋でのやり取り。ローズは吾我の言葉にショックを受けていた。一方で吾我はローズからの扱いに憤慨している。傍目で見る分には愉快だった。
「楽しそうだな」
言いながらナイトが台所から出てきた。魔女の世界から持ってきたコーヒーを淹れて持ってくる。
「あらナイト。気が利くのね」
「コレは私の分だが」
その手にあるカップは一つだけ。
「……そう」
椅子に座ってこくこく飲む。
「むう。アタシも淹れてこようかしら」
「私の豆は使うなよ。貴重なものなんだから」
ローズは自分の持ち物は殆ど持ってきていない。コーヒー豆なんて持っていないのだ。
「ケチ……」
「ふん。それで?お前の弟子は強くなったのか」
「それはもちろん。言っておくけど貴女相手ならきっと負けないわ」
「ふうん。やっぱり。そんな気はしていたが」
彼女は自分の強さに対するこだわりを殆ど捨てていた。ローズに何を言われても気にはしない。
「むむむ。何だか落ち着いたのね」
「ナイト。ミライはどうしたんだ?」
吾我が声をかける。ナイトは瞳だけ彼に向けて興味なさげにしながら返答する。
「朝倉相手に対魔女の模擬戦をやっている。ヴィクトリー程強くはないが……。容赦はないからな。十分だろう」
ナイトでは相手にはなれない。本気になればそこそこ練習になるだろうが、彼女の事をよく知っている分それもやりにくい。ミライに一度やられて仕返ししてやりたいと思っている朝倉ならばちょうどいいはずだ。
「もう一人の弟子はどうした?」
「弟子二号にはタカノレンサンと仲良くなるミッションがあるの」
「優は自分のやるべきことをやっている。俺には出来ないことだ。アイツだけ仕事をさせて悪いが」
杉本と高野の関係性は守りたい。魔人や魔女と戦うためだけではない。彼女が人間世界で生きていくことを選べるように差し伸べる手は一つでも多い方がいい。
そして。この場にいない魔女と魔法使いがいる。
「遅いわねエックス」
ローズの感覚ではいつもより数十分エックスと公平の特訓が終わるのが遅い。
つい昨日まで数日間エックスは公平との特訓を休んでいた。彼は帰ってきたところでいきなり特訓をしたいと言ってきた。何かを掴んだような表情であった。
「もしかしたら」
吾我が口を開く。
「もしかしたら完成したのかもな。『レベル4』が」
エックスと公平以外は誰も詳細を知らない謎の魔法。それが真の完成を迎える。そのことを吾我は勘付いていた。
「随分あっさり加減が効くようになったね。『レベル4』。とは言えキャンバスのリソースもだいぶ使うから本当の本当に切り札だ」
以前の『レベル3』と同じように一度発動させれば他の魔法は完全に使えなくなる。対魔女戦においては使いどころを間違えれば命とりである。だからこそ。特訓の必要がある。実戦でこの魔法を使いこなすには命を削るような修業が必要だった。
「だいぶいい感じになったんじゃないかな。……おーい。聞こえてるかー?」
「あ……あ」
結果として。公平はいつものように対魔女戦の実践訓練を行った。指の先までピクリとも動かせない。声も絶え絶えである。エックスはそのボロ雑巾のような身体を拾い上げる。
「大丈夫―?ああ生きているね。大丈夫だ」
「だ……が……か」
「誰が死ぬかって?うんうん。元気そうでなにより」
箱庭のビルにもたれかかる。ずんと地面が揺れてビルが傾いた。
「いきなり特訓したいなんて言うからびっくりしたよ。少し休もうか」
「あ……ああ……あ」
カクンと、公平は首を落としてそのまま意識がどこかに飛んでいく。そんな姿に微笑む。いくつかのビルには破壊の痕が残っている。だがどれもこれも完全に切断されてはいない。表面を抉っただけである。
「完璧だよ。あの魔法をここまで制御できるなら。公平が思う公平の魔法になったはずだ」
何か劇的なことがあったわけではない。ただ普通に生活していただけだった。それだけで良かった。それだけで心に生えたトゲトゲをちょっとずつ抜いていくことが出来た。それだけで公平が創り出した『レベル4』──その黒い刃はただの暴力ではなくなった。
「コレで。こっちの準備は整った。さあソード。ケリを付けようじゃないか」