「未知」と公平⑤
その日、世界が変わった。
世界中の空に女性の笑顔が投影される。彼女が口を開くごとに、言語の壁を越えて話していることを理解できた。
彼女の言葉は要約すると一言で終わる。
『宣戦布告』
それが終わると、一つの小国の空に剣の雨が降りだした。
雲に包まれ、星の光も届かない夜空の暗闇を巨大な影が駆けていく。
「公平!アレ!壁!」
「『レベル2』!」
「ボクの魔力を使ったっていいから!空を全部覆っちゃうくらい広く!大きく!」
「分かってるって!今集中してるから!」
銀色の膜が天に広がる。剣の雨はそれに触れた瞬間に溶けて消える。だが。これではまだ不足だ。雲の奥にある大本を叩かなければ止まらない。
「『未知なる一矢』!」
巨大な『レベル2』の発動にキャンバスのリソースを全部使っている公平には空を飛ぶことはできない。弓矢を発動させたエックスは、彼が落っこちないように咥えるとその状態のままで矢をいっぱいに引き絞った。
「むむ。むむむむむむー」
「ちょ、ちょっと!落ちる!落ちちゃうから喋らないで!」
「む。むむん」
「喋るなー!」
落とさないのになと思いながらエックスは手を離した。矢は『レベル2』を通り抜けて、雲まで届いて吹き飛ばす。
剣の雨はようやく止まった。これはソードの魔法である。性能としてはミライの『五月雨』が近い。発動させた剣の複製を多重に創り出す能力がある。雲の影に本体を配置し、剣の雨を降らせたのである。
「ソードのやつ……」
公平は苦々しくつぶやいた。
エックスは地上を見下ろす。剣の雨を防ぎきることはできた。被害は何もない。だが彼女を見上げる幾千の瞳にあるのは喜びや感謝だけではない。
困惑。不安。悲しみ。怒り。何より一番大きいものは、恐怖。
エックスはそれをよく知っていた。だから思わず目を逸らす。
翌日。吾我がエックスの部屋を訪れた。要件は勿論決まっている。昨晩のソードの件だ。
最初に吾我はお礼を言ってきた。
「昨日は助かった。お陰で被害は殆ど出なかったらしい。地上で起きたパニックのせいで怪我人が出たがそれくらいだ」
「ああ良かったあ」
ホッとした表情のエックスに吾我は更に続けた。
「ただ一つ。確認したいことがある」
「え?」
「誰がソードに明石さんの情報を流した?」
空気が張り詰めた。彼の言う通り、ソードの宣戦布告には明石四恩に関する事柄が含まれていた。
魔女が人間世界を攻撃する理由。それはこの世界で人工的に魔女を生み出す技術が確立されたから。ソードはそう語っていたのだ。
「確かに理由にはなりうる。こちらの人間は皆魔法を持っているんだ。個々人の素質はあるにせよ魔女になりうる人間の数は多い」
「……けど。明石四恩はもう死んだじゃないか。それを理由に攻撃されるなんて……」
公平の言葉にエックスはかぶりを振った。
「ソードにはそんな事関係ないよ」
「確かにアイツそんな感じの事言っていたけど」
技術はいずれ完成する。そうなれば魔女の世界が危険に晒される。故に先手を打った、らしい。
エックスの知っているソードであればその理由も頷ける。だが、ワールドから聞いたことがどうしても引っかかる。
『貴女が離れている間に、みんな少しずつ変わりました。ソードは特に顕著に』
無限に近い命。永劫のような時間。止まることなく流れ続ける退屈な時がソードを変えた。ワールドはそう言っていた。
エックスはスッと立ち上がる。
「少し、ワールドと話したいことがある。ちょっと席を外すね」
「……すまないがもう一つ確認させてくれ。こっちの方が大事だ」
エックスは吾我を見下ろす。彼は一瞬逡巡して口を開いた。
「貴女は、どちらにつくんだ」
「吾我……!お前それ一体どういう意味だよ!」
「言葉通りの意味だ!魔女の世界は彼女の故郷。そちらに手を貸すのは不自然なことでは……!」
「お前なあ……」
「ああもうっ!二人とも止めなさい!」
取っ組み合いになりそうだった二人は口論を止めエックスを見上げた。
ムッとしたエックスの顔は、喧嘩を止めた二人を見て微笑みに変わる。
「吾我クン。はっきり言っておくよ。もう随分前に答えは出ている。ボクは人間世界の味方だ。相手にどんな理由があってもそのスタンスは変わらないよ。……まあ、前にも言ったけどそういう気分になったからってのが切っ掛けだ。それじゃあ信じてもらえないかな?」
「……いや。それだけでも十分だよ」
エックスはにっこりしたまま二人に手を振った。キッチンに立ち寄ってから部屋を出て行く。
「ソードのそれは建前でしょうね」
「ふうん。やっぱりそう思うかあ」
ワールドはソードの語る言葉をバッサリ切って捨てた。
「当然です。千年前ならともかく。今のソードが魔女の世界のどうこうを考えるとは思えません。第一、彼女にとっては人間世界は大した脅威ではないはずです」
「うーん。まあ残念ながらそうだよね」
ソードはワールドやヴィクトリーと同じ一騎当千の魔女だ。並みの魔女では相手にならない。数がいくらいようと問題にはならないのだ。相手をするには同等の力を持つ『個』の存在が必要だった。
考え事をしているエックスに対してワールドはジトっとした目で見ている。
「……それにしても。随分お久しぶりでしたね。もっと頻繁に来てくれるものだと思っていたのですが。大事な時にしか会いに来てくれないんですか?」
「あ。ゴメン。ちょっと最近忙しくってさ」
「明石四恩とかいう人間ですか。魔女を創る技術。そんなものに人間如きが手を伸ばすなんて」
ワールドはエックスの持ってきたコーヒーに口をつけた。
「そもそも。貴女が人間世界の問題に首を突っ込むことはないじゃないですか。それこそ貴女のお気に入りに任せておけばいいのに」
エックスはふるふると首を振った。
「ボクはもう人間世界で、公平と一緒に生きていくことにしたんだ。その為に、出来る限りの事はこれからもするつもりだよ」
「……ふうん」
ワールドは小さく笑った。
「そうか。貴女はそうでしたね。前にも思いましたが、大分魔女らしくなった」
「……それローズも言ってたんだけどさ。どういう意味だよ。ボクはずっと魔女じゃないか。なんなら一番最初の魔女だよ」
「別に」
ワールドは空になったコーヒーカップを置く。
「これに免じて私を放置したことは許してあげます。今度はローズも連れてきてくださいな」
ワールドはエックスに微笑んだ。
「貴女のお気に入りが待っているでしょう?そろそろ帰ってあげたほうがいいのでは?」
「……うん。あー、けどもう一つ大事な話があって」
「ん?」
以前恐怖を思い出させる特訓で使った箱庭の街。エックスはそこに再び公平と二人で来ていた。
ここ最近の特訓はいつもここで行っている。対魔女戦においては、よりリアルな戦いができるからだ。と言っても、エックスはどこかこの箱庭を壊すのを躊躇っている。深く親しんでいる街の模型だったからだ。
街にそびえるエックスの身体を公平は見つめる。彼女は腕組みして、足元の公平を見下ろしながら言った。
「いよいよソードが動き出したわけだけど……」
「う、うん」
公平のランクは未だ97。『レベル3』と強力な魔法を併用できる広さのキャンバスをまだ獲得できていなかった。このままでは『最強の刃・レベル4』なんて夢のまた夢だ。
「ああ……このままで俺大丈夫かなあ。いっそ魔法でキャンバス広がらないかなあ」
「あはは。それはボクにもない発想だ。……まあ。冗談は置いておいて」
「冗談じゃないんだけどな」
「ランク98はそう簡単には届かないさ。ワールドやヴィクトリーと同じ領域だからね。焦らずじっくりいこうよ」
言いながらエックスは剣を構える。
「『魔力の掌握』までは使えるようになった。魔法の勉強を始めて半年くらいでここまで来たんだから十分だよ。それはそれとして今日も限界まで追い込んでランク98を目指そう」
「お、おう……」
明石四恩との決戦が終わってからのエックスの特訓は更にハードのになっていた。具体的に言えば、彼女は特訓中に『魔力の掌握』を使ってくる。連綿と続く攻防の中で突然使用するので、常に集中していなければ魔法の主導権をあっさり奪われてしまう。お陰で『掌握』については十分以上に使いこなせるようになったのだが。
このスピードで強くなれたのはエックスのおかげである。無茶ともいえる特訓だったがそれが無ければ魔女との戦いについていけなかっただろう。
もっと強くなりたい。ソードを倒すため。エックスを守るため。ランクを上げ、もっともっと強くならなければいけない。
──ところで。それはそれとして。
「こ、公平!また小枝に隠れて!ズルいぞ!ボクが攻撃できないの知っててさ!早く出てきなさい!」
エックスは壊さないようにスーパー小枝の複製を揺らした。
「勝つために出来ることは何でもするのが最強の魔法使いだ!」
「特訓中にンなことしているんじゃない!」
死んだら元も子もないので。エックスの攻撃を避ける一番の手を使ったりはする。
それから、数日後のこと。
「じゃあな」
「ん」
大学の授業も終わり、田中と別れた公平。どこか一目のつかないところまで歩いていき、魔法を使ってエックスの部屋に帰るのが日課である。
いつものように。その日も普段と同じように終わるとどこかで思っていた。決戦の時が近づいていても、もう少しこの日々が続くことを祈っていた。
「うん?」
「お久しぶり、でもないですね」
だけど。
「君は……高野サン?」
そうはならなくて。