「未知」と公平③
「お金がない」
エックスの財布の中身は今26円しか入っていない。
元々使う機会はあまりなかった。日用品は公平と一緒に買い物に行って、その場で彼が出している。エックス自身一人で外に出ることも少ないので26円でも問題ないことは問題ない。
だが今のままではやはり面白くない。このままでは公平に何かプレゼントを買ってあげることもできない。今のところ予定はないが。
「でもこのままだと急遽プレゼントを用意しなければならない状況に陥った時に対処できないのです!」
「そんな状況あるかなあ……」
相談を受けたのはスーパー小枝の店長。エックスの語るごく限定的な状況設定に戸惑いを隠しきれない。
「……まあ。そういう事ならお仕事するしかないんじゃない?」
「お仕事かあ。ここで働くのはダメです?」
「勿論オッケー!……と言いたいところだけど。うちは店員の数も十分だし……」
小枝の店長は暫く悩んで、それから何かを思いついたような明るい表情に変わる。どこかに電話をするとエックスに笑顔を向けた。
「うん。連絡ついた。知り合いのお店でバイト探しててね。今日時間あるから面接行っておいで」
「おおー!店長さんスゴーイ!」
「……それで……コンビニバイト……だと?」
「うん!いやーボクも働いちゃうんだねー!」
『あっなたっとコンビニ』なんて歌いながらエックスは上機嫌である。
公平の心は焦っていた。実は彼もコンビニでバイトをしていたことがある。が、学校の成績が下がったので一年で辞めた。その感想を一言で表すなら、『苦痛』。
時給は安い。そのくせ仕事はやたら多い。変な客が来たりもする。そんな場所に世間知らずのエックスを放り込んでいいものだろうか。
公平の事を不思議そうにエックスは見つめていた。その顔を見ているとまた別の心配も湧き上がってくる。こんなに綺麗なエックスがコンビニバイトなんかに行ったら他の男に言い寄られるのではないか。
悪い想像ばかりしてしまうが、楽しそうにしている彼女を前に辞めろとは言えない。
「そ、それでいつから?」
「明日!」
「明日かあ……」
次の日、エックスは朝早くから元気に出かけて行った。本当にバイトを始めるようだ。昨日の夜ふと思い直してくれればよかったのにと思った。
公平は大学には行かず、エックスのバイト先まで向かっていた。魔法を使うと気付かれるおそれがあったので、わざわざ大学の近くからバスに乗って。
田中からラインが来る。『今日来ないの?』。公平はエックスが心配で大学を休んで様子を見に行くことを伝えた。田中の返信は三文字だけ。『きもっ』。
「ンなこたぁ分かってるよ……」
公平は小声で呟いて携帯をしまった。自分でもどうかと思う。場合によってはエックスに法的に訴えられてもおかしくないのではなかろうか。
『公平、気持ち悪い!』
そんな風に怒られるような気がした。想像して気が重くなるが動き出した以上止まるつもりもない。
コンビニの近くのバス停で降りて、店内が覗けそうなところまで歩いて行く。店はすぐに見えた。
「あれ?ファミマじゃないじゃん」
昨日エックスが歌っていた歌はファミリーマートの歌。目に映る店はローソン。アレを歌って入っていったら怒られるのではないかと思った。
「はあ……。アレってコンビニの歌じゃなかったんですねえ」
「取り敢えずウチの店では歌わないように」
「ハイ……」
エックスはシュンとしてレジに立っている。初っ端怒られるとは想定外であった。
バイト初日の彼女に大した仕事は与えられない。ニコニコして立ってレジ打ちしながら時間を見てタバコの補充をするだけだ。
魔法で作った身体でもエックスは女性としては背が高い。隣で補佐に入っている店長は彼女を少し見上げた。制服にくっついている名刺にはエックスが自分で書いた公平の苗字。
「もう少ししたらもう一人、バイトの高野さんが来ます」
店長は今日の予定をエックスに伝えた。
一時間後の十時頃にくるバイトの高野も先週入ったばかりの新人さんらしい。新人二人に店を任せることは出来ないのでお昼まで店長が付いていてくれる。そのタイミングでベテランのバイトが店長の代わりでやってくるらしい。
「分からないことがあったら私や先輩に聞いてください」
「ハイ!」
「元気がいいねえ。今日は難しいこと考えずに笑顔で接客してくれたらいいので」
「ハイ!」
店長は一通り説明してレジに戻った。時間通りにやってきて、真面目に話を聞いて、返事もちゃんとしている。そんな様子を見て少し安心していた。酷いバイトは平気で遅刻どころか来ないことすらある。エックスは第一印象が良くなかったので安堵の気持ちも大きい。
昨日小枝の店長の紹介ということで面接に来た彼女を見て、最初に思った事は『この女はふざけたヤツだな』である。
赤みがかった茶髪。これはまあいい。オシャレの範疇だ。問題は瞳の色。赤い目はカラーコンタクトでも入れているのかと思った。そんな物つけて面接に来るなんてどうかしている。名前はエックス。偽名じゃないかと勘繰ってしまう。知り合いの紹介でなければ話も聞かずに追い出しているところだ。
『髪は地毛です。目の色は……ちょっと色々とありまして。あ、でもコンタクトは入れてないですよ。本物です。名前は一応……本名?です』
その言葉を信じて、一つでも嘘をついていたら初日でクビにすることにして雇った。見た目はともかく実際にレジに立つ彼女は取り敢えずまともそうである。
ピロピロと音が鳴って自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませー!」
店長が言うのでエックスも後に続いて言う。緊張していて殆どただの大声だった。入ってきたおじさんは特に気にすることもなく、レジの横の新聞を手に取り、そこからレジ前に立つことなく横から代金を置いた。
「これ」
「えっ」
そして会計することなく新聞紙を持って店を出て行く。エックスの頭の中で疑問符がぐるぐると回っていた。こんなのアリ?
「ああ。今のは競馬新聞だからここ押して……」
「あ、アレでいいんですか!?」
「うん」
戸惑いながら店長の言う通りにレジを操作する。不思議なこともあるものだとしみじみする。
「あとね。今の『いらっしゃいませ』だけど」
「は、はい」
「笑顔で言ってね。今のだと怒鳴っているだけです。笑顔で声を出して。笑声ですよ」
「え、えごえ」
「そう。笑声」
言われるがままエックスはニーっと笑顔を作った。真面目だなあと店長は少し可笑しくなった。またお客さんが入ってくる。
「いらっしゃいませ!」
えごえ。えごえ。と心の中で繰り返した。
「……なんか。思ったより普通にやってるな」
外から見る分にはごく普通に仕事を出来ている。おぼつかない所もあったが、それは慣れの問題だろう。配達物の受付や、通販でお客さんが買った物の受け渡しなど、少し難しい仕事は店長が手伝ってくれているので何とか出来ている。こ
魔力で視力を強化し様子を見ていたが、この分なら問題なさそうでもう帰ろうかと思った。その時、エックスと目が合った。気のせいではない。何故なら彼女はムスッとしながら『こっちこい』とでもいうように手招いているからだ。
怒られるかなあ、気持ち悪いとは言われたくないなあ、なんて思いながらとぼとぼとコンビニに歩いて行く。
「いらっしゃいませ」
「い、いらっしゃいました」
重い足取りで公平は入ってくる。
「何してんの」
「その……心配になって」
「ふうん。学校は?」
「……休んだ」
「全くもうっ……」
「エックスさん。ちょっと」
「あ。ハイ。とにかくっ。ボクは大丈夫だから。まあ別に見ててもいいけどさ」
言いながらエックスは店長の所まで走っていく。公平は暫くその様子を眺めていた。やがてとぼとぼと戻ってくる。
「怒られました……」
「え?」
「知り合いでもお客様ですから。丁寧にお相手しないといけないそうです」
「そ、そうですか……」
ジトっとこちらを見つめている。そのどこか恨めし気な敬語に公平はいたたまれなくなり「ごめんなさい」と謝った。エックスはクスっと笑う。
「では。こちらのから揚げを買って下さい。揚げたてでオススメですよ?」
「商売上手だなあ……。じゃあレッド一つね」
「はーいっ!」
エックスは思いのほか気にしていない様子だった。空元気かもしれない。そう思うとまた申し訳なくなった。持ってきてくれたから揚げを手に店を出る。
「またどうぞー!」
エックスは手を振った。実は先ほどは店長に怒られたのではない。知り合いかどうか確認され、親しい相手なら気楽に接してもいいと言われただけだ。
ただちょっとイジワルしたくなって怒られたふりをしただけである。とぼとぼ入店してとぼとぼ出て行く公平がかわいらしい。帰ったらネタバラシしてあげようと思った。
「おはようございまーす」
挨拶をしながら入ってきた女の子。彼女はエックスを見て、首を傾げた。
「店長。この人……」
「ああ。高野さんには言ってなかったね。今日から入った新人さんです」
「へえ。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
深々とお辞儀をしてくる高野にエックスもお辞儀で返す。
にっこり笑う高野にエックスの心は騒めいていた。口には出さないが、一目で分かった。彼女は魔法使いだ。