Project "WW" ⑯
吾我の元へと駆け寄る。彼は自分の上着をアリスに着せて、抱きかかえていた。
「吾我!アリスさん大丈夫か!?」
「問題なさそうだ」
ちゃんと呼吸をしている。まだ眠っているが、目立った傷もない。
「ああ良かった。……あ、そうだ。明石四恩!」
移動魔法で逃げようとしたところを、コントロールを奪われて吾我のすぐ目の前に出てきてしまった彼女は、その場で取り押さえられた。最初から用意していたと思われる手錠で彼女を拘束している。
「なあ吾我……。こんなこと俺に言う資格はないかもしれないけど」
「俺とお前は仲間じゃない」
言いながら彼は強引に明石を立たせた。
「ここから先はお前には何にも関係ないことだ。これ以上口を出すな」
そして吾我は裂け目を開こうとした。が、まだ残る痛みでそれもままならない。
「おい大丈夫かよ」
「関係ない」
「いや関係ないとかじゃなくて」
ああだこうだと二人は暫く言いあった。その間に明石が意識を取り戻した。
「……アぁ。そうか。ワタシは負けたか」
「……ええ。俺たちが勝ちました」
「ハハ。なかなか面白い結果だな。……だが。ワタシは一緒に行くつもりは無いぞ」
「いや。それは出来ませんよ。貴女にはまだ聞きたいことが……」
その時である。天井から水が流れ込んできたのは。公平と吾我は思わず上を見上げた。一緒にグロテスクな何かが落ちてくる。
「……深海魚?え?ここって海の底なの?」
施設は崩れつつある。二人は明石に振り返った。
「ワタシの魔法で作った研究所だ。それを解けば当然崩れ始めるし、構造自体も脆くなる」
「しまった……。このままでは施設が水圧で潰されるぞ!」
「ええ!?そうなの!?やばいやばい。俺は潰れて死ぬにしてもエックス以外にはお断りだぞ!」
「馬鹿!その前に溺れて死ぬ!わけわからん事言ってないで裂け目を作れ!」
「あ、ああ。『開け』!」
地上への道を開いたのと同時に、先ほどまでアリスの装着していたスーツの右腕が動き出した。地面を殴りつけ咄嗟に二人は攻撃を躱す。
「腕だけで動けんのかよ!」
「どういうつもりだ明石さん!逃げるのか!?」
「……ハハ。そう。逃げるんだ」
腕はいつの間にか明石四恩をその手に捕らえていた。
「ワタシが負ける……万が一にもないと思っていたが、そういう事になった時にコイツは動き出す」
巨大な機械の手が明石を包みこむ。そこで二人は彼女の意図に気付いた。
「よせっ!」
「やめろ!」
咄嗟に二人は駆けだす。
「ワタシの研究はワタシのものだ。誰にも奪わせたりはしない」
その言葉と、肉の潰れる音。公平と吾我の耳に残った明石四恩の最期だった。
「ほら。攻撃してきなよ」
エックスは四つん這いになって敵を見下ろす。少し様子を窺っていたが、彼らは最低限の魔力操作は出来るようだった。よって、身体の強化も問題なく出来る。つまり相当手加減すれば攻撃しても問題ないということだ。
最早相手の魔法のコントロールを奪取したり、魔力に還元したりすることは止めていた。魔力操作のアレコレは十分にキングとジャックに見せることが出来た。これ以上時間をかけてもかわいそうになってきたので、適度に追い詰めて本当の実力差をはっきり見せつけることで終わらせようとしていた。
戦えなくなったものから順次裂け目の向こうに放り投げる。その先はエックスの部屋である。流石に今、人間世界に帰すことは出来ない。
万が一にでもエックスの部屋にいる田中に被害が出ないようにローズに預けた。それはそれで危険かもしれないが、彼女はアレで人間には優しいので死にはしないはずだ。
敵も必死である。エックスの部屋に送っているだけなので特に問題はないのだが、相手はそれを分かっていない。どこに送られているのか不明なのだから恐ろしいことこの上ない。
動けなくなれば魔女の指に摘まみ上げられ、裂け目の向こうに放り投げられる。だからこそ限界を超えて攻撃を続けていた。だが無常に振るわれる腕に薙ぎ払われる。吹き飛ばされた仲間を見て、身体が震えた。
そういう事を何度か続けた。最終的に一人だけが残った。泣き叫びながら銃を撃ってくる。構わず平手を相手の目の前に叩きつけた。衝撃で吹き飛んでそのまま意識を失う。それでおしまいだ。
エックスは立ち上がり少しだけ浮かび上がった。そして『白紙の世界』を解除する。元の場所に帰ってきて、彼女は後ろを振り向く。
「ハイ!おしまい!」
三人の表情を見て分かった。彼らは皆一様に先ほどの一方的なやり取りに引いている。
「……ちょっとやりすぎでは」
杉本の言葉が胸に突き刺さる。これでも相当手加減してあげたつもりなのにまだやりすぎなのか。
「相手は、一応素人なんだから。もうちょっと、ねえ」
杉本はストレートに言ってくる。それはまだ、いい。傷つくけれどまだいい。それ以上にエックスの心が傷ついたのは他の二人の態度だった。何も言葉を発せず、目を逸らしている。間近で見たその力にどこか恐怖しているのが分かった。言葉で何か言われるよりも態度が急変する方がつらい。
「……きょ、今日は、もう帰っていいよ。来てくれてありがとう……」
それに従って三人は帰っていく。足元で大学生たちが自分を見つめているのが分かって、エックスは急いで自分の部屋に戻った。
こんな事ならああすればよかった、こうすればよかったと後悔で胸が一杯になる。
事態は収まった。被害も決して大きくはない。最小限に抑えられたと言える。ただエックスも公平も、もっといい終わり方は出来なかったのかと思ってた。
「仕方ない、とは言わないでおこう。公平の言う通り明石四恩を死なせずに終わらせる道はあったと思う」
下手に励ましたところで彼の気持ちは収まらないのは分かっていた。だからエックスは素直に答える。彼女の眼にはその小さな身体がしょんぼりして更に小さくなったように見えた。
「そうだよなあ……」
「けど今回の事はもう終わったことだ。だから、次も同じようなことにならないように反省するしかない。……そう。反省……」
急にエックスの声のトーンが落ち込んだ。公平は彼女を見上げる。
「ボクも反省しなきゃな……」
ぽつりぽつりと彼女は口を開く。
「結局さ。あそこで色々暴れていた子たちはボクが相手をして、全員ここに送ったんだけどね……」
そこで改めて説得しようとした。ある程度恐がらせた後なので、魔法を悪用しないように説得するのも容易いと考えたのだが。そこ想定外の事が起きた。
想定以上に簡単すぎたのである。
『もう二度と魔法を……』
『ごめんなさい』『もうしません』『許して』『食べないで』『潰さないで』
『……うん。よろしい』
その瞬間にエックスは察した。絶対に加減を間違えたと。
「あんなに恐がられるなんて……。ああああ……もう……!そもそもボクが吾我クンのところに行って公平があの子たちと戦えば案外全部丸く収まったんじゃない!?」
「そうかもしれない……。エックスが行っていれば明石を死なせずにすんだな……」
「公平の方が絶対手加減上手だよお。この前もアリスちゃん泣かせてるんだったあ」
二人の反省会は一晩中続いた。
「おっかねえなあ。あの教授そんな死に方したのかよ」
「うん」
公平と田中は二人で大学の食堂にいた。昨日からずっとエックスは落ち込んでいるのでそっとしておくことにした。昼食も帰宅して食べるのではなく学食を選んだ。
田中はどこか疲れていた。昨日のことを聞いてみたがよく覚えていないと返した。それがかえって心配である。
あれだけの事件があったにも関わらず大学は平然と運営されている。昨日の事は集団幻覚を見たということになったらしい。校舎の破損は経年劣化で崩れたということになり、けが人もそのせいだとして片付けられた。
「これってもしかしてさ……」
「ああ。そうに決まってる。吾我の……」
「俺がどうかしたか」
その声に公平と田中は向き直る。そこには当然のように吾我が立っていた。食堂のお盆に白飯と鯖味噌と味噌汁とサラダが乗っている。彼は田中の隣に座ると「いただきます」と言って食事をし始めた。
「吾我レイジだ!」
「な、なんでお前がここに」
「別に。大学の学食なんか誰が使ったっていいだろ」
思えば周囲がざわついている気がする。吾我はそれなりに有名人なのだ。後ろで女の子がちらちら見ている気がする。
「やっぱり”WW”がもみ消したのか」
公平は小声で言う。
「さあ。何を言っているんだか」
吾我は顔を上げずに白飯を食べていた。しゃあしゃあと語るその態度に公平は確信する。今回の件、その背後にはこの男の組織が絡んでいる。
「やっぱ怖えなこの人。俺先行くわ」
田中はそう言って立ち上がった。
「仲間同士仲良くな」
「仲間じゃねえって!」
公平も後を追いかけようと立ち上がった。直後に「待て」と吾我の声がする。
「ンだよ」
「お前、卒業したらどうするんだ」
「え?普通に就職するけど」
「だったらウチに来い。俺たちにはお前が必要だ」
「俺はお前の仲間にはならん」
「何故だ」
「そりゃお前……」
そこでハッと止まる。ここで本当のことを言っていいのだろうか。周囲の人間に聞こえたりはしないだろうかと。
吾我の事は嫌いだった。だがそれでも本当の事言うのは少し躊躇われた。
公平は一瞬迷って続ける。
「それよりアリスさん大丈夫か」
「ああ。すぐに目を覚ましたよ。意識もしっかりしている。ただ、もう戦いには出せない」
公平はすぐにその理由を理解した。また魔法を使えば、きっとアリスは魔女に近づいていく。それだけはさせたくないのだろう。
「だからお前が必要なんだよ。答えは今すぐでなくていい」
「俺はお前のことが嫌いだから嫌だ」
そう言って公平は立ち上がった。殆ど本心だ。もっと突っ込んで言うなら、二回目に外交した時に、目的のために無関係の人を傷つけようとした吾我の仲間にはなりたくないのだ。
自分の食器を持って離れようとする。
「待てって」
「待たない」
「これが最後だ」
「最後?何だ?」
いやいやながら戻っていく。吾我はメモを取り出していた。そこには数式が書いてある。
『S=X/(100-X)』
「なにこれ」
吾我は食事を続けながら答える。
「Sが魔法空間……お前流で言うならキャンバスの広さ。Xはランク。その二つに成立する関係式、だそうだ」
「お前ね。よく計算しろよ。ランクが100になったら無限大に発散するだろ。式が成立してない。そういえばエックスにも同じこと言ったな俺」
吾我はその言葉に顔を上げた。
「その時、アイツはなんて言っていた?」
「確か『ばかだなあ』って。何で俺の方がばか呼ばわりされなきゃいけないんだ……」
「……そうか。もういい。時間もらって悪かったな」
「もう二度とくんな」
公平は食器を片付けるために離れていった。
ベッドの中で落ち込んでいるエックスは、自分の部屋に馴染みの薄い気配を感じた。
「うん?吾我クン?なあに?ボクは今アンニュイな気分なんだけど?」
布団から顔を上げないまま声をかける。ベッドの下から声が聞こえた。
「お前は公平をどこまで育てようとしている」
「最強になるまでかな?」
「ランク100、という意味か?」
エックスは吾我の発言に、初めて身体を起こした。床にいる吾我を見下ろす。
「へえ。そんな事知ってるんだ。うん。目指しているのはそこだよ」
「……アイツを神にするつもりか?」
「カミ?」
「明石さんから聞いた。ランク100に至れば、現実世界を自らの魔法空間として扱える。思った事がそのまま現実になる。そんな神のような力アイツが受けとめきれると……」
吾我の言葉は段々とヒートアップしていく。エックスはクスっと笑った。
「なあんだ。吾我クン公平の事心配してたんだ?」
そこで吾我は押し黙った。図星だった。
「まあね。ランク100は神の領域、って言うのは間違いじゃないかも。人間に制御しきれる力じゃないかもしれない。けど。公平はきっと大丈夫じゃないかな。根拠はないけどね」
「お前……!」
エックスは右手を前に出した。そうして吾我の発言を制する。
「魔法は、思っていることを現実に変える力。公平が間違えなければ公平の魔法は正しい形に変わるはずだよ。そしてボクは、公平は間違えないって信じている。だから問題ない」
吾我にはよく分からなかった。ただ、エックスには根拠はなくとも問題ないと確信していることが分かった。
「それに、魔女の世界にだってランク100になった子はいない。ボクだって全盛期は99だった。こっちの人間はランクが上がるのが早いけど、それでもランク100は遠いよ。なんてったって無限だからね。当分問題ないさ」
そう言って再びエックスはベッドに潜った。それ以降どれだけ呼び掛けても彼女は顔を出さなかった。「うるさーい」と、笑うみたいな声が帰ってきただけである。
吾我は暫くそこにいたが、やがて姿を消した。彼自身エックスの言葉は理解できなかったが、彼も公平が道を外れることはないと思っていたので、取り急ぎそれでいいかと思うことにした。
暫くしてエックスは公平が帰ってきたことに気が付く。彼女の寝室に入って声をかける。
「大丈夫かー?」
エックスはのそのそとベッドから顔を出した。
「公平は幸せ者だねえ。心配してくれる人がいるんだって」
「俺だってエックスの事が心配だよ」
「じゃあボクも幸せ者なんだね」
そう言ってエックスは公平に手を伸ばして、ベッドに招いた。
「あれ?元気になったの?なんかあった?」
今日の事を話そうかどうしようかエックスは少し考えた。
「別に?」
そして自分だけの秘密にしようと決めた。吾我が公平の事を心配しているのが何だか嬉しかったなんて言わない方がいい。本当のことを言ったら吾我は怒りそうだし、何よりこういう愉快な隠し事なら、一つ持っているくらいが楽しいと思えた。
これでこのお話も終わりです。
エックスと公平の物語はこの後最終章に入る予定…なんですけどまだ全然書き溜めが出来てないので投稿もだいぶ遅くなると思います。
それでも週一くらいで投稿は続けたいです。
もう暫くお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。